森の中でにぎやかに

晴れ間が覗いたら

 ずっと激しかった雨足が弱まってきたのは、母さんの昔話を聞いて一週間ほどが経ってからだった。


 今年の雨季明けは少し早いかも、とはカレンの弁。彼女の言葉通り、そこから更に三回の夜を経て——久しぶりに雲の切れ目から、太陽が顔を出した。


 そしてその朝日を浴びると、ミントがはしゃぎ回るのである。


「おひさま! おひさま!」


 くるくるとその場でターンして、ぱあっと両手を広げる。満面の笑みでその手を空に伸ばし、降り注いでくる陽光を全身で浴びようとする。


 カレンが後方腕組み保護者ヅラをしながらうんうんと頷き、


「ミントは雨と晴れ、どっちが好きなの?」

「うー……どっちもすき!」


 母さんがにこにこしながらそんなことを尋いている。


「あめ、つめたいくてすき。おひさま、あったかあですき!」

「どっちもミントにとっては栄養だもんね」


 植物の魔物には水も陽光もバランスよく必要だ。雨季の間は雨が降らない時もほぼ曇っていたから、久しぶりでことさらなんだろう。


「あおん! わんわん!」


 ショコラも楽しそうに庭を駆け回っていた。でもお前、雨の日も泥の中で転げ回ってたからね? マジで大変だったんだからね?


「くぅーん?」

「まだぬかるんでるところも多いから気を付けるんだぞ。汚れたらシャンプーだからね?」

「ぎゃうん!?」


 庭の横手から牧場に出る。広々としたそこは雨上がりの平原って感じで、庭とはまた違ったおもむきがあった。まだ牧草が植えられていない区画はあちこちに水溜りができている。そろそろ次の種を蒔く時期かな。


「ポチ。お前はまだおねむかな」

「きゅるるぅ……」


 牧場の片隅、厩舎の前で四肢をたたんで休むポチ。目は細められ、半ば微睡まどろんでいるようだ。


「今日からはぼちぼち日向ぼっこもできるようになるぞ。でも、すぐに夏が始まるから準備を急がないとね」


 どのくらいの暑さになるのかわからない。さすがに日本の夏みたいなことにはならないと思うけど、一応ここ魔境って呼ばれてるし、とんでもなく過酷な夏が来たりしたらどうしようという不安もあるんだよな……。


「お前の家、風通しをよくしないといけなかったりするかもだし」

「ん、だいじょぶ。この辺りの気候だと、夏はそこまで暑くならない」


 いつの間にかカレンが僕の隣にいた。


「そうなの? 森の中だけ異常に蒸し暑くなったりとかしない?」

「スイは少し勘違いしてる。『神威しんい煮凝にこごり』は、あくまで魔力坩堝るつぼが発生しやすく消えにくい、というだけの場所。気象や四季まで歪んだりはしてない」

「強い魔物や変わった植物なんかがたくさんいるのは、単に土地の魔力が高いから? で、気象は魔力の濃さと関係ないってことか」

「ん。まったく無関係な訳じゃないけど、そこまで気にしなくてもいい」


「ぽちー! あそぶーー!!」


 真面目な会話をしている僕らの横をミントがたったか通り過ぎていく。


「きゅる……」


 当のポチは未だ眠そうで、ミントの声かけにも身じろぎひとつ。

 だがそんなことお構いなしとばかりに、


「ぽちー!」


 えい! とジャンプし、ほっ、と足に捕まり、んしょ、と胴を伝って、はっ! と背中まで到達。そのままポチの背中でぴょんぴょん飛び跳ね始める。


「たかい! たかい!」


「かわいいけど、大丈夫かな……危なくない?」

「たぶんミントなら落ちても平気だとは思うけど……」

「わうっ!」

「そっか、お前が見てくれるか、ショコラ」


「すい、かれん、ちいさい! みんと、おおきい!」

「はは、ミントの方が背が高くなっちゃったね」

「むふー」


 ちなみにポチはそのまま目を細めている。あんまり気にしてないみたいだ。……ミント的には一緒に遊んでるって認識だし、ポチはそのまま居眠りできてるし、まあいっかこれで。


 ポチの背中の上ではしゃぐミントを眺めつつ、その足元でじっと控えているショコラに頼もしさを覚えつつ、夏に向けてなにを準備すればいいのかをカレンと相談した。


 幸い、家にはクーラーが完備されているから屋内では快適に過ごすことができるだろう。ポチの小屋は様子を見つつ、必要に応じて改装する。畑には夏野菜を植えたいな。倉庫を漁ってオクラとかきゅうりとかの種がないかを探しておこう。


 あとは夏服と——風鈴なんかもあるとみやびでいいかもしれない。ノビィウームさんに相談してみようか。


 ——そんなことを話していると、


「スイくん、カレン。少しいいかしら?」


 母さんが背後から僕に声をかけてきた。


「どうしたの?」

「少し相談があるのだけど。私の伯母さまのことよ」


 伯母さま。

 母さんの父親の姉にあたる、セーラリンデさん。


 この前の、昔話にも出てきた人だ。

 家出した直後で荒れていた時の母さんに、いろいろな世話をしてくれた人。世間の常識とかまともに生活する方法、それに他者との接し方など——たくさんのことを教わったと言っていた。


 父さんと結婚する際に反対され、以降しばらく疎遠になり、だけど僕と父さんが地球あっちに飛ばされた後は、僕らとの再会に全力を尽くす母さんになにくれと協力してくれていたらしい。


 そしてそれは、今も継続中だ。


 シデラの街に備蓄してある僕らのための物資管理や、街と王国との折衝せっしょう、果ては母さんの資産運用まで、セーラリンデさんの仕事は多岐にわたる。その上で『魔女』の称号も持ち、国の重鎮でもあり——いやこの人、すごくない?


「今までずっと、お母さんも伯母さまも迷っていたのだけど……スイくんたちにね、あの人のことを紹介したいの。昔話をして、改めて思ったわ。——あの人はきっと、私の親になろうとしてくれてたんだなって」


 行き違いや価値観の違いがあって、叶わなかったけれど、と。

 母さんは少し寂しそうに付け加えた。


 今までずっと僕らの前に姿を表さなかったのは、その『行き違い』が尾を引いているようだ。


 父さんとの結婚を反対し、どこかの貴族を紹介すると言ってしまった。それをセーラリンデさんは、今でも後悔しているとのこと。


 そして母さんも同様に——僕らに自分の生まれと育ちを話せずにいた。とすると自然、セーラリンデさんのことも紹介できない。


 お互いがそうやって躊躇ためらっていたのか。


「だからあの人にはやっぱり、私の家族に会ってもらいたいの。私がちゃんと幸せでいることを……見てもらいたいのよ」

「うん、僕らも挨拶したい。大伯母さま、になるのかな?」

「ん。話は聞いていたし、私が『魔女』をもらう時も推薦してくれたって聞いてる。お礼を言わなきゃってずっと思ってた」


「ありがとう、ふたりとも」


 母さんはそんな僕らの返答に、嬉しそうに笑む。


「せっかく夏に向けての準備をしようとしてたのに、ごめんなさいね。みんなでシデラに行くのは大掛かりだし、時間も使うことになっちゃうわ」


 申し訳なさそうに言う母さん。

 僕はそこで首を傾げた。


「どういうこと? ひょっとして、僕らが全員でシデラに行くの?」

「だって、紹介するならスイくんたちだけじゃなくて、家族全員じゃないと」


「……ああ、そういうことか」


 僕は話の齟齬そごに気づいた。

 というかこれ、母さんはきっと無意識なんだ。


 たぶんセーラリンデさんに対して遠慮があるのだろう。それから僕らに対しても——これは遠慮というより、一歩引いてしまっているんだ。僕らのことを想うあまり、『母親』として子供の後ろに立とうとするあまり、気付いていない。


 この家は、僕だけのものじゃないってことに。

 だから僕は、首を振って言う。 




「母さん、大切な伯母さんなんでしょ? だったら僕らが行くんじゃなくて、来てもらおうよ。僕らの……に、伯母さんを招待しよう」

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