インタールード - シデラ:前線街興進局
シデラ村の冒険者ギルドに新しく創設された内部部局がある。
空き部屋のひとつに簡素な長机や書類棚を運び込み、職員も新しく雇い入れた。計算に強い者や総務に長けた者はギルドからの部署移動で
名を『前線街
漠然とした名称であるが、なにをする場所なのかはギルド職員や冒険者ならほとんどが知っており、通称としてこう呼ばれている。
即ち『スープ局』と。
※※※
「それで、雨季の湿気による影響はどんなもんだ?」
その『スープ局』局室——兼ギルド支部長のクリシェ=べリングリィは、室長の椅子に座り書類に目を通しながら、寄せられた報告に
「はい、やはり雨の多い場所ではしけてしまうようです。そうなると数日での腐敗もあり得ると。街においては、湿気の届かない場所での保管が必須でしょうね」
「冒険者なら乾燥魔術を定期的に使えば事足りるが、市民はそうはいかんからな。瓶に入れて売るのも
「そうですね。場所も取るし値段も跳ね上がる」
「ねーねー、瓶入りの大容量も別商品として売っちゃうのは?」
報告してきた職員の背後から、棚を整理していた女性職員が
ギルド支給の制服を着崩し、ちゃらちゃらとした雰囲気を
「瓶込みの値段にすんの。で、瓶はお家でずっと使えるやん? 中身がなくなったら量り売りで買ってきて、瓶に補充すればよくね」
「……お前は本当に、そんななりをしているくせに知恵が回るな」
「えー、そういうのよくないんよギルマス。えっとなんだっけ、パワハラって言うんだってさ」
「スイの受け売りか?」
「そ! スイっち面白いよねー。やっぱ異世界で育っただけあって感覚がちげーの。非番出勤のウチを気遣ったりしてくれるしさ」
じっとりした目を向けてくるリラに、クリシェは溜息を
「
「なんかスイっちいわく、それは当たり前のことだってさ。それよりも休日が減ることの方がブラック? なんだって。あとあいつ、男なのにウチの胸とかじろじろ見ないんよね。あ、これはカレンちゃむがいるからか?」
自分の胸部を掴んでわさわさと揺らすリラ。
「元気が戻ってなによりだな、リラ。受付から外れてベルデの奴に会える機会が減ったからって、当初は不満たらたらだったってのにな」
「……っ! なに言ってんのおっちゃんは関係ねーし意味わからんそういうところだぞギルマス職員の個人的な事情をああだこうだ言うのはほんとダメ」
急に顔を真っ赤にして早口でまくしたてるリラをはいはいと受け流し、クリシェは肩をすくめた。
「瓶売りの案は採用だ。職人と相談してみるか。保存期間や使用量を考えれば、大容量とはいえさほど大きくはならんだろうから、技術が要るな」
「なるほど、職人の技術向上にも繋がるかもしれません」
クリシェの言葉に職員も追従する。
費用はかかるが、需要と供給が生まれれば経済が回り、経済が回る過程で職人たちも成長する。そして職人の質が上がれば市民たちの生活水準も上がっていく。
頭の中で
——と。
部屋の扉がノックされ、ひとりの少女が入ってくる。
いや——正確には少女の姿をした老婆、か。
高い魔力を持つが故に見かけ通りの年齢ではなく、未だ外見は若々しくも、実年齢は七十を超えた『零下の魔女』。
ふた
「どうした、なにかあったのか?」
とはいえ、クリシェにとってセーラリンデは昔からの知己であり、かつて冒険者として王都にいた頃、教えを受けたこともある恩師である。態度は気安い。
「いえ、なにかあった、という訳でもないのですけど……」
だが気安いが故に、彼女の表情がいつもと違うことがすぐにわかる。
セーラリンデが曖昧に言い淀むことは珍しい。令嬢然として落ち着いた態度を崩さないのが常なのにだ。
「おばーちゃん、込み入った話? ウチら席、外そーか?」
「おい、口調はしゃんとしろ」
クリシェはともかくリラがいつもの態度でいるのは礼に欠ける。
こんな辺境の街に滞在していても、外見がリラとさほど変わらない歳頃の娘であっても、彼女は魔導士の最上位たる『魔女』——しかも貴族だ。
かつて氷の魔導における名門中の名門だったミュカレ侯爵家に生を受け、先王の弟であるアイジア公爵に
ただ一方で
「いいのよお嬢さん。少し様子を見に来たの」
「いや、失礼があっちゃいかん。俺の執務室に移るか」
クリシェがそう答えて立ち上がったのはもちろん、額面通りの意図ではない。セーラリンデがそんな礼儀を気にする性格でないのはよく知っている。むしろ若者に対しては
口実にしてしまったリラに心中で侘びながら、クリシェはセーラリンデを伴って部屋を出た。
「ごめんなさいね、気を遣わせてしまって。あの娘にも後で謝っておいて?」
「ありゃあ、頭が悪そうに見えて
「そう。……いい子なのね」
彼女の声音には感慨だけではなく、どこか憂いの色が混じっていた。
ギルドマスターの執務室へと入り、ソファーへ促す。棚から酒瓶を取り出して
「お昼間……しかも職務中でしょうに」
「いいんだよ、たまには。酒ってのは気分を切り替えるのに便利だ」
しばし
ふう、と。
彼女が吐息とともに緊張を抜くのを見計らい、クリシェは問う。
「仕事での困りごと、って訳でもなさそうだな、姐さん」
若い頃——三十年も前の呼び方をしたのはわざとである。
「
「そうね。ここに来たのも、相談ではないわ。ただ誰かに話して、自分の心を落ち着かせたかっただけ」
セーラリンデの表情もまた、三十年前に戻ったようだった。
かつて一度だけ、この顔を見たことがある。
師事していた十代の頃。彼女は酒に酔っていて、身の上話をしてくれた。
夫と息子に先立たれたこと。
息子はもし生きていたら、クリシェと同じくらいの歳だったこと。
そして、弟夫婦の娘、当時十歳そこそこだった姪のこと——。
「今日、連絡が来たのよ」
やがてセーラリンデはグラスのワインを半分ほど減らしたところで、あの頃のように話し始めた。
「雨季が終わったら、家族で会いに行く、って」
「家族ってのは……」
彼女の表情には
「かつて私が目を背けたことで、不幸になった姪っ子。……ヴィオレの、息子と
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