終夜に、可惜夜を
親子みんなで、一緒に寝ることにした。
客間に布団を敷いた。押入れから人数分を出していると、母さんが懐かしそうな顔をする。聞けば、僕が赤ん坊の頃——寝室が手狭だったから、ここを使って寝起きしていたそうだ。
「私も一緒だったの?」
カレンが問う。
「ええ、そうよ。言葉を覚えたての頃でね。すい、すい、って、スイくんのことばかり気にしちゃって」
「むう。覚えてない」
「スイくんを構いすぎて泣かせちゃって。それでびっくりして、あなたもわんわん泣き始めて。大変だったのよ? それでも……愛おしかったわ、たまらなく」
布団は母さんを真ん中に、左右に僕とカレン。
母さんとカレンの間にショコラがちゃっかり丸まっている。
電気が消えると、それぞれが布団に潜り込む音。
正直、この年齢で母親の隣に寝るのは恥ずかしい気持ちもあった。おまけにその向こうにはカレンまでいる。母さんのお陰で意識せずには済むけど、いったん意識し始めたら眠れなくなるかもしれない……。
ただ、恥ずかしいとか、気を抜くとどきどきしてしまうとか、そういう気持ちは枕を並べてすぐに消えてしまった。
記憶にはなくても覚えている。思い出せなくても知っている。
まだ幼く、物心もついていない頃、僕はこの人の横で眠っていた。
誰もいない右側が寂しいのはきっと、挟まれていたからだ。
「昔とは逆になっちゃったわねえ」
感慨深げな母さんの声が、闇に溶ける。
「昔は、あなたたちを挟む形でお父さんとお母さんが寝ていたわ。ショコラも一緒よ? 『川の字には二本多いな』って、お父さんが言ってた」
「縦線を三本で『川』って意味の字になるんだ。真ん中の線が他より短い。だから、両親が子供を挟んで寝ることをそう
線の多さはきっと、父さんにとって愉快なことだったんだろうな。
「そんなあなたたちが、こんなに大きくなって、お母さんを挟んで寝てくれる」
「挟まれるのも、悪くないでしょ?」
「ええ、そうね。私は子供の頃、こんな経験しなかったから。いいものだわ……どっちを向いても、家族がいる」
ごそりと寝返りを打つ母さん。
左を向けばカレンが微笑み、右を向けば僕と視線が合う。
菫色の瞳が、柔らかく細められる。
「スイくんの目が闇に溶けてる。『
「父さんにもよく言われた。お前の目は真っ黒だな、って。思い返すと、なんだかしみじみした顔をしてたな」
「ふふ。こっちに戻った時のことを想像してたのね……闇属性を示す
「父さんの魔眼はなんていう名前だったの?」
そういえば知らないな、と思って尋いた。
前にちらっと耳に挟んだことがあったっけ、なかったっけ……。
瞳の色には個人の魔力色が
その名は、世界によって付けられるそうだ。
一定以上の強い魔力を持ち、ある程度以上の魔導を使えるようになると、心の
母さんは屋敷を焼いた日、
僕はベルデさんたちを助けた時、可惜夜を
カレンの経緯は聞いていないけど、どこかの切っ掛けで
ショコラは……お前の目にも、名前はあるのかな?
「くぅん?」
「あら、どうしたの?」
僕の気配に反応して喉を鳴らしたショコラを母さんが撫でて、
「お父さんの魔眼はね。『
夜通し。ひと晩じゅう。
——
「ちょっと前から、疑問に思ってたんだ」
父さんの——少しだけ茶色みがかった優しい目を思い出しながら、僕は言った。
「この世界に戻ってきて、シデラの街に行った時。ベルデさんから、父さんの話を聞いて……仲間たちも、みんなそれを知ってて」
彼は昔、横暴で身勝手な性格だったという。
でも父さんにとっちめられて、更には助けられて、改心して——今、彼の周りに集っているのはみんないい人たちばかりだ。ベルデさんの
「街に何度も行ってるけど、僕は妙な連中に絡まれたことがない。考えてみたら、おかしな話なんだ。だって僕は母さんと父さんの子供で、自分で言うのもなんだけど、けっこうでたらめな魔術を使えて……国にとって、利用価値があるはずなんだ」
母さんが両親と祖父母にやられたことみたいな——権威権勢に役立てようとか政治的なあれこれに使おうだとか、あるいはもっと直接的な、武力として求めるとか。
脅して無理矢理言うことを聞かせる、お金や女性で釣っていいように操る、味方のふりをして取り入った上で自発的にあれこれやってくれるよう誘導する。ちょっと考えただけでも、悪い奴らがやってきそうなことは沢山ある。
「こんな深い森の中に住んでるから手出しできないっていうのはもちろんあるよね。でも、本質はそこじゃない。もしもこの家が『
闇の中、静寂、外から聞こえてくるしとしとした雨音。
僕は——布団から出した手を上に伸ばして虚空を撫でながら、言う。
「父さんと、母さん。それにカレン、会ったことはないけどたぶん、セーラリンデさんも。みんなが、僕を守ってくれてたんだ。変な横槍が入らないように。こすずるい奴らが近寄ってこないように。悪いもの、僕を害そうとするものを……みんなが、引き受けてくれてたんだね」
それはきっと僕が生まれる、遥か前から。
父さんと母さんが出会い、お互いを好きになり、結婚する過程で。
ふたりの行く手を遮る者たちを、蹴散らしていった末に。
「僕は、父さんと母さんたちが慣らしてくれた地面の上に立ってる。地に足をつけてしゃんとしていられるのは、家族みんなが地に足をつけて生きてきたからだ。暗い夜を歩いてきてくれた人たちが隣にいるから、僕は夜明けを惜しんでいられる」
それは、そのことは、きっと。
ああ——きっと、とても贅沢で、幸せなことなんだろう。
「そっか」
母さんは僕の感慨に、ぽつりと。
深く息を吐きながら、応えた。
「だったら、私が生まれてきたことに意味はあったのね。お父さんと一緒に歩んできた道……その先に、スイくんとカレンは立ってて、更に先を歩んでいくのね」
「なに言ってんの。母さんも一緒に行くんだよ」
「ん。今日みたいに……私とスイに挟まれて、ヴィオレさまもいっしょ」
冗談めかして笑い合い、ショコラが「くぁ……」と欠伸をし。
いつしか僕の意識は、深い闇へと堕ちていく。
※※※
そして左右から聞こえてくる寝息の中、密やかなつぶやきが夜に
「カズくん、ありがと。私、幸せだわ」
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