花を願い、欠片を望み

 母さんはそうして、ジ・リズと旅立っていった。


 残された僕らは、ほとんど眠れないまま朝を迎える。起きてきたミントは——少なくとも表面上は、とても元気だった。


 朝ご飯としてこしらえた、フルーツジュースを美味しそうにごくごくと飲む。


「あまい! みんと、これすきー!」

「ん、ゆっくり飲むんだよ」

「うー!」


 コップを両手で抱えてにこにこする様に、いつもなら僕らもつられて自然と顔を綻ばせていただろう。けれど今はそれにさえ努力が必要だった。


 いつもよりもたくさん——ジュースを三回おかわりすると、ショコラとじゃれ合い始めるミント。外に出て走り回ったりしないのは、無意識でエネルギーの消費を避けているからだろうか。


 もちろん、こうして家の中で遊ぶことが珍しい訳ではない。ただやはりどうしても、考え込んでしまう。思い詰めてしまう。


「しょこら、くすぐったい! あはははっ!」

「くぅーん」

「ミント、積み木しようか」

「するー! しょこらもする?」

「ふふ、ショコラにできるかな?」

「わう……」


 カレンも交えて楽しげな様子を眺めながら、僕は昨夜の——母さんがつ前にした会話を思い出していた。



※※※



「スイくんが子供の頃の記憶を失っていたのは、魔導器官まどうきかん位相喪失いそうそうしつに伴う副作用。それはもう理解しているわよね?」


 カレンの属性相剋そうこくを治したのは僕である、と。


 その事実を告げた後、母さんは確認するように改めて、説明してくれた。


「転移を境に、スイくんの魔導器官は再び稼働を始めた。『こっちの世界の人間』として身体の機能が再調整され、記憶の自己封印は解かれた。忘れていることも自覚できない状態から、ちゃんと思い出せるようになった。……言ってみれば、記憶の収納場所が移動したのね」


「それはわかるよ、なんとなく」


 僕にとって、わかりやすい比喩だった。


 日本で過ごしていた頃、僕は子供時代の——異世界で生まれ育ったことを、思い出しもしなかった。それどころか、記憶を失っているという事実そのものを意識すらできなかった。まるで、隠しフォルダに入った写真のように。


 だけど、こっちに転移したあの日。

 幼い頃を過ごした家に再び立ち入り、カレンと再会して、僕はアルバムの存在を思い出した。フォルダが急に可視化され、ああそういえばあの中にはアルバムがあったなと、思い至れるようになった。


 ただ——アルバムの中身をすべて自由に閲覧することはそれでもできなくて。

 写真のひとつひとつにパスワードがかかっている。パスワードは連想のたやすい、簡単なものだ。だからなにかの拍子に思い出し、解除されていく。


 カレンのこと、母さんのこと、家にまつわる思い出など。


 こっちに戻ってきて四カ月以上が経ち、さすがにすべての写真にかかったパスワードは解除され、僕は記憶を完全によみがえらせることができたと、そう思っていたのだけど。


「ただ、あの時のこと……カレンの属性相剋を治した時のことを、スイくんが覚えているのかがわからないの。スイくんはもう『神の寵愛ちょうあい』を受けていて、高熱を出していたから」


 自己封印による記憶喪失ではなく、病気のせいで記憶が飛んでいる可能性。

 そもそもその写真がフォルダに入ってないかもしれない、ってことだ。


「それに……無理に思い出そうとすると、負担がかかる」


 カレンが僕の服のすそをぎゅっと握ったまま、顔を歪めた。

 握る手は強いくせに、声は弱く。今にも泣きそうなくせに、感情は強い。


「私は、いやだよ。スイがまた、……なことになったら。いや」


 最後の方はあまりにか細く、よく聞き取れない。

 ただおそらく、僕が思っている以上に——のは、負荷が強いのかもしれない。


「それでも私たちは、スイくんを信じて、スイくんに頼るしかないわ」


 母さんの瞳に宿る色は凛としていて、強い意志を感じさせる。

 だけど僕には、それが虚勢だとわかった。


 なんとはなしに、伝わってきた。母さんは強くあろうとしている。己をふるい立たせ、毅然きぜんと振る舞い、大丈夫だと言い聞かせている。


 母さん自身に、カレンに、そして僕に。


「スイくん。なにひとつ具体的な助言ができなくてごめんなさい。上手い手段が見付からなくてごめんなさい。……だけど、お願い。お母さんが帰ってくるまでの間、。自分の心に、記憶に、沼の底に……そこに答えがあるかどうかすらわからない。答えなんてないのかもしれない。それでも、お願い」


 そして——。

 母さんはジ・リズの背に乗る寸前。

 小さな、とても小さな声で、まるで血を吐くようにつぶやいたのだった。


「……家族をうしなうなんてこと、もう誰にも、経験してほしくない」



※※※



 そして僕はあれからずっと、朝になっても思い悩んでいる。


 カレンとは昨夜、話をした。最初は口が重かった彼女だが、それでもミントを喪いたくない気持ちは同じだ。少しずつ、当時のことを喋ってくれた。


 だけどそれを聞いても、僕にはわからなかった。思い出せなかった。


 引っかかりはするのだ。沼の奥深くに手を伸ばし、底を引っけば、爪の先をかするなにかがあると感じる。なのに拾い上げられない。掴もうとしてもつまめずに、手は空を切る。なんてもどかしく、なんて歯がゆいんだろう。


 はある。記憶のファイルに、パスワードがかかった状態で、確かにある。問題は、当時の高熱のせいでそのパスワードが文字化けしていることだ。記憶を甦らせるためのきっかけがなんなのかすら、僕にはわからない。


「うーん……」


 目先を変えて考えてみよう。

 つまり、いかなる手段を用いてカレンの属性相剋を治癒したか、だ。

 これが推測できればそこから逆算して、思い出せることもあるかもしれない。


「……魔術、だよなあ、たぶん。それも闇属性」


 なにか適当な草を食べさせたらそれが万能薬だったとか、神さまがなんとかしてくれたとか、実は僕に魔術とは別のスキルみたいな未知の能力が秘められているとか、そういう変化球は考えにくい。闇属性の魔術、それも父さんにすら成し得ないような、なにか途方もないことをやってしまったんだと思う。


 今の僕が自覚している魔術は、大雑把に言えば因果の操作だ。事象の原因もしくは結果に干渉して、未来を引き寄せたり回避したり。ただ思うがままの無制限にやれるかというとそうではない。上手くは説明できないが、法則のようなものと制限のようなもの、そして限度のようなものが——複雑怪奇なルールのもとに、確実に存在している。


 どの因果をどんなふうに操れば、他人の魔力属性をいじれるのだろう。そもそも相手の体内にある魔力に干渉するなんてできるのだろうか。


 ——考えていたら、頭が煮えそうになった。


 気分転換しよう。


「ミント、まだポチにおはようを言ってなかったよね。挨拶に行って、ついでにちょっと遊ぼうか」

「うん、いく! ぽちにのるー!」


「ミントはポチの背中、好きだもんね。でも……あれえ? ポチの背中だけでいいの? すぐそこに、いい感じの背中があるんじゃないかな?」

「っ!! しょこら……のってもいい?」


「わうっ!」

「やった! しょこらにのるよ! らいどおん!」


 ちなみにライドオンという単語は僕が教えた。

 ミントはうんしょとショコラにまたがる。ショコラは「わおん!」と元気よく吠えて、リビングから庭に出て——きっと全部、察しているのだろう。ゆっくりと、それでいてミントが喜ぶ程度の速度で、庭を小走りに進む。


「ねえ、カレン」


 それを後から追いかけながら、僕は隣を歩く幼馴染に小声で問う。


「カレンは……その、治った時のこと、覚えてる? 気分とか、感覚とか、そういう内面の変化みたいなの。もしくは、自分の魔力の流れについてとか」

「……ごめんなさい」


 カレンは弱々しく首を振った。


「あの時、スイは私を治してすぐ、倒れた。倒れて、意識を失った。私はびっくりして、大声でおじさまとヴィオレさまを呼んで……自分が魔術を使えるようになったことに気付いたのは、後になってからだった」

「そっか。大丈夫、きみが気に病むことはない」


 泣きそうな顔をするカレンの手をそっと握る。彼女は縋るように身体を寄せてきた。


「ぽちー! おはよう!」

「きゅるるっ」


 牧場に入ったミントがショコラから飛び降りる。ポチの鼻先を撫で、前脚から背中によじ登ろうとするのを見て、僕らは慌てて駆け寄った。


 気を遣っていることを悟られぬように、あくまで自然に。

 ミントの背中から脇へ手を入れて抱きかかえ、そのまま肩車しながら、


「ミント、僕の頭からポチの背中に移動することができるかな?」

「きゃは! うー、できる!」


 僕を足場にしてポチに乗り移る小さな身体を、さりげなく支える。もし間違って落下しても、転んでも、怪我なんかしない。僕の結界がすべて守ってやれる。


 ——そうだ。


 本当は、どうだっていいんだ。

 ミントが身体強化を使えなくても、ポチの背中に自分からよじ登れなくても。

 フリスビーを遠くに投げられなくても、ものすごい速さで走れなくても。


 このまま、魔術が使えないままでも、別にいい。

 土属性の魔術で僕らをお手伝いできなくなっても、そんな力——稀有な能力なんて、持ってなくて構わない。


 ただ僕らと一緒に、笑っていてくれれば。

 元気で健やかに、長生きしてくれれば。

 幸せに生きてくれたら、それだけでいいのに——。


「たかい! ぽちのせなか、すべすべしてすき!」

「ポチの甲殻って、表面が意外と触り心地いいもんね」

「きゅるるっ」


 ミントがはしゃぎ、僕らは笑う。

 笑いながら、僕は内心で、僕自身を叱咤しったした。


 頼む、お願いだ、どうにかしろ、すい

 この時間を、この幸せを——嘘にしないでくれ。

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