その4『幼い思い出と銀の腕輪』

第三王子、襲来

なんか勢いのある人だ

 じわじわと上がってきた気温は夏の到来を予感させる。


 木々に囲まれた森の中は都市部よりも涼しいため、家で暮らしているとそこまで暑さは感じない。だけどシデラにおもむいて街の中を歩くと、じわりと汗が滲む。聞いたところによると、ここから半月ほどをかけて本格的な夏となるそうだ。


 とはいえ日本の猛暑に鍛えられた僕にとっては、正直なんてことない。


 そもそもの気温とか湿度の違いもあるんだろうけど、なによりアスファルトやコンクリートからの輻射ふくしゃ熱がほぼないのが大きい。陽射しの強さもさほどではないように思える。


 だから日本の、外に出るとクラっとくるあの感じがもはや懐かしく——いやごめんなさい、もう体験しなくていいのならそれが一番です。


「そういや、アイスとかあるのかな、こっち」


 隣を歩くカレンに問うと、彼女はこくりと頷く。


「ん、アイスクリームならある。もうすぐ大通りに露店が出始めると思う」

「そっか、魔術で割と手軽に冷やせるもんね」


 アイスクリームの原料はミルクと砂糖、卵黄に生クリームだ。バニラエッセンスみたいな香り付けできるものがあるとなおいい。ミルクと砂糖と卵黄を混ぜたものを沸騰直前まで温めてから生クリームを入れて更に攪拌、あとは冷やすだけ。


「喫茶店のお茶にも氷浮いてるもんなあ」

「喫茶店といえば、トモエのお店、とうとう行列ができ始めたみたい」

「まじか」


 雨季に入って以降、トモエさんとは連絡を取っていなかった。トマトジュレのレアチーズケーキだけじゃなくて、知ってるレシピを二、三教えていたのだが——どうもそれらもしっかり商品化し、噂を呼んで大繁盛しているらしい。


「忙しいなら、気軽にお店に行くのが憚られるな……」

「そんなことない。トモエはいつでも来ていいって言ってた。なにせスイは功労者。常に特別優待席が確保されてる」

「……行きたいの?」


「私はあくまで事実を述べているだけ。トモエはスイのことを歓迎してる。ケーキも食べ放題。むしろ繁盛してるなら様子を見に行かないのは失礼」

「ケーキ、食べたいの?」

「繰り返すけど、私はあくまで事実を述べているだけ」


「そっかー。じゃあ僕ひとりで行ってこようかなー。トモエさんが歓迎してるのはあくまで僕なんだよね?」

「スイ? なんでそんなこと言うの? 私とショコラに申し訳ないと思わないの? 私とショコラのことはどうでもいいの? 自分さえ良ければいいの?」

「わう! わうわうっ!」

「……ショコラを味方につけたかあ」


 ショコラもあの店が出すミルク、好きなんだよね……。


 縞山羊しまやぎのミルクなら竜族ドラゴンの里でも手に入るのに、なぜか食いつきが違うのだ。品種とか生育環境とかの違いが味に出てるんだろうか。

 ……まあ、里から仕入れたミルクもめちゃくちゃ飲むんだけども。


「わかったよ。あとで、時間に余裕があったらね」


 シデラの滞在は意外に、スケジュールがぱつぱつだ。


 そもそもジ・リズを待たせている中で、悠長にだらだらする訳にはいかない。その上で、用事があって赴いているのだからその用事を手早く済ませる必要がある。基本いつも、長くても二時間を目安に帰れるようにしている。

 家で、母さんとポチとミントも留守番してるしね。


「ん……でも今日は、ギルドに行くだけのはず」

「まあ、そうだね。顆粒かりゅうコンソメの進捗しんちょくについてクリシェさんと話をして、おばあさまに挨拶して、あとはノビィウームさんのところに寄って、鉄に魔力を込めれば終わり。早く済ませられたら『雲雀亭ひばりてい』に行こうか」

「スイ。せっかくだから、おばあさまも誘おう」

「そうだね、仕事が忙しくなければいいな」

「わうっ!」


 和気藹々あいあいと会話しながら、中央通りを進む。

 やがて目的地へと辿り着き、エントランスを潜って屋内へ。

 

 冒険者ギルドの建物は、な造りをしている。


 ロビーは広く、円形のテーブルと椅子が幾つか設置されていて、待合室と談話室を兼ねている。ちょっとした飲み物や軽食なんかも出るそうだ。


 進んで正面突き当たりは、左右に受付カウンターと中央に昇り階段がある。


 階段の先、二階は会議室や執務室、応接室などがある。支部長のクリシェさんが普段詰めているのはそこ。


 階段で仕切られる形で並ぶ左右の受付カウンターは、それぞれ用途が違う。左半分は一般来客用で、なにか依頼がしたい人はそっちに行く。

 その隣——右半分は冒険者用の受付だ。依頼受注と達成報告、報酬受取はこっち。

 

 では狩ってきた魔物や採取してきた素材はどこに持っていくのかというと、正面玄関ではなく右に回り込んだところに、専用の搬入口がある。


 来客者に物騒なものを見せないための配慮だそうで、僕は最初、このことを知らずに正面玄関に二角獣バイコーンの死体を持ち込もうとして全力で止められてしまった。その節は本当にご迷惑をおかけしました……。


 今回は当然、素材の持ち込みはない。

 正面階段の先、クリシェさんに用がある。


 ロビーでは数組のパーティーが卓に座ったり掲示板を眺めたりなどしていた。見知った顔もそれなりにいる。


「お、スイさんだ」

「久しいな、元気だったか?」

「スイくん、カレンちゃんも! いらっしゃい」


 僕らの姿を認め、口々に挨拶してくれる。


「今日はどうしたんすか? またギルマスと会議? たいへんっすねえ」

「おう、あのスープになる粉、試用させてもらってるよ。いいもんだなあ」

「そうそう。依頼中にあんな美味しい料理が簡単に作れるなんてすごいわ。あとは値段なのよね……どれくらいに落ち着きそう?」

「はは、それいま言っちゃダメなやつじゃないすか?」

「それもそうか。でも、できるだけ安くお願いね?」


 どうもベルデさんが僕らのことを話してくれているようで、みなさんやたらと好意的で恐縮してしまう。


 日本にいた時に読んでいたフィクションだと、こういう時、ガラの悪い連中に絡まれたりしてたんだよね……。でもそれはむかし、父さんが消化したイベントなのだった。しかも父さんに絡んできた相手が、今は僕が絡まれないように気を配ってくれてるのである。

 

「ええ、クリシェさんとの打ち合わせです。あ、コンソメはもちろん、可能な限り努力しますよ。でも最初はやっぱり少し割高になっちゃうかな……量産体制が整わないことには」


 頭を下げつつ質問に答える。コンソメの評判は少なくとも味と扱いやすさに関しては上々のようで、今はみなさん、値段を気にしているらしい。


 同時にロビーを見渡すが、ベルデさんの姿は今はない。森に出ているのだろうか?


「それですいません。約束の時間がもうすぐなので、また後で。味の感想とか希望の値段とか、レポートで出してくださってるんですよね? ありがとうございます、本当に助かります」

「そのくらいはお安い御用だ。まあ、安くして欲しいってのは正直なところだが、お前さんが悪どいことをせんってのはみんなわかってる。むしろギルマスが商売っけを出しすぎないかの方が心配だわ」


 ベテラン風の冒険者さんがそう言うと、一同が「違いねえや」と笑う。

 確かにクリシェさん、けっこう油断ならないんだよね……。


 僕らは苦笑しつつみなさんに手を振り、二階への階段をのぼった。

 すると果たしてそこには、熊みたいな巨躯のいかついおじさんと、ニヒルな顔付きのくせに妙な人懐っこさのある、痩身の男性——、


「ベルデさん、シュナイさん。こんなところにいたんですね」


「おう」とベルデさんは片手を挙げ、

「ああ」とシュナイさんが腕を組んだまま肩をすくめる。


「これから支部長と打ち合わせなんです。ベルデさんたちはこれから探索ですか? それとも……」

「それなんだがな、スイよ。俺ら、お前らを待ってたんだよ」


「え?」


 何気ない世間話のつもりで問うた僕は、ベルデさんの返答にきょとんとした。


「どうかしましたか? コンソメの件でなにか……」

「いや、そうじゃねえんだ。ギルマスにも一応、許可を取ってる。それから『零下れいか』さまにも。すまんが、打ち合わせの前に、時間をもらえんか」

「それは構いませんけど……おばあさまにも?」


 おばあさま——セーラリンデ=ミュカレは『零下』の魔眼を持ち、魔女の称号を与えられている。前国王の弟に嫁いでおり、王立魔導院の院長を務めたこともある、要するに国の重鎮で、ものすごく偉い。


「……おばあさまが許可、というか介入するようなことなの?」


 カレンも怪訝な顔をした。


「ああ。俺も正直、だいぶ面食らったんだがよ……向こうはいち冒険者として扱ってくれればいいって言うし、だったら俺らもそのつもりだったんだが、さすがに立場が立場ってことで『零下』さまにも話が行ってな。ギルマスと一緒に、応接室で待ってる。ただまあ、お前たちはそんなに気負わずに……」



「来たか!」



 バーン! と。

 ベルデさんの言葉を遮るように、背後、応接室の扉が勢いよく開いた。


 顔を出す——というか、身体ごと飛び出てきたのは、ひとりの青年だった。

 外見は僕と同じか、それより少し上くらい。魔力で若さを維持しているふうではないから、たぶん見た目通りの年齢だろう。


 茶褐色の髪はざんばらで、無造作というかやんちゃな感じがある。

 ただ一方、顔の造形はめちゃくちゃ整っていた。つまりイケメンだ。爽やかで、透き通っていて、どことなく気品すら感じられる。ワイルド系の髪型と合わせてどこかちぐはぐだけど、イケメンっぷりが違和感を覆い隠してるみたいな。


 背もすらりとして、姿勢も良く、冒険者風の装いなのに貴族みたい。腰に差したレイピアも拍車をかける。レイピアって魔物相手でもいけるのかな……。


「おお、お主がスイ=ハタノか! なるほど御母堂ごぼどうの面影がある。いやあ会えて嬉しいぞ!」

「あ、はあ……はい」


 ずんずん近寄ってきて、がっしと手を握られ、ぶんぶんと振られる。

 僕は呆気に取られたままだ。


 御母堂って言ったけど、母さんを知ってる?


「トトリア嬢も久しいな! 健勝であったか? 念願が叶ったこと、余も喜ばしく思う。いや、本当に良かった」


 僕の手を握ったまま、カレンに向かってにっかりと笑うイケメン。というかカレンをミドルネームで呼ぶ人、初めて見た。


 そして当のカレンは困惑——いや、呆れ顔で、イケメンを見ている。

 やがて溜息混じりに、言った。


「……ノアップ殿下。こんな場所まで、なにをしに?」

「ははは、殿下はやめてくれ。余は冒険者としてシデラに来たのだ。父上と母上から『天鈴てんれい』さまのご子息のことを聞いてな」


「あの……」


 そこまでまくし立てられて、僕は嫌な予感を覚える。

 ——というよりも、このイケメンとカレンとの間で交わされる会話の端々に、不穏な単語が見え隠れしていたのだ。


 余、とか。

 殿下、とか。


「あなた、もしかして……」

「ん、スイの思ってる通り」


 僕の推測に、カレンがやれやれとばかりに首を振りながら答えた。





「その人の名前は、ノアップ=メリル=ティ=。ソルクス王国の第三王子」

「はははは! 身分など気にするな、いまの余は冒険者だと言ったろう?」


 豪快な笑い声とともに肩をばしばし叩かれながら、僕は天井を仰いだ。

 ——なんかすごいのが、来ちゃった。

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