海の幸を存分に

 夕刻からは宴が始まった。


 さすがに長期滞在なので申し訳ないと遠慮したのだが、初日と最終日くらいはいいだろうと押し切られてしまった。「ミントの快気祝いだ」と言われるとさすがに断れない。

 快気祝いって概念、ドラゴンにもあるんだ……。


 供されたメニューは、前回にもいただいた木の実を練り込んだパン、それとバーベキュー形式の肉と野菜。チーズやバターなどの乳製品や果実も山と盛られている。


 ただもちろん、前回とは違うメニューもある。

 これはラミアさんたちに食材を用意してもらい、僕が調理したものだ。これのために肉やパンの量を少なくしてもらいさえした。


 あの時はへびかめシャークのせいで用意できなかったもの——。

 すなわち、海の恵みである。



※※※



 シンプルな塩焼き。

 魚の美味しさをまるごと閉じ込めた蒸し物。

 パン粉と卵をふんだんに使ったフライ。

 雑魚や貝類などをまとめて煮込んだ鍋物。


 それから、僕としては念願の一品——昆布締めした、刺身。


「すごいわ、こんなにたくさん。どれも美味しいわねえ」

 母さんは目の前に並べられた魚料理を前に、嬉しそうに箸を進めてくれる。


「私はフライが好き。柑橘の果汁が合う」

 カレンも夢中で頬張ってくれている。


「はぐっ。はぐはぐっ」

 ショコラ用には、骨をしっかり抜いた切り身を塩抜きで煮込んだ特別メニューを用意した。こっちも大喜びでまっしぐらだ。


「きゅるるっ」

 ポチには牧草に香草や果物を和えて塩を振った特製のサラダを。最近ようやく、ポチが一番喜ぶ味がわかってきたところだ。


「みんと、これすきー!」

 ミントは海鮮鍋のスープを飲んで顔を綻ばせていた。小さな貝なども一緒にもぐもぐしている。あれ以来、固形物を食べる量が多くなってきた気がする。


「火が通った肉もなかなかいいものだな」

「ええ、スイさんのお陰か、料理に込められた魔力も濃いわ」

「おれ、こっちの蒸したやつ好きだ!」

「わ、私はこの焼き魚……」

 ドラゴンの一家もまた、魚を食べてくれていた。

 骨ごと構わずバリバリといっている。

 

 だが、僕にとってなによりの手応えは。


「これは、とてもおいしいです。……いせかいのぎじゅつとは、すごいものですね」


 昆布締めした刺身を前に、ラミアさんたちが喜んでくれていることだった。


 ラミアの食文化——というより魚の食べ方は、僕らと大きく異なっている。

 基本的には生で、頭からかじりつくのだ。


 丸呑み、という方が近いかもしれない。表面のぬめりや汚れを塩揉みして取り、調味料などを付け、あとはそのまま。

 バリバリに噛み砕くかそのまま胃に一直線かは魚の大きさや種類によって異なるようだ。秋刀魚さんま(と同じ生態をした、要するに内臓も美味しく食べられる種類のもの)なんかは咀嚼そしゃくすることが多い。


 おそらく、彼女たちは海の生物から進化した種なんだと思う。地球のイメージでいうと、むしろ人魚に近いのではないか。生きていくのにDHAの摂取が多く必要なのは、海中で生きていた頃の名残りなのかもしれない。


 とはいえ、今はもう陸での生活に適応しているのは確かで、肉や魚に火を通さなくともチーズやバターも作ればパンも焼く。魚醤ぎょしょうも作るし魚を干物にもする。味覚がない訳では決してない。


 だからきっと昆布締めにした刺身も、味わってくれるんじゃないかと思ったのだ。


「よかった。試してみた甲斐がありました」

「いつもとおなじさかなとは、おもえません。それにこれなら、ちいさなこらにもたべやすい」

「今までお子さんには、やっぱり小さな魚を?」

「はい。でも、こんなにおいしいのなら、やっぱりみんなでたべたい」


 僕も昆布締めの刺身を口に入れる。うん、これだよ……懐かしくも愛しい、刺身の味。わさびと醤油がないのが残念だ。

 

「スイ、それ、だいじょぶなの? 生なんでしょ……?」

「絶対に大丈夫とは言えないけど、この日のために調べたんだ。安全のはずだよ」


 僕を案じてくれるカレンに、頷く。


 ミントの属性相剋そうこくを治した後のことだ。

 すべて終わり、ノアたちを送るため王都に行った母さんへ本を頼んだ。この世界に生息する魚介類と、その食文化についての資料である。


 持ち帰ってくれたものをひもけば、地球のものと似たような種もいれば、見たこともない種もいた。もちろんなにより求めた情報は、生食する文化があるのか、あるとすれば適した種はどれか。


 じっくり調べ、わかったこと。

 この世界にも、刺身は存在する。


 海沿いの漁師町では広く食べられているそうだ。ただし日本の刺身そのままではなく、カルパッチョみたいに香草と合わせてソースをかけたものが主流のようではあるが。


 あまり一般的でない理由は、輸送と保存の問題が大きい。氷の魔術で魚を冷凍させての運搬は難しくないにせよ、魔導士がつきっきりで見なきゃいけないからコストがかかるし、なによりそんなふうに苦労して運んだ魚に生食の需要がない。要するに『現地でのみ供される特殊な食べ方』の範疇はんちゅうを出ておらず、文化としてまったく広まっていないのだった。



 ——「ちょっと、責任を感じるわね」

 とは、母さんの弁。


「生鮮食品の冷凍輸送はかつて、ミュカレ侯爵家が広く技術提供してきたの。でも、お母さんが没落させちゃったから……たぶん昔よりも高価になってるのよね」


 もっともセーラリンデおばあさまいわく、それはないでしょう、とのことだったが。


「彼らに任せていても、技術と販路を独占するばかりで発展はなかった。一時的には遠回りになってしまいましたがむしろ、利権が払い下げられ民の手に委ねられた分、いずれきっと、かつてよりも安く便利になっていくはずです」——。



 閑話休題。

 ともあれ僕としては、生食に適した魚がこの海で獲れることに大喜びし、いさんで昆布締めを作ったのだった。


「一応、結界を強めに意識してる。僕の魔術は毒にも有効だし、大丈夫だよ。カレンも食べてみる?」

「私はいい。フライが美味しいので」

「こっちも美味しいよ?」

「フライが美味しいので!」


「……その、『お刺身』というの、お父さんも好きだったの?」

「うん、向こうでは時々、食卓に出してたよ」

「じ、じゃあ、食べてみようかしら……」


「ヴィオレさま、早まらないで。ショコラ止めて」

「はぐっ。はぐはぐはぐ」

「ご飯に夢中だった」


 おそるおそる刺身を口に運ぶ母さんと、顔を覆いながらおっかなびっくりその様子を見るカレン。


「おいしーね、しょこら、ぽち」

「わうっ!」

「きゅるるっ」


 僕らを横目に、それぞれの料理に舌鼓したつづみを打つ、ミントとポチとショコラ。



 ドラゴンの一家とラミアさんたちが僕らの様子を微笑ましく眺める中、宴は続く。

 篝火かがりびで作られるみんなの影が、楽しそうにわいわいと踊っていた。






——————————————————

 百日後に刺身に完堕ちするエルフ

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