家に帰ってワイン煮込みを

 それからお酒と少しの食材を仕入れて、帰路についた。


 お酒は葡萄酒ワインにした。母さんも飲めるし料理にも使えるので一石二鳥だと思ったからだ。瓶で複数本を買ったので、戸棚に仕舞っておけば『食糧庫ストック』が働いてくれるだろう。


 帰り着いた時にはもう夕方近く。カレンたちに出迎えられつつ、僕はうずうずとわくわくが止まらない。

 手に入れたばかりの包丁を試したくてたまらなかったのである。


「というわけで、今夜はワイン煮込みにするよ」

「おー」

「おー!」

「わうっ」


 カレンとミントとショコラに見守られながら料理を始めていく——みんな暇なのかな?


 まずは骨付き肉の用意。今回はいのししのスペアリブを使う。

神無かんなぎ』を出刃包丁に変形させ、刃の太い根本を使いながら骨髄を露出させるように骨ごと切っていく。


『不滅』の特性を付与させた刃は、その形状と相まって太い肋骨も容赦なくスムーズに断ち割れる。少しばかり力任せにしても欠けることはなく、切れ味も素晴らしい。


 だん! だん! という音と感触は、物騒ながらも心地よく、僕は調理台の前でひとり悦にひたる。


「ミント、あーん」

「あーん……」

「美味しい?」

「うー!」


 その後ろ、リビングのソファーでは、カレンがミントにオレンジを食べさせていた。シデラで買ってきたサマーオレンジだ。

 わざわざ剥いてあげて、雛鳥みたいに口に運んでやっている。いや甘やかしすぎでは? まあ微笑ましいしいいか。


「カレン、オレンジの皮、捨てずに取っといてもらえる?」

「ん。……なんに使うの?」

「砂糖漬けにしてみようかなって」


 などと口を挟みつつ、料理の続きだ。

 微塵切りにした玉ねぎとスライスしたニンニク、それからタイムをフライパンに投入。香りをオイルに移していく。もちろん玉ねぎとニンニクの処理には『神無かんなぎ』の出番だ。薄刃包丁に変形させて、流れるように作業を進めていく。


 刃の表面には『恒常』の特性が付与されており、切った対象の成分が付着しにくく、かつ弾きやすい仕様となっている。水で軽くさっと流すだけで、肉の脂は綺麗に取れてにおいも残らない。いやこれ最高なのでは?


 オイルに香りが移ったら、軽く小麦粉をまぶしたスペアリブを入れ替わりでフライパンへ。肉汁が外に逃げないよう、肉の旨味を閉じ込めるよう、表面にしっかり火を入れる。


「ショコラ、あんまりミルク飲みすぎると晩御飯が食べられなくなる」

「わう! くぅーん……」

「かれん! みんとも、みるくのむ!」

「ん、ちょっと待ってね」


 甲斐甲斐しくショコラとミントの面倒を見ているカレンの声を聞きながら、僕は作業を続行。わいわいやってるのを後目しりめにはちょっと寂しい。ちょっとだけ。


 表面に焼き色がついたら、肉を圧力鍋に移す。

 さっきフライパンから取り出した玉ねぎを一番下に敷き、その上にスペアリブを乗せる。ワインと水を加え、顆粒かりゅうコンソメで深みも出しつつ、それからキノコとミニトマトも一緒に入れて煮立たせていく。


 ワインのいい匂いが際立ってきたところで蓋をして加圧調理開始。


 メインディッシュの肉が僕の手を離れたところで、付け合わせを作ろう。

 丸芋まるいもと人参のグラッセだ。


 包丁をペティナイフに変形させて皮き。刃の滑りもよく、するすると剥けて心地いい。丸芋と人参のサイズを合わせて切り揃えたら、フライパンにバターと砂糖、塩、香草を入れて——そこでふと思いついた。


 リビングへ振り返り、


「カレン。オレンジの皮、少しちょうだ……なにその状況」

「ん」


 ソファーに腰掛けたカレンの膝に頭を乗せ、ぐでーんと仰向けとなっているショコラ。

 そしてそのショコラのお腹に頭を乗せて、ソファーの椅子を背もたれにしてカーペットへ足を投げ出しだらーっとするミント。


「ふたりとも、お腹いっぱいになったみたい」

「なたみたいー」

「わふ……」


「ミントはいいけど、ショコラはその調子だと晩御飯抜きになっちゃうぞ」

「くぅーん」

「夜中にお腹すいても知らないからな」

「きゅーん……」


 苦笑しつつ、サマーオレンジの皮を少し拝借してキッチンへ戻る。

 グラッセの香り付けにするのだ。


 フライパンに追加で放り込み、ひたひたになるまで水を入れて火にかけた。

 沸騰させたら弱火にして、あとは二十分くらいでできあがり。


 ——になった頃、お肉の加圧も終わりだ。

 火を止めて圧が抜けるのを待つ。その間にグラッセは冷蔵庫に入れて冷ましておく。そうすると味が馴染んで美味しくなるのだ。


 僕は満足しつつ、包丁を軽く水ですすいでにやにやしながら刀身を眺めた。


 いい。すごくいい。素晴らしい。これから毎日の料理がますます楽しくなる——と、ノビィウームさんに感謝しながら腰の鞘に納める。


 洗い物も今のうちに済ませつつ、ふとリビングを振り返るとミントがうとうとし始めていた。


「おっと」


 カレンが席を外している隙だったので、僕が抱きかかえて庭に出してやる。

 既に身体の周囲、スカートやドレスから蔦が伸び始めていた。


「ミント、ここで寝たらだめだよ」

「むにゅうー……」


 外見はちっちゃな女の子でも、アルラウネの生態は人間と違う。睡眠に入ると身体を蔦と葉が覆い、蕾みたいな形状になってしまう。その間、土に根っこを伸ばして栄養を摂取するので、リビングにいるのは健康によくない。僕らでいうと、椅子に座ったまま寝落ちするみたいなものだ。


 解体場まで連れていき、土の上に立たせてやる。


「はい、ここでならゆっくり眠っていいよ」

「ん……むへへー……」

「なんの夢見てるんだろ……」


 にやにやしながらミントの身体が葉と蔦で包まれていく。いつもの形状になったのを見届けたところで、ついてきていたショコラに向き直った。


「お前は少し食後の運動してこないとな。ちょっと牧場を走ってこい」

「わうっ!」


 ひと吠えして踵を返し、だだーっと駆けていくショコラ。

 さっきはだらけてたのに起伏が激しい。

 あとでポチを厩舎に入れがてら、一緒に遊んでやるかな。


 リビングに戻ると、圧力鍋の針もちょうどいい具合だった。

 蓋を開ける。肉とワインに玉ねぎ、ニンニク、香草などが入り混じった、複雑で馥郁ふくいくな香りがキッチンにたちのぼる。


「美味しそう。もうできたの?」

「もうちょっと。最後の仕上げだよ」


 戻ってきていたカレンが問うてきたので答える。

 あとはこれを弱火でじっくり煮込んでいくのだ。


 その過程で、ハチミツや胡椒で味を整える。醤油なんかも隠し味と香り付けに少し。ちょくちょく味を見ながら、微調整。


「……スイの料理は、いつもすごく手間がかかってる」


 僕の隣で鍋を覗き込みながら、カレンが感慨深げにつぶやいた。


「私やヴィオレさまにはとてもできない」

「そんなことないよ。料理って、手順を踏んでいくだけだから」


 もちろん突き詰めていけば、包丁の技術とか経験と勘とか火加減の妙とかいろいろあるだろう。料理人としての技術という意味では、僕の腕なんてまったくたいしたことがない。


 だけど家庭料理であるなら。

 既存のレシピにのっとって、正しい分量と正しい手順で作業を進めていきさえすれば、それなりに美味しいものはできる。


「そうじゃない。違う」


 カレンは首を振った。

 僕の服の襟をきゅっと握り、優しげに目を細めながら、


「一回や二回、作るだけならスイの言う通りだと思う。私たちも教えてもらいながらなら、なんとかなるかもしれない。でも、それを毎日、毎食、私たちのために作り続けてくれてる。それも嫌々とかめんどくさそうにとかじゃなく、すごく楽しそうに作ってくれる。私たちが食べるのを、すごく嬉しそうに見ててくれる。……それは、誰にでもできることじゃない」


 そうして背伸びし、さりげなく。


「いつもありがとう」


 僕の頬に——自分の頬を合わせた。


「もうすぐできる?」

「え、あ……うん」

「じゃあ、ヴィオレさまを呼んでくる」


 カレンはくるりときびすを返し、リビングを出て二階へとあがっていく。僕はといえば、鮮やかに残るカレンのほっぺたの感触とそのぬくもりに頬を赤くし——彼女から伝わってきた熱で、まるで顔に火がついたようになっていた。


 どきどきする心臓を深呼吸で抑えながら、これってチークキスっていうんだっけ、いや挨拶の一種だしキスっていう表現は大袈裟だよね、そもそもキスっていうなら再会した時に二回も、などと考えてますます赤面して。


「はい! 仕上げがまだです!」


 誤魔化すように、誰に聞かせるでもなく大きな声を出し、スプーンを手に味見をする。もうワインのアルコール分なんてとうに飛んでいるはずなのに、お酒を口に入れた時みたいにくらくらした。

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