リフレイン - ミュカレ侯爵家:落日

 あらゆる妨害工作は、ことごとくが防がれた。


 圧力も、懐柔も、脅迫も、賄賂わいろも、決闘も、暗殺も、すべて意味をなさない。ネルテップの原っぱに建つ異世界の家屋は、無防備な外観とは裏腹にいかなる武器もいかなる魔術も通用しない。


 そして仕掛けた側はきっちりと——かの青年の宣言通りに——潰された。


 権力を盾に別れろと迫った伯爵家は、爵位を降格された。

 女による色仕掛けを試した他国の貴族は、逆にめられて醜聞を招いた。

 安眠できると思うなよなどと吐き捨てた子爵家は、毎夜毎夜にいつの間にか己の枕元へ突き立てられているナイフを見て心を病んだ。

 金銀財宝を積んで取り入ろうとした富豪は、急に脱税の罪が発覚し連行された。

 決闘を挑んだある侯爵家は、その日のうちに廃嫡された。

 そして差し向けられた暗殺者たちは揃って言った。


「不可能だ」と。


 やがて暗殺を生業とする者たちの間で『ハタノの家へ行く』という慣用句が使われるようになる。堅気かたぎに戻るという意味だ。


 そうこうしているうちに、国王、つまり代替わりした元第一王子より勅令が下される。


 異世界人、カズテル=ハタノに子爵位をじょす。

 並べて、ヴィオレ=ミュカレ=ハタノとカズテル=ハタノに『魔女』の称号を与える——。


 それぞれ『天鈴てんれいの魔女』『終夜しゅうやの魔女』と号された彼らはここに至り、触れ得ざる者として王国、ひいては近隣諸国に認識された。


『魔女』の称号を得るには並ぶ者なしと断じられるほどの高い実績に加え、現役の『魔女』三名以上の推薦が必要となる。そしてこのふたりには、大陸に現存する『魔女』のうち連絡が取れる者ほぼ全員、十余名が推薦の票を入れた。


 あれらを前にしては、自分たちの魔導など足元にも及ばない。

 それが認められない輩は、すぐに杖を折るべきだ、と。

 全員がそう口を揃えた。


 ふたりの名声が高まり、もはや手を出そうとする者がいなくなっていく。

 諦めるか、あるいは潰れるかして——だ。



※※※



「それも、お父さんの狙いだったのよね。王国に蔓延はびこっている政治の腐敗を一掃する——裏で汚いことをしている貴族たちを炙り出し、叩き潰す。国王夫婦を味方につけて、お母さんとの結婚を餌にして、食いついてきた奴らを片っ端から。お父さんは『モグラ叩き』って言ってたわ。スイくんなら意味がわかるかしら?」

「父さん、若気の至りがすぎない……?」

「ふふ、そうね。穏やかに見えてあれであの人、血の気が多かったのよねえ。……むしろ、お母さんよりやんちゃだったかもしれないわ」


「そしたら……じゃあ、その過程で?」

「ええ。お母さんの生家——ミュカレ侯爵家も、零落れいらくしたわ」



※※※



 諦めるか、潰れるか。

 ミュカレ侯爵家は、


 かつての権勢、氷魔術の名家としての地位はとうに泡沫うたかたの夢と消え、まだ芽があると考える者はもはやいない。それなのに彼らは固執した。娘を取り戻せば再び権力の中枢に返り咲けると、あれは自分たちの子なのだからと。


 彼らは財産を費やしてあらゆる妨害工作に手を染めた。


 圧力をかけて婚姻をめようとした。懐柔して夫もろとも取り込もうとした。脅迫して戻ってこいと凄んだ。賄賂を送ってなだめすかした。人を雇って決闘を申し込みもした。そして果ては暗殺を——実の娘に、暗殺者を仕向けた。


 当然のように、そして例に漏れず、それらのことごとくは失敗に終わった。だが彼らは、他の貴族家や富豪たちとは違っていた。


 のである。


 彼らはそれを、親子の情によるものだと思った。いかに不和であろうと、対立していようと、血の繋がったに対してはあれも甘いのだと。踏み切れず、故に報復をしないのだと。


 そして調子に乗った——乗せられた。


 妨害工作はついえとなる。あらゆる行為に金がかかる。人を雇い、物資を買い込み、湯水のごとくに消費するも、それらはすべてが徒労に終わり、なのに次、それでも次、だからこそ次、次、次。


 貯金をてた。家財を手放した。領地を切り売りした。それでも彼らは止まらない。普通ならそこまで落ちぶれる前に、王家が警告を出し救済の手を差し伸べるところだが、不思議当然なことにそれもない。気付けば侯爵位とは名ばかりの、その辺にいるような貧乏貴族と成り果てていた。


 残ったのは、ほとんど空っぽになった王都の屋敷と、税収など望むべくもない旧領のごく一部。もはや売るものなどないのに借金は膨れあがっていて、とうとう最初に決壊したのは、先代夫婦だった。


 魔導の名門であれば若さを保っていて然るべき彼らは、よわい六十を超えたばかりだというのにすっかり老け込んでしまい、慣れぬ貧乏らしと現状を直視してしまったことにより、双方ともに痴呆を発症する。


 ふたりは旧領の屋敷でぼんやりと余生を過ごす。もはや子の顔もわからなくなった彼らは、介護人に世話をされながら五年ほどを生き、ひっそりと死んだ——介護人を雇い、最期を看取ったのは長女、セーラリンデであった。


 ただ、前後不覚であったとはいえ、彼らは息子夫婦よりも長生きをしたことになる。

 当主夫妻が身罷みまかったのは、それよりも先だった。


 妻——トワレは、荒れた屋敷の中で肺をわずらった。

 治療費もなく床に伏せたまま徐々に弱っていった。末期には譫言うわごとのように娘の名を呼び、死期を悟って最後にせめて顔が見たいと懇願こんがんの手紙を送るが、そこに娘に対する謝罪や彼女の幸せを願うような言葉は、なにひとつ書かれていなかった。


 妻に先立たれてすぐ、夫——ウォルフも病を得る。

 奇病だった。肌が火脹ひぶくれのようにただれ、焼けていく。それはまるで火の魔術を受けたかのようであった。人々は報いか呪いかと噂をしたが、あるいはかつて雇った暗殺者か共謀した商人かの逆恨みによるものなのかもしれない。


 病状の進行は早く、姉が話を聞いて救いの手を差し伸べる前に、彼は急逝した。遺言はなく、最期にどんなことを考えていたのかもわからない。


 ただ。

 遺体は、かつて娘に与えた日当たりの悪く薄暗い北のかど部屋——その扉の前で、うつ伏せに倒れていたという。

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