どうか枯れないで

それはいつもの、なにげない

 厩舎きゅうしゃに水を引くためのユーこうをこしらえた際、木材加工の経験値をけっこう積めた。まあ、なんでもバターみたいにさくさく切れる魔剣チートありきなのであまり褒められたものではないのだが、ともかく——それでもコツを掴んだ気がするので、ひとつ新しい工作にチャレンジすることにした。


 フリスビーである。


 フリスビー、あるいはフライングディスク。前者は商標なのだけど異世界で商標を気にしても仕方ないのでフリスビーと呼ぶ。サイドスローでひょいっと投げたらすいっと滑空し、犬をまっしぐらに惹きつけてやまない軌道を描いてくれるイカしたあいつである。ショコラはこれが大好きで、よく近所の自然公園で遊んでいた。


 異世界こっちに持ち込めてたらよかったんだけど、さすがに山奥の家を確認しに行くって時の荷物にフリスビーは入れなかった。シデラの街にも売ってなかったので、これはもう自作するしかあるまい。


 正直、揚力がどうのとか空気抵抗がどうだとか、難しいことはさっぱりわからない。だから形を真似て作って投げてみて、飛んだらそれでいいや、みたいなノリである。


 地球のやつはプラスチック製。こっちでは望めない素材だが、少なくとも重量は寄せた方がいいだろう。

 なので、できるだけ軽い木を探して素材にした。


 まずは木材を、直径二十センチくらいの円形にする。これは輪切りにした幹をそのまま利用すればいい。

 木の枝を繋いだ簡易コンパスで真円の当たりを取り、周囲を削っていく。

 円形の板ができたらそこから更に形成だ。できるだけ薄くしつつ、縁を盛り上げてお皿みたいに——というかこれ、まるきり木のお皿を作ってるみたいだな。


 幸い、僕の魔術でとにかく木を削るのが楽だ。むしろ勢いあまってナイフが貫通してしまうことの方が多い。数度の失敗を重ねつつ、なんだかいい感じになってきたところで、表面をヤスリで削って慣らしていく。


「わふぅ……」

「できる? もうすぐ、できる?」


 庭に座り込んで作業をする僕を取り囲む、ショコラとミント。


 母さんは洗濯物を干しながら微笑ましげに僕らを眺めている。

 カレンは縁側に腰掛けて呑気にお茶をすすっていた。

 ポチの姿は見えないが、牧場で草を食んでいることだろう。


「成功するかはわかんないけど、もうすぐできるよ」


 本当はニスとか塗った方が表面の保護になるんだろうけど、まあそこ保護は僕の魔術で。


「うん。形はいいような気がする。どこもささくれてないな……よし!」

「できた? できた?」

「くぅーん……はっはっはっはっ」


 かくしてミントとショコラのキラキラした視線を受け、試作第一号が完成する。


「なかなかいい感じかも」


 すべすべした表面、そしてけっこう軽い。


「とりあえず牧場で投げてみるかな」

「あら、できたの? お母さんも見学しようかしら」


 洗濯物を干し終わった母さんが、期待に満ちた視線を向けてきた。

 見ればカレンも無言で立ち上がり、ミントの後ろに立っている。


「みんなで見るの? それほどのものじゃないんだけど……」


 なんだか気恥ずかしいけど、連れだって牧場へ。


「きゅる……?」


 ゆったり地面に身体を横たえていたポチが不思議そうにこっちを見てくる。ミントがててててと走っていき、ポチの背中によじのぼった。


「えへへー。ぽちー!」

「きゅるるっ」


 ミントは誰かの背中が大好きで、特にポチのはお気に入りだ。たぶん、高い景色が見られるからだろう。


「よし、じゃあ投げてみるか……上手く飛ぶといいな。変な感じだったらごめんな、ショコラ」

「わうっ!」


 フリスビーを右手に持ち、数度、素振りをする。

 軽く身体強化をかけて、それでいて力を入れすぎないように。

 ゆっくりと身体を捻って——投擲とうてき


「……そらっ!」


 ひゅうん、と。

 頭の中で想像していたよりも上手く、フリスビーは回転した。


 そのまま空を切り、緩やかなカーブを描きながら飛んでいく。体感、地球で投げていた時のものよりわずかに速く、わずかに高い。本体の滑空性能の低さを僕の魔力が補った結果なのかもしれない。


「おおー……」とカレンが感心し。

「まあ……」と母さんも興味深げ。

「わあ、とんでる!」ミントがポチの背中できゃっきゃとはしゃぎ。


 そして、僕は——。


「よし。ショコラ、GO!」

「わうっ!!」


 フリスビーの放物線がてっぺんを超えた辺りで、号令をかける。

 ショコラはひと声、嬉しそうに叫んで疾走を開始した。


 たたたた、と、速い。フリスビーを追いかけてあっという間に追いつき、角度と高さを合わせてジャンプ。見事に空中でくわえ取って、軽やかに着地する。


 そのままてくてくと僕のところへ戻ってきて、得意げに口元を差し出してきた。

 だからフリスビーと交換に、ご褒美のドッグフードをひと粒。


「よくできました! 久しぶりだなあ。勘は衰えてないな。ほら」

「はぐっ。……わうっ! わんわん!」

「もう一回か? じゃあ今度はもう少し遠くまで投げるからな」


 こっちも感覚は掴んだ。身体強化をもう少しかけて、牧場を四分の三ほど横切るくらい遠くに。そしてショコラへの号令は、今よりもタイミングを遅く。


「まだだぞ……三、二、一、GO!」

「わおんっ!!」


 今度はショコラも身体強化を使ったようだ。目で追いきれない速さでダッシュし、いつ地面を蹴ったのかわからないほどの勢いでジャンプ。

 見事に再び、フリスビーをキャッチする。


「すごいすごい! よしよしよしよし。ほら」

「はぐっ。わふっ!」


 戻ってきたショコラを思う存分撫でながら、ご褒美をひとつ。


「懐かしいな、この感じ」


 子供の頃から何度も繰り返した遊びだ。ショコラも同じように思ってくれてるといいな。


「すい! みんとも! みんともやるー!」


 ポチの背中からぴょーんと飛び降りたミントが、鼻息を荒くしながら駆け寄ってくる。


 木の枝で似たようなことはやっていたが、フリスビーはより遠くに、しかも流れるような軌道で飛ぶ。おおいにわくわくしたのだろう。


「よし。じゃあやってみようか。こう持って、こう構えて……」

「こう?」

「そう。そこで、しゅっ、って手を離すんだ」


 まずは僕が後ろから手を添えてやりながら、動作を覚えさせる。

 何度かやっていけそうになったところで、ミントひとりにやらせてみる。


「ショコラ、一緒に走って落ちそうなところでキャッチだ」

「わう」


「いくよ、しょこら。……えいっ!」

「お、ちゃんと飛んだ!」


 それはさっき僕が投げたのと、同じくらいの速度だった。人間の子供であればなし得ない投擲は、彼女の身体強化によるものだろう。


 とはいえコントロールは全然で、斜め向こうに飛んでいく。

 そんなミントのフリスビーを、まかせろとばかりに走り出すショコラ。


「わうっ!」

「わあ、しょこら、おいついた!」


「くぅーん」

「すごいすごい! えらいえらい!」


 きゃっきゃとはしゃぎ、ショコラに頬擦りするミント。

 ご褒美のドッグフードは……なくてもよさそうだな。ショコラも嬉しそうだ。


「もかい! もうっかいやる!」

「よし、今度はまっすぐ飛ばせるように気をつけてみて」

「うん……えい!」

「わう!」


 今度は手を離すのが遅かったみたいで、さっきと逆向きの斜めに飛んでいく。だけどショコラが反応できないなんてことはない。並走し、落下地点を見極めて、それに合わせて空中キャッチ。


「またつかまえた! みんとはまっすぐいけなかったのに……すごい!」

「コツを覚えればできるようになるさ」


「見事なものねえ」

「ん。ショコラはかしこい。ミントはかわいい」


「うー、またへんなとこいった! もかいっ!」

「わう!」


 ミントが投げて、ショコラが走る。

 ショコラがキャッチし、ミントが喜ぶ。

 戻ってきたらじゃれあって、次はもっと上手くともう一回。


 僕は投げるたびに上達していくミントに感心し、アドバイスを送る。

 母さんは楽しそうに、フリスビーの飛んでいく軌跡を目で追う。

 カレンは地面に腰を下ろし、はしゃぐミントの様子を愛おしそうに見る。

 ポチは自分の頭上を通り過ぎていくフリスビーを他所よそに、のんびり草を食む。


 そうして、何度めになるだろうか。

 ミントが「こんどはもっと、とおくにとばす!」と鼻息を荒くし、構えて放り——が。






 僕ら家族を揺るがす、異変の始まりとなったのだった。

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