もっと勢いのある人だ……

「その人の名前は、ノアップ=メリル=ティ=。ソルクス王国の第三王子」

「はははは! 身分など気にするな、いまの余は冒険者だと言ったろう?」


 カレンの解説と、当の本人の豪快さに、僕は天井を仰ぐ。

 ——いやこれ、どうしよう。


 ソルクス王国の第三王子?

 王様の息子?

 つまり、とてつもなく偉い人……?


 この世界の王侯貴族に対する礼儀作法ってどんななんだろう。ひざまずくとか頭を下げるとか、そういうの必要なんじゃないか。でもカレンはおろかベルデさんやシュナイさんも普通に突っ立ってるしなあ。ショコラはどう思う?


「くぅーん。わうっ!」

「よしよし。少し待っててね」


 カレンとたわむれてました。

 おまえ……主人が困ってるのに……!


「あの、すいません。僕、礼儀作法に疎くてですね……なにか失礼があったら」

「そのようなものは気にするなと言っただろう! 普通に、いち冒険者として接してくれればいい。だいたい、お主の御母堂ごぼどうは『鹿しかち』を持っているのだぞ? 失礼があって困ることになるのはお主ではなく、むしろ余の……」


 その時だった。


「いい加減にしな!」


 ばちこーん! と。

 物凄い音とともにノアップ殿下の頭部が、引っぱたかれる。


「……っぁ!?」


「あんた、ぐいぐい行きすぎ! 相手さん困ってるでしょ?」


 怒号めいた叱責とともにそこに立っていたのは、少女だった。

 ——獣人だ。


 ふんわりとしたボブカットの頭部に、狼っぽい耳が生えていた。背後にゆらゆらと揺れる尻尾を覗かせている。街でときどき見かけることがあるが、間近で会うのは初めてだった。一瞬、作り物なんじゃないかと疑ってしまうほど、日本育ちの身には現実感がない。


 殿下と同様に冒険者風の装束に身を包んでいるが、こののはやたらと露出が多い。手足はもちろんお腹も出ていて、防御力とか心配になる。


 顔だちも可愛らしく——イケメンの殿下に対し、こちらはくりくりとしたタイプだが、なんにせよ誰もが目を奪われるだろう。


 で、その獣人の少女は、


「あのねえノア。いくら冒険者として来てるからって、周囲はあんたのこと知ってんだから。そうなったら、あんたがってだけじゃ済まないの。王家に取るべき態度ってのを意識しちゃうの。おわかり?」

「まったく……そこが面倒なのだ。こういう時にやりにくいことこの上ない。いっそ父上たちもこのような放蕩ほうとう息子のこと、勘当なりしてくれればいいものを」


「王族を抜けたら、あたしたちも婚約者じゃなくなるけどいいの?」

「それはよくない! 余はパルケル、そなたのことを愛して……」

「いま言うことか!」


 ばちこーん!

 二度めの平手が、殿下の頭部をはたいていった。


「え、なにこれ……なに?」


 僕は呆然とするしかない。

 婚約者? この王子と、この獣人の娘が?

 まあそれはいい。いいとして、なんで王族とその婚約者が、ふたりして冒険者みたいな格好をして、こんな辺鄙へんぴな場所にいるの。


 途方に暮れている僕の横に、カレンがすっ、と立ち、耳打ちしてきた。


「スイ、安心して。獣人にとって頭に触れるという行為は、親子やにしかしない最上級の親愛。パルケルのあれは単に、どつくと見せかけてじゃれているだけ」

「異文化への理解を深めさせてくれてありがとう。まあ、そこ知りたかった訳じゃないけど……」


「ノアップ殿下のことはあんまり気にしなくていい。昔からあんな感じだし、両陛下も諦めてる。普通に接すればだいじょぶ」

「カレンは、知り合いなの?」

「ん、そこそこ。でも親しいのは殿下よりも……パルケル、久しぶり」


「カレン! ご無沙汰してた!」


 名を呼ばれた獣人の少女——パルケルさんは、ノアップ殿下を脇にぐいと追いやり、カレンの元へ駆け寄ってきて抱き締める。


「そっちが例の彼? 再会おめでとう! よかった、よかったねえ」

「ん、ありがと」


 カレンはくすぐったそうに微笑み、


「改めて紹介する。こっちがスイ……融蝕ゆうしょく現象でこっちに戻ってきた、私の幼馴染」

「『天鈴てんれい』さまのご子息だね。初めまして!」


 パルケルさんが僕へ向き直って、にこりと太陽のような笑みを見せる。


「あたしはパルケル=イオタ。正式な名乗りをあげるなら、パルケ・ルル=ヱ・イオタ。獣人領代表総督アズジウの第十三にして、そこのノア—— ソルクス王国第三王子ノアップの、婚約者だよ」

「えっと、初めまして。スイ=ハタノです。社会的な身分とかは特にないし、こっちの世界の作法に疎いんで、失礼があったら申し訳ないんですけど……」


「そういうのはなしでいこう。あなたはあたしの友達のおも……こほん、幼馴染だし、あなたの出自を考えたら、むしろ礼を尽くすべきなのはあたしたちになっちゃうから」

「そう言ってくださると助かります、パルケルさんと呼んでも?」

「さんも要らないけど、そこはお好きに。あたしはスイと呼ばせてもらうね」


 ファーストコンタクトのインパクトが強すぎたのでどうなることかと思ったが、無難な感じに落ち着きそうでほっとした。カレンの知己だったというのも大きい。


「……ところで、おふたりはどうしてこんなところに?」

「うん、それは……」


 なので肝心の、僕らに会いにきた経緯を尋こうと思った。

 パルケルさんは頷き、話してくれようとした——が。


 彼女の目線が僕の斜め後ろに行き、そして止まる。

 そこにはお座りをした、うちのかしこい愛犬がいて


「くぅーん?」

「あ、そうだ、紹介します。こっちはショコラ。我が家の……」


「クー……シー?」


 愛犬です、という僕の言葉を遮るように。

 パルケルさんは呆然とつぶやき、直後。


 ショコラの前に、ジャンピング気味に正座した。


「ああ……妖精犬クー・シー! 我らが祖にして神々の使徒、まさかこんなところでお目にかかれるとは!」


 そのまま俯き、重ねた両手、親指の付け根辺りを額に当てて拝み始める。


「父祖たちよ、感謝します。谷から来たる災いを退け、谷から溢れる恵みを分ち賜るその御心に感謝します。ここで守り神に出会えた幸運に感謝します」

「わふ……?」


 唐突に目の前で祈りを捧げられ始めたショコラは首を傾げる。それでも僕の後ろへ隠れないのは、空気を読んだのだろうか。


「……忘れてた」


 カレンがしまったとばかりに苦笑いした。


「獣人領の一部で、クー・シーは信仰の対象。特にパルケルみたいな狼族は、父祖として崇めている。見かけたら捧げ物をして、跪いて祈るのがならわし」

「そっかあ……」


「スイ、余のことも遠慮はいらん。ノアと呼んでくれ!」

「いやどんなタイミング!? 婚約者が祈ってるのに?」

「愛しき人の信仰とはいえ余には関係ないことだからな! 待っていては話が進まんだろう? 今のうちに余も自己紹介をしようと思ってな」


 もうなんなのこのふたり。


 僕は助けを求めるように、ベルデさんとシュナイさんを仰ぎ見る。

 ふたりは壁に寄り添うように置物と化していて、僕の視線に、つい、と目を逸らした。

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