子供の頃の思い出を

 不意を突いた。

 茂みを突き破って跳躍した時、僕はすでに魔術の発動準備を終えていた。


「わんっ!」


 まずはショコラが、戦いを切り裂くように割って入る。

 光属性の魔力をまとい、矢のように突進——それは刀牙虎スミロドンにも飛角兎ヴォルパーティンガーにも直撃することはなかったが、双方を驚かせ、動きをわずかに止めた。


「ばう! ぐるるるる……」


 木の幹を利用してたぁんと反転、着地し、飛角兎ヴォルパーティンガーへ唸るショコラ。兎の群れは警戒する。その間断かんだんがあれば充分だった。


「『深更しんこう悌退ていたい』っ!」


 抜いた魔剣リディルを地面に突き刺す。刀身から生えた細い鎖が四本、飛角兎ヴォルパーティンガーたちへ伸びて——絡み付く。


 闇属性の遅延魔術に、兎たちの動きが止まる。

 空中で、あるいは地上で、一時停止ボタンを押したような静止。


 それは致命的な、隙だった。


「……花Kkけ、芽M虚無Zr。弄う蕾Irに、茎を折Sbる」


 カレンの唇が言葉未満の音を紡ぐ。

 呪文の母音を省略しつつ音を儀式化した圧縮詠唱——僕にはまだできない、高等技術。


烟るSm任せてAを砕けSdば、綿毛Ddl乗ってP死が降りるEd……『砕靄さいあい』」

 

 発動と同時。

 飛角兎ヴォルパーティンガーたちを、霧の針が貫いた。


 ざざざざざざ、——と。

 一匹につき十本。剣山みたいに突き立ったそれらは兎たちの脳を、心臓をあやまたず串刺し。そのままふわりとかたちを溶かし、水球となってそれぞれの死体を包む。


 坩堝水晶クリスタルが宿主の絶命に伴い属性を混濁、飽和させ、水の中で鈍く光った。


 爆発、しかし封殺。


 水の檻に阻まれ、変異種たちの断末魔は周囲に被害を及ぼすことができない。水球の中でぐちゃぐちゃに破裂して、そのまま赤黒い——まあなんというか、ハンバーグよりもひどい物体に成り果てて——べちゃ、と地面に落ちた。


「うわあ……」


「あんまり強い変異種じゃなかった。だから爆発で肉が残った」

「まあしょうがないよね。ありがとうカレン。ショコラもナイス」

「わうっ!」


 周囲に立ち込める血のにおいに顔をしかめる。だがそれは飛角兎ヴォルパーティンガーの死骸だけから発せられているものではない。


「ぐ……るるる……」


 刀牙虎スミロドンの成体だ。

 変異種たちからの猛攻を受け、皮膚のあちこちから血が流れていた。毛皮は赤く染まり、方々が焼け焦げてさえいる。


 だけどそれでも、僕らに対し身構え、威嚇いかくを続けている。


「お前たちを害するつもりはないよ……って言っても、通じないか。実際、味方でもないんだし」


 せめて剣を鞘に納めるが、その仕草でわかってもらえるわけもない。


「カレン、そいつの怪我、どうかな?」

「ん」


 距離を取りながら、カレンは魔術を刀牙虎スミロドンにかける。


 薄いもやが巨体を覆う。それを介して傷の深さを調べられる。触診みたいなものだ。


「だいじょぶ。ところどころ痛そうなところがあるけど、刀牙虎スミロドンは元々、強い獣。このくらいじゃ死なない」

「そっか」


 だったらもう、ここに用はない。

 程度によっては介抱することも考えたが、命に関わるのでなければこれ以上は余計なお世話だ。


「じゃあ、行こう」


 言いつつ、僕は刀牙虎スミロドンの親子へ軽い殺気を放った——敵意を込めた魔力を彼らへ向けた、という意味だ。


 成獣が身構える。子供たちが親の影に隠れてみいみいと騒がしく鳴き始める。


「この辺りにはもう来るな。よそに行け。たぶん、近くに魔力坩堝るつぼがある……お前たちまで影響されるぞ」


 ——言いながら、傲慢ごうまんだな、と思った。


 僕の選択、僕らの行動に理屈はつけられる。


『変異種が家の近くにいたのだから、早急に駆除しなければならなかった』

 一方で、

刀牙虎スミロドンの肉は食えないし、殺しても無意味だ』

 そして、

『こいつらまで変異種と化したら面倒だから、他所へ追い払う』——。


 でもそれらは、ただの理屈であり言い訳だった。


 結局のところ僕らは、だけなのだ。

 子猫たちがかわいくて、気の毒だったから助けた。家の周りをうろうろされていては今度こそ殺さなきゃいけないから、どこかへ行ってもらいたい。


 これは、そういう身勝手で傲慢な僕らの虚栄心でしかない。


「ぐるるる……わうっ!」


 刀牙虎スミロドンの親子へ、ショコラが吠えた。

 それを合図に背を向ける。威嚇は充分したし、力の差も理解したはずだ。ここらは僕らの縄張りで、お前たちの居場所じゃない。


 藪を掻い潜り、僕らは離れていく。

 それでもあの親子は視線を外すことがない。

 ただじっと——こちらの背中を、見詰め続けていた。



※※※



「くぅーん」


 ——やがて、家の近く。

 刀牙虎スミロドンの気配が察知できないほどの遠くまで歩いてきて。


 ショコラが不意に鼻を鳴らし、僕へ身体を擦り付けてきた。


「どうした?」

「わうぅ……」


 背を撫でようとするとその手にまとわりつき、指をぺろぺろと舐めてくる。こんな態度を取るのは珍しい。じゃれついてくることはよくあっても、甘えてくるなんて。


 立ち止まり、しゃがんで視線を合わせる。


「わふっ! くぅー……」


 前脚ごと飛びついてきて、今度は顔を舐めてくる。


「なんだお前、急に……」

「昔のこと、思い出したのかも」


 カレンがそんなショコラに優しい目を向けて言った。


「昔、って」

「おじさまとヴィオレさまに、拾われた時のこと」


「……ああ、そうか」


 この前、母さんに聞かせてもらった話だ。


 父さんと母さんが獣人領——ヘルヘイム渓谷に赴いた時、一匹の子犬と出会う。

 変異種に殺された両親の死体を前に、響き渡る悲痛な鳴き声。両親を殺した変異種に狙いを定められ、今まさに尽きようとしていた命。


 それを助けたのが父さんと母さんで。

 助けられたのが、ショコラだった。


「父さんと母さんは、なにを思ったんだろうな」


 ショコラの胴体に手を回して思いきり撫でる。

 大きな身体だ。もう立派な成犬。


 もし、さっき。刀牙虎スミロドンの親がもう死んでいたとしたら。子猫たちだけが生き残っていたとしたら。

 僕らはどうしただろう。やっぱりきっと——。


「でも、よかったよな、ショコラ。あの子たちが悲しい思いをせずに」

「わうっ! くぅーん」

「もちろん、お前が不幸だなんて言いたいんじゃないからね」

「わうわう!」


「ん、だいじょぶ。ショコラにはいま、家族がたくさんいる。私はお姉ちゃん」

「……わふ?」


「いや、この怪訝けげんな感じ……ショコラはカレンのこと、妹みたいに思ってるんじゃない?」

「そんなことない。私はお姉ちゃん」


「わふ……?」

「え……?」


 ショックを受けたように後じさりするカレンと、首を傾げるショコラ。

 僕は肩をすくめながら立ち上がる。


「この調子だと、僕も弟かなんかだと思われてるかもね。まあ……地位が盤石なのはたぶん、父さんと母さんだけだ。父さんと母さんは、お前にとってもお父さんとお母さんだもんな」

「わうっ!!」


 ようやく落ち着いたショコラの背中をひと撫でして、僕は笑った。


「家に帰ろうか。獲物がとれなかったのは残念だけど、冷蔵庫にまだ肉はあるし」

「ん。……ショコラも今日は、お母さんと遊ぼう」

「わおんっ!」


 僕らは並んで森を進む。

 ショコラとカレン、そして僕。

 言われてみれば子供の頃から、僕らはきょうだいみたいだった。

 大人になって、その関係がどう変化しようとも——過去にそう育った事実は変わらないし、僕らが分たれてしまうこともきっとないのだろう。





——————————————————

 森の中に放り出されて生きてきたというのもあり、スイくんは(当時の)お父さんよりも、こういうことに対してややシビアです。

 ただそれでもやっぱり、同じことが起きたらお父さんと同じ選択をしてしまうんでしょうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る