そこに沈んでいるものへ

 母さんの行動は早かった。

 僕らが思い悩んでいたその間にはもう、打てる手を打ってくれていたのだ。


 聞けばジ・リズだけではなく、既にセーラリンデおばあさま、それにノアとパルケルさんにも通信水晶クリスタルで連絡しているという。


 ありがたいと思うと同時に、情けなくなる。カレンが気丈に明るく振る舞い、母さんが動いていたというのに、僕はいったいなにをしていた? ただどうしようどうすればと、陰鬱いんうつな気分に沈んでいただけじゃないか——。


 客間に寝かせていたミントをそっと居間まで運び、ジ・リズにてもらった。竜族ドラゴンの眼は人よりも遥かに高精度で、魔力の流れを知覚できる。


「まず、これはあくまで推測であって、確証ではないのだがな」


 ジ・リズは庭先で、ひそやかな、けれど沈痛な声で言う。


「……半々、といったところだろうな」


 なにが『半々』なのか。

 誰もが理解していて、だからこそなにも言えない。


「ミントの睡眠は食事を兼ねている。眠っている間、土に根を張り、死体から養分を吸収している……だが属性相剋そうこく変化へんげが不可能になった今、口からしかない。それで生命いのちを繋ぐに足るほどの栄養をまかなえるかどうかがまずひとつ」


 現状でさえ、ミントは固形物をあまり好まない——たぶん消化機能が人間よりも未発達なのだ。これから経口摂取だけで生きていくのなら、肉や穀物などをたくさん食べられるように成長しなければならない。


 だけど——。


「そしてもうひとつ。これから先、魔術なしでまともに成長できるのかという問題がある。今まで当たり前のように用いてきた土属性の魔導なしに生きるには、身体そのものを変えていかねばならん。だが、植物の魔物である血妖花アルラウネの身体を作り替えていくには……成長させるには」


「土属性の魔術が必要になる、ってことか。堂々巡りだ」


「故にわしの見立ては『半々』となる。上手いこと人のようになれればよいが、成長不全に陥ってしまう可能性もあるだろう。そして、成長不全に陥ってしまえば……」


 その先のことを、ジ・リズは口にしなかった。できなかった。

 僕らも、聞きたくはなかった。


「……そもそも、どうしてミントが属性相剋になったの?」


 えぐられるような胸の痛みを抱えながら、僕は疑問を口にする。


「主役はあくまで土属性で、僕ら全員の……全部の属性が少しずつ混じってる。それがミントの魔力色だったんでしょ? 属性相剋っていうのは、ふたつ以上の属性がメインを主張し合うことで起きるんじゃないの? メインとなり得る属性が、同じ大きさをしていないとならないんじゃなかったの?」


「……そのはずよ」


 答えたのは母さんだった。


「少なくとも私の知る『属性相剋』という現象は、そうよ。でも……」

「儂もこのような事例は、初めてなのだ」

 

 実際にミントを診てくれたジ・リズが、深い息を吐く。


「いまミントの中には、あらゆる属性の魔力が渦巻いている。光、闇、火、水、風……それらすべてが渾然一体となり、主派たる土属性を抑え込んでいるような状態だ。儂の竜瞳りゅうとうには、そのように見えた」

「……他の全部の属性が一緒になって、土を邪魔してる、ってこと?」

「大雑把な解釈をしてしまえばな。だが、なぜそうなっているのかがわからん。土属性に長けた者の知識が必要だ」


 土属性を操れるのは、ミントみたいな植物の魔物と、それから獣人。


「もうパルケルに通信水晶クリスタルで連絡してるわ。『恋路こいじの魔女』……泥の魔術が得意なあの子は、獣人の中でも土属性が強く出ているから、なにか情報が得られるかもしれない」


 いつの間にか母さんは、黒いマントととんがり帽子——他所行きの魔女装束を身につけていた。


「これから、シデラに行ってくるわ。伯母さまにも助力をお願いする。そして、その足で王都にも。……悪いけど送迎を頼むわね、ジ・リズ」

おうさ。ミントも儂にとっちゃあ、ひなのようなものだ。手伝えることがあるならなんでも言ってくれ。必要とあらばどこにだって飛ぼう」


「ショコラ、ミントのことお願いね。気にかけてあげて」

「わうっ!」


 頭を撫でられたショコラはひと鳴きすると、任せて、と言わんばかりに家の中へ戻っていく。きっと今夜はずっと、ミントのそばにいるつもりなんだろう。


「あの、母さん……」


 僕はもどかしい気持ちでいっぱいだった。

 家族が危険な状況にあるというのに、てんで頼りにならないじゃないか。


 もし、自分にできることがあるならなんだってやる。なのに、あるかどうかすらわからない。属性相剋? 僕の魔導でどうにかできないのか。どうやって? わからない。僕はあまりにも無知で、無力で——畜生。


 僕が病気にかかった時、母さんと父さんも、同じ気持ちだったんだろうか。

 方々を駆け回り、頼れるものにすべて縋って、それでも打つ手がなくて——。


「スイくん……スイ!」


 よくない思考が頭の中でぐるぐる回っている僕の前に、いつの間にか。

 母さんが立っていた。

 僕の両頬を手で包み、言い聞かせるように。


「お母さんは今から、知識を集めるわ。そしてミントの属性相剋の原因はどこにあるのか、どうやったら治るのか、全力で探す……その間に。スイくんには、やってもらいたいことがあるの」


「……っ、ヴィオレさま!」


 鋭い叫び声があった。

 カレンだった。


「それは……ヴィオレさま、それは!」

「……カレン」


 母さんは振り向く。

 そしてさっき僕にしてくれたのと同じように、カレンの頬に手を添える。


「あなたの不安はわかる。なんて、私もできればしたくなかった。でも、私たちは全力を尽くさなきゃ」

「私も、……ミントを助けたいよ。でも、スイは……それに!」


「大丈夫。きっと大丈夫よ。スイくんはもう、あの時とは違う。私たちが心配するようなことにはならないわ。家族が悲しむようなことには、きっとならない」

「ヴィオレ、さま……」


「大丈夫。今度は私もついてる。あなたも大人になってる。ショコラだっている。それにあの人も……カズくんも、きっと見守っててくれる」


 母さんとカレンの会話の意味が、僕にはよくわからない。

 ただ——いや、もしかして。


 あの時の、話をしているのだろうか。



 属■■■の■レ■。

 ■■が使えなくて、悩んでいて、泣いていて。


 ——わたしに■■がつかえたら、スイの■■■■も■せるかもしれないのに。


 幼い、未熟な考えだった。

 まともな知識があるなら、そんなはずはないとすぐにわかることだった。


 けれどカ■■は、幼いなりに、未熟なりに、僕のことを本気で助けようとしてくれていて。僕もまた、そんな■■ンの気持ちに応えてあげたくて——。



「……スイくん。スイくんには、忘れてしまっていることがあるの」


 ぼんやりとした霧の中を泳ぐような思考は、不意に母さんによって引き戻された。


「可能性としては、融蝕ゆうしょく現象に伴う、記憶の自己封印が考えられるわ。スイくんがこっちに戻ってくるまでに記憶を失っていた、あれのことよ。ただ……未だに思い出せていないのなら、単に高熱が原因で、そもそも記憶自体が飛んでしまっているかもしれない」


「高熱、って、もしかして」

「スイくんが、五歳の時。『神の寵愛ちょうあい』にかかってすぐの頃よ」


 カレンが、ぎゅっ、と。

 僕の服のすそを握ってくる。

 まるで子供みたいに。

 今にも泣きそうな、申し訳なさそうな、それでいて縋るような——。


「お母さんは可能な限りの知識を集めるわ。でも、集めた知識、理由、見付かるならば手段も……そのすべては最終的に、


 そして。

 母さんは、僕の記憶——湖の奥深くに沈む、最後の欠片について、告げた。






「カレンの属性相剋を治したのは、スイくん。あなたなの」

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