そんな私を救ってくれた

「最初はね、勝負をふっかけたの」


 やがて昔話は、父さんとの出会いになった。

 固唾かたずを飲んで聞き入っていた僕らは、その瞬間、母さんの表情が変化したことに気付く。


「異世界から来た? 強い魔力を持っている? それがどうした、って……たぶん、嫉妬していたのね。融蝕ゆうしょく現象に巻き込まれただけの、なんの苦労もなく育った甘ちゃんが、降って湧いた力を手にして調子に乗ってる、って。当時の私は、そう考えた」


 昔話を始めてからの母さんはずっと、つらそうだった。


 幼少時代、両親にどんな扱いを受けてきたのかを吐露とろする時。

 魔導に目覚めて屋敷を燃やし、家出したことを語る時。

 冒険者として大暴れしていた頃を振り返る時。


 張り詰めていて、今にも破裂してしまいそうで、見ていられなくて。僕とカレンはずっと、泣きそうな気持ちでいた。


 セーラリンデさん——伯母さんに出会いいろいろなことを教わったくだりで、少しだけその表情が緩んでいたけど、それでも痛々しい気配だけは変わらなかった、なのに。


 それが父さんの話になった途端、やわらいだ。

 輝かしいものを自慢するように、丸まっていた背中がぴんと伸びていった。


「手も足も出なかった。私の魔術はなにひとつとしてあの人に届かなかった。スイくんと同じ、闇属性の『結界』よ」


 母さんの頬が赤らんでいく。

 負けた、って話なのに、その内容とは裏腹に。


「それから、何度も何度も喧嘩をふっかけたわ。勝つまでやってやるって思った。でも、どんなに頑張ってもダメで、勝てなくてね。悔しくて悲しくて腹が立って、我慢できなくなって。……わあわあ泣いちゃったわ」


 家を燃やした時に『笑っていた』と語った時にはあんなにつらそうだったのに。

『わあわあ泣かされた』と回顧する顔は、どこまでも幸せそうで。


「子供みたいに駄々をこねて——いいえ、違うわね。私は子供だったのよ。家を出た時からずっと、子供のままだったの」


「……それから、どうしたの?」


 母さんが深く息をつくのを見て、僕は問うた。


「挑んでは負かされてを繰り返すうちに、少しずつ会話が増えていったわ。そうしていく中で、身の上話も聞かせてもらった。——ご両親と早くに死に別れて、たったひとりきりでこっちの世界に飛ばされて、戻ることはできなくて。右も左もわからないのに、変な女に喧嘩をふっかけられて……カズくんは、それでも笑ってた。楽しい、って笑ってた。この世界に来て賑やかになったって。きみと話をするのも楽しい、って」


 母さんの声が潤む。

 目尻に涙が溜まり、それでも耐えるように上を向きながら、


「あの人は活計たつきを立てるため、冒険者としてギルドに登録した。私は成り行きでなんとなく、行動をともにするようになった。伯母さまは国へ報告するために私を置いて王都へ行ったから、ふたりでパーティーを組んでね」


 ——そこから先は、幾晩いくばんを費やしても語りきれないわ。


 母さんは思い浮かぶ先から、父さんと一緒に大暴れした思い出を語ってくれる。


 街に現れた変異種をふたりきりで討伐したこと。

 獣人領との間に起きかけた戦争を、原因ごとぶん殴って力尽くで止めたこと。

 エルフ国アルフヘイムでの内乱に巻き込まれたこと。

 そこでカレンの両親と出会ったこと。

 

 冒険者ギルドで絡んできたごろつきをとっちめたこと。

 逆恨みで追ってきたそのごろつきを逆に助けるというお人好しを見せた父さんに、なんだか腹が立ったこと。

 獣人領にある『神威しんい煮凝にこごり』のひとつ、ヘルヘイム渓谷へ腕試しに行ったこと。

 そして、そこで一匹の子犬を拾ったこと——。


「ショコラ」

「わうっ」


 母さんに名を呼ばれ、ショコラがぴょんと膝に乗る。

 でかい図体のくせに、たぶん——まるで昔みたいに。


 ショコラの背中を愛おしそうに撫でながら、母さんは続ける。


「少しずつ、なのかしら。それとも、最初からだったのかしら。……私は、あの人のことが好きなんだって気付いた。誰かを好きになるって感情は初めてのことだったから、すごく戸惑って、あの人にも当たり散らしたり変な態度取ったりして。でもあの人は、私を無視しなかったし、否定もしなかった。いつも真正面から向き合ってくれた……私の心に、入ってきてくれた」


 父親と母親の馴れ初めなんて、普通は恥ずかしいだけなのかもしれない。

 ましてや惚気のろけだなんて、息子なら居心地が悪くなるものなのだろう。


 だけど僕は、そんな気持ちにならなかった。なれなかった。

 だって父さんの話をする母さんは、


「私は、あの人に救われた。どうしようもなく捻じ曲がってて、なにも信じられなくて、愛することも愛されることも知らなくて、ただ自分の激情を頼りに、周りを拒絶してた……そんな私を救ってくれた」


 当たり前の、その辺にいる——をしているのだから。


 こっちの世界に来て、母さんと再会した時に思った。


 母親っていうのはこういう存在なんだなって。学校の同級生たちは、この人みたいな——優しくてあったかい気持ちと一緒に育ってきたんだなって。


 でも、違う。

 当たり前なんかじゃない。


 ヴィオレ=ミュカレという人は、両親からないがしろにされ、家族がどんなものなのかを知らずに育った。当たり前のものをもらえないまま、当たり前からほど遠い生き方をしてきたんだ。


 なのに、それなのに、当たり前でいる。当たり前の母親として、僕の前にいる。


 それがどれほど困難なことだったか。

 父さんは深い穴に落ちていた母さんを、引っ張りあげて土をはたき、泥を拭いてやり——そこから更に、手を携えて一緒に階段を登っていったんだ。


「世間は反対したわ。侯爵家の血をひき、おまけに強い魔導士である私には政治的価値があった。特に貴族連中はひどかった。私たちに干渉してきて、あの人を排除しようとした。口にするのもおぞましい悪辣あくらつな手をいくつも使ってきた」


 たとえ、どんな障害があろうとも。

 どんな敵が立ち塞がろうとも——。


「伯母さまにも反対された。そのせいで、一時期は疎遠になってしまったわ。でもね、それでもよかった。だって私にはあの人しかいなかったから。あの人だけが、私の心に寄り添ってくれたから。私の氷を溶かして、胸の炎を恐れずに抱きしめてくれたから」


 母さんは穏やかな微笑みでショコラを撫でて。

 カレンと僕を順番に見、誇らしげな顔で言う。



「私が、あの人の妻になったあの日……私は初めて、家族を知ったの」

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