手土産をきっかけに

 ジ・リズへのお礼として話題に出た、大角羚羊ズラトロクという魔物がいる。


 アンテロープとかインパラとか、ああいう感じのシルエットをした獣だ。頭部にまっすぐ生えた二本の長い角はメタリックな光沢をしており、光を反射して金色に輝いて見える。身体はかなりでかく、地球でいうヘラジカをゆうに超える体高をしており、近くで見ると威圧感が凄い。


 性格は獰猛どうもうで——これは繁殖期だからという理由もあるみたいだけど——こちらを認めるや問答無用で襲いかかってくるし、なんなら光属性の魔術を角から放ってくる。


 肉は美味しい。癖のない牛みたいな感じで、脂身が少ないのでステーキにすると食いごたえがあってたいへんよい。


 ただ、最近は家の周辺でちょくちょく見かけるようになっており、しかも体がでかいので食糧としては持て余し気味だ。なにせ一頭取れたら冷蔵庫も冷凍庫も肉でいっぱいになってしまう。なのでできるだけ追い返しているんだけど、向こうが好戦的なもんだから三頭に二頭の割合で、手を合わせて冥福めいふくを祈る結果になる。


 ジ・リズにまるごと一頭を差し上げられたのは、正直なところ渡りに船だった。

 そして冷蔵庫にあるそれとは別の、切り分け済みのやつも——。


「こんなもの、もらってしまっていいの……?」


 客間に案内されてひと息ついた後。

 リビング(と呼ぶにはあまりにも広くて豪華な、なんかでかいソファーとかある部屋)にて。


 お世話になるので手土産に、と渡した肉に、パルケルさんは呆然としていた。


「大量に持ってきちゃってごめん。もしかして、保管場所なかったりします?」

「それは大丈夫だよ。というかそういう問題じゃなくてさ……これ、大角羚羊ズラトロクなんだよね?」

「はい、美味しいですよ」

「だから! そういう問題じゃなくて!!」


 呆れ顔をするパルケルさんの横で、ノアくんも苦笑していた。


「いやはや、森の深奥部に暮らしていて感覚が麻痺してしまっているのか? あるいはこちらに戻ってきたばかりで知らないだけか」

「希少なんだろうなっていうのは理解してるつもりなんだけど……」


 最初に獲れた時、カレンと母さんは大喜びだったし。

 だけどノアくんの返答は、僕の想像を超えていた。


大角羚羊ズラトロクの肉はな、余でも王宮にいた頃、数えるほどしか食したことはない。……珍しさもさることながら、いざ見かけても強すぎて狩れんそうだぞ」

「そ、そうなんだ」


 確かにけっこう強い魔物だけど、王族でさえ滅多に食べられないレベルなの。


「でも強いっていっても……いや、なんでもないです」


 ギリくまさんとかの変異種よりは全然、と言いかけてやめた。この世界の常識がまだいまいちよくわかってない僕にもさすがにその比較はおかしいとわかる。


「……ねえ、カレン」


 そんな僕にジト目を送りながら、パルケルさんがカレンへ問う。


「この子、あたしより強い?」

「ん、私やヴィオレさまでも、スイに勝つのは無理」


 即答するカレン。


「いやいやそれはさすがに……」


 僕は否定するも、


「負けはしないかもしれないけど、勝てない。スイの結界を突破できないから」

「……それほどなの」


 パルケルさんが目を見開いた。同時に、尻尾がぴんとまっすぐ張られる。


「……正直、釈然としないなあ」


 数秒の後——どこか絞り出すように、パルケルさんはつぶやいた。


 その声音こわねに込められた思いは、決して僕に対する負の感情ではない。どちらかといえばパルケルさん自身に対するもので、だからこそ僕はなにも言えなくなる。


 だって、僕のこの力は、カレンや母さんでさえ『突破できない』と断言するほど強力な闇属性の魔導は。

 努力の果てに手に入れたとか、そんな類のものでは決してないんだから。


 パルケルさんは『魔女』の称号を持つほどの人だけど、それをたゆまぬ努力と果てのない研鑽けんさんの末に勝ち取ったであろうことは想像に難くない。なにせ称号を得るための推薦人に、知己であるうちの母さんやカレンを頼らなかったほどなのだ。


 そんな彼女にとって、僕なんかはの、苦労知らずの、そのくせに自分より強い魔導を持つ、いけ好かない存在なのかもしれなくて——。


 だけどそんな僕の想像をよそに、パルケルさんはにやりと笑んだ。


「まあ、あたしより強い人ってのは、いればいるほど面白いもんね。スイ、見てなよ。いつかあんたの結界、ヒビくらいは入れてみせるから」


 そう言ってからからと笑い、僕の肩をばしばし叩く。


「その前にパルケルはまず私に勝ててから」

「うがー、それを言うな! むうう……そのうちあんたたちの家まで自力で辿り着いてやる!」


 じたばたと腕をふるふるさせる彼女は悔しがりながらも楽しそうだ。


 と、僕の隣にノアくんが立った。

 そうしてカレンとじゃれ合っているパルケルさんを微笑ましそうに眺めながら、言う。


「すまぬな、スイ。彼女はああいうたちなのだ。まあ獣人は大なり小なり闘争心が盛んだが……パルケルの場合、他者の強さをうらやんでもねたんだりはしない。己が邁進まいしんするためのかてとして、より一層の修練に励む。余はそこを好ましく、そして愛しく思う」

「そっか。嫌な思いをさせちゃったかと心配した」


「はは、それはない! むしろ強者たるお主に好感を抱いたはずだ。彼女は、己を成長させてくれる存在に敬意を払う。……逆にいとうのは、足を引っ張ってくるやからだな」

「だったらよかった」


 ほっとしていると、ノアくんは不意に真面目な顔になる。


「スイ、ひとつ問いたい。お主の魔導は、この世界に戻ってきてから開花したそうだな。それも『天鈴てんれい』と『春凪はるなぎ』、ふたりの魔女が認めるほどのものが。……その凄まじい力のせいで、嫌な思いをしたことはないか?」

「嫌な思い、っていうと……」

「さっきも言ったが、他者を見下し、あるいは妬む者。己よりも劣った者を笑いながら蹴落とし、あるいは秀でた者の足を引っ張ろうとする者。そういう輩は、世にごまんといる。お主の場合、絡まれるとしたら後者にだが」


 それはもしかしたらノアくんの、彼自身の体験談なのだろうか。

 王宮で生きてきた中、実際にそういう人たちに遭遇したのだろうか。


 あるいは、今も——?


 だけどその問いに対しては、正直にこう答えるしかない。


「僕は、恵まれてる」


 彼の視線を受け止めながら、


「こっちに戻ってきて……森の中、ショコラと一緒に、最初はふたりきりだった」

「わんっ!」


 足元にいるショコラの、ちょっぴり爽やかな夏毛になった背中をわさわさと撫でながら。


「そこからカレンが来てくれて、母さんが来てくれて……ジ・リズと友達になって、この街に行って。ベルデさんやシュナイさんをはじめ、たくさんの人たちと出会った」


 リラさん、トモエさん、ノビィウームさん。

 クリシェさんに、セーラリンデおばあさま。

 それから顔見知りになった、冒険者の人たちも。


「誰も、僕に悪意を向けてはこなかった。きっと、父さんや母さん、カレン、セーラリンデおばあさまが守ってくれたんだと思う。今も、守ってくれてるんだと思う」


 母さんの昔話を聞いた時、そう強く思った。


「森の奥深くに住んでるってのも大きいんだろうけど、ともあれ……僕に嫌なことを言ってくる人は、まだ見たことがない。僕を陥れようとしてくる人たちとも、まだ会ったことがない。うん……やっぱり恵まれてるんだ、僕は」


 ただ、それは。

 その事実は——、


「時々、不安になる。そういう奴らが現れたらどうなるんだろうって。僕を否定してくる人たちが、僕らを邪魔しようとしてくるんじゃないかって」


 僕がこれからも悪意を向けられない保証と証明には、ならない。


「ならば、スイ」


 ノアくんは目を細めた。

 その整った顔に鋭い気配が混じり、試すように——推しはかるように、問うてくる。


「仮に不逞ふていの輩が現れ、足を引っ張ってきたら……お主はどうする」


 だから僕は、答えた。


「争いごとも、誰かを傷付けるのも好きじゃない。でも僕は、幸せになるために生きてるから。それを邪魔する奴らがいるなら、やりすぎない範囲でぶっ飛ばす」

「生かしておけば禍根かこんは残るぞ。まして力で敵わぬ相手は、搦手からめてで来る」


「うーん……物騒なことをやったせいで、仲良くなれそうな人たちから怖がられちゃうのはイヤだなあ。ちくちく変な嫌がらせされるのもストレスたまりそうだし。……だったら、森に引きこもろうかな」

「逃げるのか?」


「うん、逃げる。僕の家は『うろの森』の深奥部にあるんだよ? 転移してきた次の日に変異種に出くわした……そういう場所に住んでるんだ。追ってこれるならくればいいよ」

「お主に手を出せないとなれば、お主と懇意こんいとなった者たちに危害が及ぶやもしれん」

「そっか、そういうことをしてくる奴らもいるのか。だったら権力を使うしかないか。母さんの名前を出してもまだ手を引かない奴はさすがにいないでしょ」


「……御母堂ごぼどうの力は、お主の力ではない。手を借りることに抵抗はないか?」

「ないよ。だって、僕の幸せは家族の幸せだから。僕の幸せを邪魔する奴らは、家族みんなの敵だから」


 僕は恵まれてる、それは事実だ。

 でもだからこそ、幸せになるためなら——不幸を避けるためなら、を遠ざけるつもりはない。


「むしろ母さんがやり過ぎないよう、僕らが止めなきゃね」

「わう!」


 ショコラが尾を振りながら元気よく鳴く。

 僕はその頭をわしゃわしゃと撫でてから、ノアくんに向き直った。


 彼がどんな意図でそんな質問をしたのかはわからない。

 ただ——だから。


「ねえ、もしもなにか困ってることがあるんなら……うちに一週間ばかり泊まっていったりするのもいいんじゃないかな? その時は言ってよ、招待するからさ」


 ノアくんはややあって。

 ふ——と。

 どこか寂しそうな、一方でどこか楽しそうな、複雑な笑みを浮かべながら、僕の手土産を抱えて言う。

 

「肉を氷室ひむろへ入れてくる。今夜はこれを使って、王都風の料理を振る舞おう。それから……晩餐ばんさんのあと、少し話せるか?」

「うん、もちろん」


 踵を返したノアくんの背中を、僕は見送る。


 彼の抱えているものが、ほんの少しだけ垣間見えたけれど——僕にできることは、果たしてどれくらいあるんだろう。

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