朝の日差しを受けながら

 そうして、七日間——正確には六泊七日のバカンスは、あっという間に過ぎていく。

 

 草原を駆け回った。

 海で遊んだ。

 魚介類を使った料理をあれこれ試した。

 山の中で木の実の収穫を手伝った。

 そして夜は家族と、竜たちと、ラミアさんたちと食卓を囲んだ。


 どれもこれもがたまらなく楽しくて、得難い経験で——こうして最終日の朝を迎えると、夏休みを満喫したなって気持ちになってくる。


 今や学校にも行っておらず仕事らしい仕事もしていない身だが、それでもやっぱり、夏に行ういつもと違う体験は『夏休み』と呼ぶのが相応しいと思う。


「それにしても、やっぱりまだみんな寝てるな」

「わうっ」


 夜が明けたばかりだ。昨夜の遅くまで宴が開催されていたせいか、目を覚ましている者は僕とショコラを除いて誰もいない。


「ラミアさんたちも、今日は漁に出ないって言ってたしね」

「くぅー」


 僕が起きたのはたまたま。正直、睡眠時間はあまり足りていないけど、二度寝するには目が冴えてしまったので外に出たら——小屋の前でショコラがくんくん地面を嗅いでいたのだった。


「お前は早起きだもんな、基本」

「わう」

「じゃあ、散歩するかあ」

「わおんっ!!」


 リードはないから、ふたりで連れ立って歩く。幸い、竜の里はとにかく広い。てくてく歩いて時間を潰していれば、そのうちみんな起きてくるだろう。


「……ここ数日、後悔してたんだよね」


 ショコラと一緒に牧草を踏み締めながら、僕はふとひとりごちた。


 どうしたの? とばかりにこっちを向くショコラの鼻先に手をひらひらさせてジャンプを誘いながら、しみじみと息をく。


「こっちに戻ってきて、楽しくて、幸せでさ。カレンがいて、母さんがいて、お前がいて、ポチがいて、ミントがいて、おばあさまがいて。この里のみんなとかシデラの人たちとか、周囲にも恵まれてて」


 そんな中、あっちでの暮らしを思い出し、そして気付いてしまった。


 あの頃の僕は、自分が幸せであることを自覚できていなかったことに。

 父さんと過ごす毎日を、漫然まんぜん享受きょうじゅしていたことに。


 ——あれがかけがえのない日々だったってことを、今になってようやくわかったのだ。


「今更、どうしようもないのにな。考えちゃったんだ……あっちにいた頃、気付けてればよかったのに、って。父さんがいて、ショコラがいて、それがすごく幸せだったことに。自分がすごく、恵まれてたことに」


 当時の僕は、世間の常識にとらわれていたんだろう。

 あの家は親ひとり子ひとりなの、かわいそうねえ——そんな声を当たり前のように受けていたせいで、幸せの形をくらませていたんだと思う。


 父子家庭『だけど』不幸じゃなかった、なんて。

 そんなふうに思ってしまっていたんだ。


 なにが『だけど』だ。


 波多野はたの和輝かずてるの息子として生まれたこと。

 ショコラとともに育ったこと。

 ああ——それはなにものにもえ難い、世界で一番の果報かほうだったじゃないか。


「まあ、でも、気付けてよかったよ」

「わう?」


 少し屈んで、ショコラの背を撫でた。

 きょとんとする相棒に微笑みかけて、言う。


「家族を大切にしよう、ってことさ」

「わおんっ!」


 ぴょんぴょんと嬉しそうに跳ね回るその鼻先に、再び手をかざす。

 かざしながら朝日の中を歩いていく。


 そうしていると、背後から。


「すい! しょこらー!」


 幼くも可愛らしい声が、聞こえてきた。

 最初はかすかに小さく、しかしあっという間に大きくなってきて——立ち止まり振り返った僕らへと、猛ダッシュで急接近してくる。


「おいついたー!」

「おはよう、ミント。もう起きたの?」


 腰にぼふんと飛びつく小さな身体を受け止めると、ミントはにぱあと笑う。


「みんとは、おひさまでたらおきるよ?」

「そうだった。ミントは家族で一番の早起きさんだった」

「むふー」

「わふっ。わおん!」


 散歩にメンバーをひとり加え、また歩き始める僕ら。歩く速度を緩めようと思ったが、ミントは元気溌剌にあっちへ跳ねてこっちではしゃぎ、ショコラを巻き込んで元気いっぱいに進んでいく。むしろ僕が早足にならなきゃいけないくらいだった。


「あはは、ちべたいっ」

「わん!」


 走り回ったせいか、足元が朝露でぐっしょりになるミント。ほっぺたにも雫が付いている。人間だったらあとで足を拭いてあげなくちゃいけないところだけど、ミントはアルラウネ。足を覆うのは靴ではなく、そのスカートも布ではない。朝露や土や泥は、この子にとって汚れではない。


 でも、彼女の唯一性はそこじゃないんだ。


「ミント、おいで」

「どしたの?」


 僕は手招きするとミントを抱きあげた。

 そしてそのまま、頭を屈めて肩車する。


「わあ! たかい!」

「ポチより低いけど、ごめんね」

「? すいのたかいは、ぽちのたかいとちがうよ? みんと、すいのたかい、すき!」

「……そっか、そうだよね」


 ——なんだ、ミントの方がわかってるじゃないか。


「ミントはえらいなあ」

「えらいって、なに?」

「僕もポチも、ミントが大好きってこと」

「うー! みんともすき! すいもえらい」

「わんわん!」

「しょこらもえらい!」


 僕の肩の上できゃっきゃとはしゃぐミントと、せわしなく走り回るショコラ。

 その様子を眺めながら、頬を緩め——ああ、そうだ。僕も父さんに、公園で肩車してもらったことがあったっけ。


「あの時の父さんもきっと、こんな気持ちだったんだろうな」

「すい、これ、これ!」

「なに、ミント……む」


 頭の上から手が伸びてきた。

 そこに握られていたのは、花だ。

 付け根の部分、がくを僕の口に突っ込んでくる。


「ちゅーってして!」

「……、甘い」


 蜜だ。

 花の種類はわからない。ただ、花弁の底に溜まっていたそれは朝露と花粉が入り混じった、爽やかで涼やかな味を僕の舌に乗せてくる。


「美味しいね。ありがとう、ミント」

「むー!」


 視線を上げると、僕とお揃いの口をしたミントの笑顔が見下ろしてくる。 


「いつ見付けてきたの? 僕が肩車した時には持ってなかったよね」

「? あったよ?」

「持ってたっけ……?」


 そもそもこんな大きな花、牧草地のどこに生えてたんだろう。

 内心で首を傾げるも、まあいいか、と思う。




 口から花を咲かせたトーテムポールと化した僕らは、そのまま散歩を再開する。

 てくてくと隣を歩くショコラの頭にも気が付けば同じ花が飾られていて、僕はたまらず、ぶふっと。唇の端から変な声をらすのだった。

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