森の中、ふたり(と一匹)

 数日かけて様子を見た。

 沢から引いてきた水は上手いこと流れ続けている。

 

 水量は、だいたい一日かけて水桶みずおけがいっぱいになる程度。そこそこ大きめに作ってあって、ポチの水飲み場としてはもちろん、身体を洗ってやる時や掃除の際にも充分だ。


 あふれた分は細い穴を掘ってパイプを埋め、地下に流すことにした。こういう作業はミントがお手のものである。土を自在に操れるの、めちゃくちゃチートだな……。


 ともあれ僕らの生活はまたひとつ便利になった。

 暮らしていくうちにこういう作業が必要になることもあるだろうけど、DIYは楽しいし家族の行事って感じで、むしろ不便が見つかるのが楽しみでさえあるね。



※※※

 


 夏になると『うろの森』はまた、別の景色を僕らに見せ始める。

 具体的には、れる野草と獣が変わるのだ。


 たとえば雨季の際に水棲動物が縄張りを広げてきたように、植物が茂ることでそこに適応した獣たちが現れてくる。僕らの家がある一帯は『虚の森』の深奥部、ほぼど真ん中に位置するが——それでも広大な森のごく一部でしかなく、獣たちの勢力争いはそのあちこちで頻繁ひんぱんに起きているようだ。


 特にここには、変異種が定期的に発生する。そうなるとほとんどの獣たちは逃げていくため、他の一般的な森林と比べると生態系に落ち着きがないようだ。


 一時期は家の周辺でよく大角羚羊ズラトロクを見ていたが、ノアの屋敷から戻って以降、出現がぱたりと止んだ。繁殖期が終わって別のところに移住したのか、あるいは僕らを脅威と認識し近寄らないようになったのか。


 代わりに見かけるようになったのが、だ。


「いや虎て……なんなのこの森」

「ん、刀牙虎スミロドンは食用にならない。追っ払うのがいい」

「しかもサーベルタイガーときた」


 刀牙虎スミロドンとは名の通り、上顎犬歯じょうがくけんしがおおいに発達した虎である。もし地球にいたら生態ピラミッドの頂点に君臨してそうだが、この世界においてはそうではない。強さとしてはグリフォンやワイバーンとどっこいどっこいで、たまに負けることもあるのだそうだ。


 獰猛な獣だがそれなりに頭もよく、勝てない相手とは無理に戦おうとしない。とはいえ近所に居座られると獲物の取り合いとなり困ってしまう。


 なのでこの辺りは僕らの縄張りだとアピールすることで、遠くに行ってもらおうということになった。


 というわけで、昼下がり。

 僕(とショコラ)はカレンと一緒に、森へ入っていた。


 家から南に数百メートルほど進んだ辺り。そこで昨日、カレンがニアミスしたという。


「……これ、足跡」


 茂みが多い鬱蒼とした一帯で、草を掻き分けて地面を指差すカレン。


「こっちの草、葉っぱにダニがついてる。たぶん定期的にこの辺を巡回してる。定住して狩りをしてるなら、子連れかもしれない」


「すごいな……こういう追跡能力、僕はまだ全然ダメだ」


 ダニとか、言われて目を凝らしてようやく気付くくらいだ。


「慣れの問題。スイもいずれわかるようになる。わからなくてもショコラがいるからだいじょぶ」

「くぅーん」


 はっはっはっと舌を出して僕を見詰めるショコラ。

 森の中では不用意に吠えないのだ。かしこい。


「そっか……とりあえず、周囲を警戒しとくね」

「……待って」


 カレンが不意に黙る。目を閉じて上を向いたまま動きを止める——いや、尖った耳がわずかにぴくぴくしてる。なにかを聴いているのか。


 僕も身体強化を施し、意識を集中させた。


 草いきれ混じりの葉擦はずれ、遠くから聞こえる鳥の声、違う。それよりも近くで——肉食獣の唸り声と、きいきいした小動物の鳴き声——争い合う音?

 肉食獣の狩りではなく?


「ん、行ってみる。……においを消す」

 

 カレンがもごもごと口の中でなにかを詠唱した。僕らの身体にじわりとした湿気がまとわりつく。風の流れを止めて薄い霧で周囲を覆うことで、獣たちの鼻に引っかからないようにしたのだ。


 そろそろと腰をかがめ、草木に紛れながら前に進む僕ら。カレンを先頭に、騒ぎが起きている地点へと近付いていく。


 やがて争いの音がはっきりわかるほど大きくなる。

 茂みの向こう、やや開けた空間に、彼らはいた。


 まず目についたのは、はち切れんばかりに太い筋肉質の四肢を宿した巨体。

 それでいて身構えたシルエットはしなやかで、美しささえ感じられる。


 刀牙虎スミロドン——名を象徴する特徴的な二本の牙は、上顎から生えて下顎を超え口外へ伸び、鎌のように湾曲している。あれで咬みつかれたらどんな分厚い肉でも一瞬で引き裂かれそうだ。


 だけど。

 そんな刀牙虎スミロドンが僕らの目の前で、窮地きゅうちに晒されていた。


 理由はふたつある。

 ひとつは、子連れだということ。


 巨体の陰に隠れた小さな身体たち。まだ可愛らしい、もこもことした子猫みたいな幼体が、全部で三匹。


 成体は母親だろうか、父親だろうか。子供たちを守るように前へ立ちはだかり、なかなか攻めに転じられずにいる。


 そして理由のふたつめ、それは——、


「あれは……飛角兎ヴォルパーティンガーの、

「それも、複数だ」


 あまりにも悪すぎる、相手だった。


 飛角兎ヴォルパーティンガーとは、うさぎとは名ばかりの凶悪な、肉食性の魔物だ。


 兎の身体をベースに、頭部には鋭い角、そして背中には鳥の翼を持つ。後ろ脚で跳躍し、風の魔術と翼を使って滑空、そして角を武器にした突進で獲物に襲いかかる。


 体躯は子犬ほどだがとにかくすばしこく、おまけに縦横無尽の三次元的な動きをするものだから、なかなか攻撃が当たらない。カレンや母さんが何度か狩ってきたことがあったけれど「苦労の割に肉の量が少ない」とぼやいていた。


 そして、今。


 刀牙虎スミロドンに襲いかかるのは、その飛角兎ヴォルパーティンガーが四匹。しかもすべてが、背中に赤黒い坩堝水晶クリスタルを生やした変異種だった。


「分が悪い。このままだと、刀牙虎スミロドンが負ける」


 カレンが小さくつぶやく。


 見たところ、飛角兎ヴォルパーティンガーは完全にスピードで勝り、刀牙虎スミロドンを翻弄していた。

 もちろん本来ならば、小さな角には毛皮と筋肉を貫ける威力がないだろう。兎が虎に勝てる道理はない。


 だが変異種と化した兎は、もはや兎ではない。化け物だ。


 その攻撃には風だけではなく火の属性も混じっているようで、刀牙虎スミロドンの身体のあちこちから、焼け焦げたにおいとともに血が流れている。おまけになにより、子供を庇って防戦一方なのが大きい。


 もう、時間の問題のように思えた。

 

 いずれ飛角兎ヴォルパーティンガーの攻撃は刀牙虎スミロドンの体力を奪い、地にせさせるだろう。そして兎の群れは虎の親子ともどもを喰い殺す。


「スイ。どうする?」


 カレンが振り返り、僕へ問うてきた。


「向こうは戦いに夢中で、私たちに気付いてない。だから、このまま離れてもいい。変異種の群れは厄介だけど、わざわざこの場で駆除する必要はない」


 確かに、彼女の言う通りだ。


 変異種の寿命は短い。あれほど小さい獣であればなおさらだ。しかも奴らは複数がまとめて変異している。今は協力して獲物を狩っているが、やがて魔力に呑まれて理性をなくし、共食いを始める可能性は高かった。


 だからここは離脱して放置し、もしうちの敷地に入ってこようとするならその時に改めて迎撃する方が、圧倒的に倒しやすいのだ。


 それに子連れだろうとなんだろうと、弱者が殺されるのは、自然の摂理だ。


 刀牙虎スミロドンだってこれまで、他の獣を食い殺しながら生きてきた。今まで殺す側にいた者が、殺される側に回ったというだけの話である。……なんなら、巡り合わせによっては、まさに僕らが彼らを殺していた可能性もあるのだ。


 わざわざ介入してどうする?

 介入する理由があるとするなら、それは僕らのエゴだ。

 甘っちょろい、一時の自己満足を満たすための傲慢な——偽善でしかない。


 けれど、カレンの僕を見る目は。


 わざわざこの場で駆除する必要はない、というさっきの言葉とは、まったく逆の色をしていて。


 だから、僕は笑った。


「助けよう」


 ショコラの頭を撫でてから剣の柄を握り、身構える。


「なによりも変異種の駆除は優先すべきだ。まあ、建前だけどさ。……子猫は、かわいいもんな」

「くぅーん」

「ん。……わかった」


 ショコラが喉を鳴らし、カレンが嬉しそうに微笑む。

 僕らは呼吸を合わせて一、二の三で——茂みから、飛び出した。

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