愛しい家族たちと
そうして昔話は終わる。
——母さんの両親、そして祖父母の死をもって。
少しだけ俯いて
やがて母さんは再び、おずおずと口を開く。
「今でも、思い悩んでるわ」
独白のように、
「私は果たして、あなたたちの親にふさわしいのか。……人の親である、資格があるのか」
そして、自問のように。
「あの人たち……両親が病に倒れたと聞いた時、私は無視をした。お見舞いに行く気もなかったし、ましてや最期を看取るなんて欠片も思い浮かばなかった。母親だった人から送られた手紙は、一度だけ目を通した後、燃やして捨てたわ。父親だった人が私の部屋の前で死んでいたと聞いた時、だからなに、としか思わなかった。祖父母も同じ。私にとってはただの他人でしかなかった」
「……屋敷はどうなったの? それから、爵位とか領地とか」
「セーラリンデ伯母さまにすべて任せたわ。十二の時に出て行ってから、一度も帰っていないし」
言葉は、遠い。
それは母さんの心の距離だ。
「私には、親子っていうのがどういうものなのかわからなかった。あの人たちの気持ちが全然わからなかった。いったいなにを考えて、私を無視していたんだろう、居ないもののように扱っていたんだろう。なのに力があるとわかった瞬間、どういうつもりで掌を返したんだろう。粗雑に扱った挙句に家出された家族を、どうして自分たちの道具みたいに考えることができたんだろう、って」
「母さん……」
「でも、でもね」
母さんは顔を上げた。
頬には涙が伝っている。父さんが死んだと聞いた時も、ビデオメッセージを見ていた時も、僕の——息子の前では決して流そうとしなかった涙が。
「ヘルヘイム渓谷でカズくんが、ショコラを拾った。まだ子犬で、ころころしてて、それがね、私の指を、ぺろって舐めたの。まるでおっぱいを吸うみたいに。あったかい舌と、あったかい体温が伝わってきた」
ショコラを撫で、
「カレンが生まれた時、私も立ち会った。わんわん泣くあなたの顔と、ちっちゃな指。疲れ果ててぐちゃぐちゃなのにとても綺麗なエクセアの笑顔と、バカみたいに泣くルイスのこと、今でも覚えてる」
カレンを見詰め、
「スイくんを産んだ時、やっぱりわからないって思った。……私のお腹から出てきた赤ちゃん。私とカズくんの血を分けた命。小さな、でもそこにいる、命。柔らかくて、小さくて、か弱くて、それでも生きてる。私の腕に、
僕を見詰めて——ぽろぽろと泣きながら、言う。
「私は今でも、あの人たちの気持ちがわからない。ショコラも、カレンも、スイくんも、それにポチやミントだって。この世に生まれてきてくれた。ここにいてくれる。私の家族になってくれた。それだけ……たったそれだけで、こんなにも愛おしいのに。幸せになって欲しいのに。守りたいのに。力があるかどうかとか、魔導の才能があるかどうかとか、その気持ちになんの関係もないのに」
悲痛な声で。
「だから私は、自分に資格があるかわからないの。あなたたちの親である資格が、あなたたちの親に相応しいのか……親って、なんなんだろう。どうすれば親になれるんだろう。どうすれば、私みたいな欠陥品が、親として……」
「母さん!!」
僕は叫んだ。
思わず——意図せず、衝動的に大きな声が出た。
「……っ」
母さんの言葉が止まる。喉が震えている。涙が落ち続けている。
だから、僕は。
母さんの息子の、僕は。
「子供の頃。こっちで過ごした記憶をなくしてた頃。母親は失踪した、って聞かされてた」
立ち上がり、母さんの隣に座りなおして。
その両肩を、掴む。
「記憶をなくしてたのもあって、当時はそれで納得してた。そうなんだ、くらいに思ってた。でも……父さんは、僕に言ったよ」
握る力とともに、声を強く。
強く、強く。
「母さんは、僕のことを愛していた、って。もちろん父さんのことも愛していた、って。今でも母さんは、
母さんの目が見開かれる。
僕を見るその瞳にはたぶん、もうひとりの姿が重なっているはずだ。
「なあ、ショコラ。ショコラは母さんのこと、家族だと思うか?」
「くぅーん」
ショコラは母さんの手、その指をぺろぺろと舐める。
「カレン。きみは自分と母さんが、どういう関係だと思ってる?」
「ん。ヴィオレさまは私たちの家族。私は、この人の
カレンは翠色の目を細め、母さんに笑む。
「母さんの両親……僕に取っての祖父母を、会ったこともないのに悪く言いたくはないけど。その人たちはきっと、母さんのことを娘として扱ってなかった。自分の子供だなんて思ってなかったんだ。だから母さんも、その人たちを親だと思えなかった」
そして。
肩を引き寄せ、僕は母さんを抱き締める。
再会した時のように。
あの時とは——逆に。
ぬくもりが伝わってくる。
服越しに鼓動が、耳のそばで息遣いが、そして体温が。
「僕は生きてるよ。わかる? 母さんも生きてる。あったかくて、心臓が鼓動を打ってて、ここに生きてる。生命が伝わってくる。僕を産んでくれた人の、ショコラとカレンを育ててくれた人の生命だ」
きっと母さんは、わからなくなっていたのだろう。
まともじゃない親に育てられたから。まともに扱ってもらえなかったから。
「僕は母さんが愛おしい。幸せになってほしい。その思いに、母さんがどんな生まれでどんな育ちをしたかなんて関係ない。それって、おかしなことなの? 違うよね。なにもおかしくなんてない、当たり前のことだよ。愛おしい人に幸せになってもらいたいと思うのは、家族として、親子として、間違ってなんかない!」
「スイ……くん」
「父さんがいないなら、代わりに僕が言う。僕がいなくてもカレンが、ショコラが、ポチやミントだってきっと同じことを言う。僕ら家族はなにもおかしくない。お互いの幸せを願って、お互いを大切にして、お互いのことを心の中に住まわせて……ああ、そうだよ。父さんも……僕の中にいる父さんは、僕らのことを愛してるって言ってる。僕も父さんのことを愛してる。母さんはどうなの? 母さんの中にも、父さんはいるんでしょ? あなたの最愛の人は、そこにいるんだ!」
「わたし、私、は……」
母さんの震えが落ち着いていく。
腕に力が戻っていく。僕の身体を、ぎゅっと抱き締め返してくる。
「ずっと不安だった。あの人に誇れるような『母親』をやれているのか、怖くてたまらなかった。でもそれは、目を背けてただけなのね」
そうして——。
僕らの母さん——ヴィオレ=ミュカレ=ハタノは。
涙の跡をそのままに、けれどいつもの、優しく穏やかな顔で、僕の額にこつん、と額を合わせる。
優しく微笑みながら。
「私の中のカズくんは、胸を張れって言ってるわ。母親として胸を張れ、家族を愛してるなら真っ直ぐに前を見ろ、って」
「うん、父さんならきっと、そう言う」
僕の返答に、母さんはいつかの父さんと同じことを言った。
「ありがとう、スイくん、カレン、ショコラ……。私は、みんなを愛してる」
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