晩餐の後で

 ソルクス王国の王都周辺は胡麻ゴマが特産品で、必然的に料理文化にもそれが反映されている。特に胡麻油は欠かせず、ギリシャ人のオリーブオイルみたいな感覚でバンバン使われるらしい。


 ただし地球で慣れ親しんだあの『ゴマ』とは品種が少し違うようで、胡麻油もまた、をベースに花のような甘い香りが混じりつつ、少しばかり辛みがある。

 

 ちょっと新鮮で面白い。今度、取り寄せてもらおう。


 ともあれ、夕食はノアくんとパルケルさんの手料理をご馳走になった。

 それはもう、まさに胡麻尽くしである。


 大角羚羊ズラトロク腿肉ももにくは蒸してあって、これに胡麻油とレモンをブレンドしたソースをかけたものがメインディッシュだ。

 付け合わせには胡麻塩をまぶして魚醤ぎょしょうえたサラダ、それから豆のスープ。


 パンは薄くて丸い、地球でいうところのチャパティみたいなやつで、り胡麻を蜂蜜で練ったジャムを塗りながら食べる。

 飲み物にも胡麻。焙煎ばいせんして紅茶と合わせたやつで、意外なことにかなり美味しい。きっと品種のおかげだろう。


 そして最後の締めとなるデザートにも、当然のように胡麻。


 ドライフルーツやナッツ、それに大量の胡麻を入れたバタークッキーみたいなそれは、名前を『ハルヴァ』というそうだ。なんでも、遥か昔に転移者——つまり融蝕ゆうしょく現象で地球からやってきた人間が考案したお菓子らしい。


 名前が記憶の片隅にあった。

 確か西アジアのお菓子だ。


 さくさくした食感とともに口の中でほどけていく生地に、混ぜ込まれた様々な甘味、香り、歯触りがアクセントとなり、それらを最後に胡麻の風味がまとめていく。


 これは転移者が望郷とともに作り上げた味なのだろうか。あるいは僕みたいに、ただ持っていた知識を活用したものなのだろうか。

 どちらにせよそのレシピは異世界に根付き、時を経て、今や一国、いち都市の伝統菓子となっている。


 そのことに感慨を覚えながらデザートを味わっていると、ノアくんに苦笑された。


「ハルヴァは、ありふれた菓子だぞ。王都であれば民たちがそれぞれの家庭で作る、母の味だ。なのにお主は……大角羚羊ズラトロクと同じくらいか、それ以上に舌鼓したつづみを打ってくれているようだな」


 僕は応える。


「全部、すごく美味しかった。ノアくんたちにとっては大角羚羊ズラトロクの肉がいちばん珍しかったんだろうけど……僕にとってはすべての皿が、新鮮で鮮烈だったよ」

「そうか。そう言ってくれると、余らも嬉しい」


 ほころぶノアくんの顔は、きっといつもの僕と同じだったんだろうな。

 自分が作った料理を美味しそうに食べる人を見た時の、顔。



※※※



 ともあれ晩餐ばんさんが終わり、お風呂にも入って、夜の静けさがやってくる。


 当たり前だけど、我が家と違ってシデラには電気がない。天井から吊るされたシャンデリアには蓄光の魔導石が使われているけれど、それでもLEDとは比べるべくもない明るさだ。


 森の奥深くよりも街中の方が暗いのは、ちょっと不思議な気分だった。


 カレンは既に二階、寝室へと引っ込んでいた。パルケルさんとふたりで女子会みたいなことをやっているようだ。ワインの瓶を持ってあがっていた。少し飲んだだけでべろべろになっちゃうのに大丈夫かな……。


 ショコラは僕の足元で寝そべって、大角羚羊ズラトロクの骨をかじかじしている。さすがにそこそこ強い魔物の骨だけあって、噛みごたえがあるようだ。


「やっとお前の牙に敵う骨が見付かったな」

「わうっ」かじかじ。


 とはいえショコラが全力を出すと、この骨も砕いてしまう。なので、身体強化を切った上でやっているみたい。本としては、力いっぱい噛みつきたいのであって噛み砕きたい訳ではないのだ、たぶん——でもそこの調節で身体強化を利用するの、だいぶかしこいな……。


「そういやフリスビー、なかったな」

「わう」かじかじ。

「作るかあ。たぶん軽い木を削ればいけるでしょ」

 かじかじ。


「待たせたな」


 ショコラと身のない会話をしていると、ノアくんが客間に戻ってきた。

 ワイングラスを両手に持っている。中には湯気ののぼる赤い液体。


「酒は嗜まないのであったな? 煮立たせて酒精を飛ばしてある。これなら大丈夫であろう」

「わざわざありがとう。気を遣ってもらって」


 受け取ったホットワインは、胡椒入りでいい香りがした。

 対面のソファーに座ったノアくんと、軽くグラスを合わせて乾杯する。


「……美味しい」

「ヴィジリエール地方のものだ。まだ地理は頭に入っていないか?」

「ごめん、そうなんだよね……その辺の勉強もしなきゃなあ」


 ヴィジリエール地方がどの辺りにあるのかすらわからない。というか王国内なのだろうか。

 そんなことを考えながらホットワインをちびちびやっていると、


「……昼間のことなのだがな」


 ノアくんが静かに——やや控えめに、そう話を切り出してきた。


不躾ぶしつけな話題を持ちかけたこと、まずは許してくれ。まだ知り合って日の浅い相手に、詮索の過ぎた問いであった」


 ぐい、と頭を下げる。

 王族がそんなことしていいのかな、とちょっとだけ思ったが、言葉にするのはやめておいた。


「構わないよ。僕ときみは……これは、きみの血筋とか地位とかを無視して言うんだけど、親戚でしょ? 知り合ったばかりだとしても、関係は遠くとも、赤の他人って訳じゃない。こっちの世界に戻ってきたばかりの僕にとっては、大切なよすがだ」

「嬉しく思う……みうち、という言葉を、これほど打算のない響きで聞いたことはかつてないよ。王宮では、お主より遥かに遠い関係の者たちが、身内の顔をして近付いてくる」


「昼間の話は、やっぱりそれと関係があるの?」


 僕は思いきって尋ねた。

 くちばしを挟んでいいものかどうか、すごく迷う。ただノアくんはきっと、話したい——聞いてほしい、そう思っているはずだ。


「僕に言ってたよね。嫌な思いをしたことはないか、って。嫌な奴らが足を引っ張ってきたらどうするか、って。……もちろん、僕のことを案じてくれての言葉だったとは思う。それは伝わってきたし、嘘はないと思う。でも」


 嘘はなくても、その奥に。


「真意は……少し違うところにあったんじゃない? むしろきみが……きみたちが、そういう思いをずっとしてきたから。その嫌な奴らに、現在進行形で悩んでるから。だから僕に、尋いてみたかったんじゃないかな」


 ノアくんは一瞬だけ目を見開いたのち、視線を鋭くした。


「……、何故、そう思った?」

「まずはごめん。母さんから少しだけ、きみのことを聞いた」

 

 ホットワインをひと息に、半分ほどあおる。

 ほんのわずかに残ったアルコール分と、浮かべられた香辛料で喉が熱くなる。

 それで勢いを付けながら、続けた。


「王宮にいた頃と今とじゃ、なんだか言葉遣いが違ってること。王宮にいる時よりも今の方が、王族らしい口調だってこと。僕はそれを、ちぐはぐだと思った。冒険者として接してくれって言ってる割に、なんでそんな喋り方をしてるんだろうって」


 ノアくんは無言。

 だから僕は更に続ける。


「この家にお呼ばれして、中に入って、違和感があった。立派なお屋敷だ。きっと、どこかの貴族が建てたものだ。それを買い取ってリフォームした……そこまではわかる。でも、この屋敷はどこか殺風景だ。調度品があまりにも少ないんだ。絵とか彫像とか、そういう……貴族が見栄を張るために飾るようなやつが、なにひとつとしてない」


 ひょっとしたら、怒らせてしまうかもしれない。

 彼の内面にずけずけと踏み入る行為かもしれない。


 でも僕には、彼がそうして欲しそうに見える。

 僕に、踏み込んでほしがっているように見えるんだ。


「そもそもだよ。パルケルさんとふたりで住んでいて、使用人もいない。だったらなぜ、こんな大きな屋敷を買う必要があったの? 僕らが遊びに来れるようにって言ってたけど、ここまで大きくなくてもいいはずだよ」


 その不自然さと不合理さに。

 ちぐはぐな行動に、意味が——理由があるとするならば、それは。


「ノアくん。僕には、きみが……きみたちが、、そんなふうに見えたんだ。なにか困ってるんじゃないか、そう思ったんだ」



 しばらくの間、客間を無言が支配した。



 ゆっくり数えてたっぷり十、あるいは二十。

 やがてノアくんは静かに息を吐くと、可笑おかしそうに、どこか自嘲気味に笑う。


「見事だ。よもやそこまで見抜かれているとは。『天鈴てんれい』さまのご慧眼けいがんもあったとはいえ、会ったばかりのお主がこのように鋭く切り込んでくるとは思わなかった。感服したぞ」


 ソファーの背もたれに身体を投げ出す。

 そのままの姿勢で視線をなぜか窓の外へ向けて、睨み付けながら、ノアくんは言った。


「余らは……いや」


 忌々しさと鬱陶しさを、声音こわねに込めながら。






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