だから僕らは手を伸ばす

 それは、前回と同じ動作で行われた投擲とうてきだった。

 練習を重ねるごとにミントの技術は洗練されていて、だからきっと今までで一番、まっすぐ、高く、速く、フリスビーは飛ぶはずだった。


「えいっ!」


 なのに、は。

 へにゃり、と。


 僕らだけではなく、ショコラさえも反応できなかった。

 フリスビーは、歳相応の子供がか弱い力で投げたように。

 ろくな放物線も描かず、いちメートルも保たずに、地面へと落下する。


「あれ?」


 きょとんとしたのは、当のミントだった。

 てててて、と走って、フリスビーを拾いあげ、また元の位置に戻って、さっきよりも気合を入れて、フォームをゆっくりと確認して、力を溜めて、


「えいっ!」


 また、へにゃり——。

 フリスビーは力なく、滑空すらせず、近くの地面に落ちる。


「……ミント」


 誰しもが無言になった瞬間、真っ先に動いたのはカレンだった。

 ミントの名を呼ぶそれは、どこまでも優しい、優しすぎるほどの猫撫で声。


「もしかして、力が出ない?」

「うん……なんか、へん。とおくに、とばない」

「ん、じゃあ、ちょっとお願いがある。いまからポチのところまで走って、ポチの足にぽんって触って、私のところまで戻ってきて。全力ダッシュ。できる?」

「うん、できるー!」

「じゃ、用意……スタート」


 ミントはカレンの掛け声に合わせて、てけてけと走りだす。

 それはやっぱり、歳相応の。見ているこちらが微笑ましくなるような可愛らしい速度で。だからこそ僕は——きっと僕らみんなが、


「……っ」


不安に心臓を跳ねさせていた。


「もどってきた! ちゃんとたっちした!」

「うん、えらいえらい。よくできました」

「むふー」


 カレンは、カレンだけが、あくまで平静を装っていた。


 ポチとの距離、十数メートル。

 それをたっぷりもかけて往復し、自慢げなミントの頭を撫でる。


 おかしなことだった。

 だって、ミントはいつも、身体強化を無意識にかけていて——小さな身体に似合わない膂力りょりょくを持っているはずなのに。


 フリスビーはうんと遠くにすっ飛んでいくはずだ。

 全力で駆けたなら、ものの十秒もかからずポチのところまで往復するはずだ。


 なのに、ミントの力、いや、その身体に巡——、


「ねえミント、疲れてない?」


 僕の思考を、カレンの優しい問いかけが遮る。


「? へいきだよ?」

「そっか、すごいね。でも、ショコラがちょっと疲れちゃったみたい」


「そなの? しょこら」

「……、わうっ!」


「ね、だから今日は終わりにしよう。フリスビーの練習はまた明日。いい?」

「わかった! あしたはもっと、すごくなげる! しょこらはかくごするよ!」

「わうっ」


 カレンはミントと手を繋ぎ、きびすを返す。それはあまりにもいつも通りの光景で、だからこそ僕の動悸どうきはおさまらない。


 ショコラがポチに「わん!」と挨拶をし、カレンとミントを追いかける。

 ポチはなにごともなかったかのように、牧草の上に伏せてくつろぎ始める。

 僕は——頭の中に浮かぶたくさんの疑問とそれ以上の不安にさいなまれながら、どうにかカレンたちに続こうとする。


 母さんが僕の横に並び、手を強く握ってくれた。


「しゃんとなさい。カレンみたいに、いつも通りに」

「っ、カレンは、わかってるの? ミントに、なにが起きたのか」

「あなたも感覚で理解はしているはずよ。あの子がすぐに動けたのは、があったから。私よりも早く対応できたのは、あの子にとってそれが、忘れられないものだから」


 母さんの言う通りだ。

 僕にももう、わかっている。最初から、わかっていた。


 不意に入らなくなった力、飛ばせなくなったフリスビー、異様に遅い駆け足——そういった目に見える異変ではなく、もっと別の知覚方法で察知できていた。


 ミントがフリスビーを構えた瞬間、急に滞ったものがある。

 それまでよどみなく流れていたものがき止められたような、あるいは歯車ががちんと異物を咬んだような。


 いままで滔々とうとうと渦巻いていた海流が、静かな湖になったような——。


「じゃあ、あれが」

「ええ、間違いないわ。何故そうなったのかはわからないけど……」


 母さんは、言った。


「属性相剋そうこくよ」



※※※



 日が暮れて、夜になった。

 あれから、家の中で遊んだ。身体を動かすのではなく、積み木をしたり歌ったりして、だ。やがて夕方近くになり、ミントがうとうとし始めたので寝かしつけ——リビングに、僕とカレン、母さんが集まった。


「ミントはちゃとおやすみしてる?」

「ん、ショコラに見てもらってる」

「……布団で、か」


 絞り出すような僕の言葉に、全員が沈痛な面持ちを浮かべる。

 いま、ミントは眠っている。ただし客間で。


 それは、初めてのことだった。


 いつもの寝場所はそこじゃない。

 家の外、解体場、彼女が生まれた場所で、生まれた時の姿になって——つまり脚を茎に変えて根を降ろし、葉で全身を包んだ蕾のような形になって、だ。


 なのに今はそうせず、布団に横になっている。

 いや——しないのではなく、できないのだ。


変化へんげは魔術の一種だからよ」


 母さんの声には、懊悩おうのうが滲んでいた。


「家の中でも、さりげなく誘導して試させてみた。身体強化や変化はもちろん、簡単な属性魔術も……ミントは、使えなくなってる」

「本人は、きょとんとしてた」


 カレンが俯き気味に、拳を握り締めながら言った。


「自覚してないなんてことはないと思う。ただ、そんなに重大に捉えていないのかな。もしかしたら……気にしてて、なにも言わないだけなのかもしれない。私たちに心配かけまいとして、黙ってるだけなのかも」


 いつもみたいに眠れない——土に根を張っての睡眠ができないのだから、それを自覚していないはずがない。


 もし、そうだとしたら。ミントが僕らを気遣っているのだとしたら。

 あの幼い無邪気な笑顔の奥で、我慢をさせてしまっているのなら。


「……わからないことがある。教えてほしい」


 僕は深く息を吐きながら、ふたりに問うた。


「まずは、属性相剋のことだ。母さんもカレンも、経験者なんでしょう? ミントの相剋は、治せるの? 治せる可能性や方法は、あるの?」


 母さんとカレンの顔が強張るが、その理由を気にする余裕はない。

 何故なら、 


「それから、一番大事なことだ」


 なによりもいま優先すべきは、考えるべきは、これだから——。


……?」


 空気が質量を持って僕らにまとわりつくような、沈黙があった。

 カレンは唇を引き結ぶ。

 僕は目を閉じて答えを待つ。


 やがて母さんが——深く息を——その重苦しい空気をすべて食い尽くすように吸って——穏やかな、けれど決意に満ちた言葉を紡ぐ。


「スイくん。私たちは打てる手をすべて打たなきゃいけないわ。ありとあらゆる人脈、知り得るだけの情報、そして集められる分の知恵。すべてを駆使して、その上で……思い付く限りの手段を、尽くさなくちゃいけない」


 同時に、ずん、と。

 家の外——庭から、振動が伝わってくる。

 母さんは立ち上がり、掃き出し窓を開け、縁側に進み出る。


「……まずは、人脈」


 そこにいたのは——暗がりの中、家の灯りに反射して浮かびあがる鱗と、流麗な翼。ふわりと庭に満ちるのは、竜族ドラゴン特有の厳かで優しい気配。


「来たぞ、『天鈴てんれい』殿」

「ありがとう、偉大なる竜。……お願い、知恵を貸して」


 ジ・リズは——僕らを順番に見て、こくりと頷いた。






——————————————————

 ここから少しの間ハラハラする展開となりますが、読んで後悔するような結末には絶対になりませんので、引き続きよろしくお願いできれば。

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