追憶は雨音に混じる

 半月ほどが経ち、雨の降り続ける生活にもすっかり慣れてきた。


 もちろん不便なことや困ることは多々ある。

 最大の悩みは畑だった。


 季節感とかあまり考えずに種をき苗を植えたものだから、長雨に弱い野菜には過酷な環境となってしまった。特にトマトやカボチャなどは、病気にかかったり根腐れを起こしたりしてもおかしくない。


 そこで臨時に簡単な雨避けを作ることにした。連結させた戸板を骨組みの上に乗っけただけのやつで、お風呂の蓋みたいにぱたぱた畳んで簡単に展開できる構造だ。

 雨量と日照量を考えつつこまめにこいつを使うことで、随分とマシになったと思う。


 ミントの土魔術でどうにかなるかもとは考えたし、実際どうにかはなる気がする。ただこの家庭菜園に関して、僕は積極的にチートでどうこうというのをあまりしたくなかった。……まあ、留守にしている間はお前の魔術で維持してたくせにと言われるとぐうの音も出ないけども。


 家庭菜園の野菜で命を繋がなきゃいけないような状況になっていない今、これは僕の趣味だ。趣味に関しては真っ向から取り組んで苦労したいし、成否に関わらず過程を楽しんでいきたかった。


 一方で、趣味ではない実生活はといえば——。


 狩りに行けば濡れるし、森の中はぬかるんでいるし、覚えのないところに川ができてたりする。でかいカエルやら毒々しい外見のヒルやらの気持ち悪い魔物も出没するし、そういった環境のせいでドラゴンの里にも遊びに行けないしで、まあ苦労することの方が多いのは確かだ。


 けれどそれでも、楽しい。


 びしょ濡れになったカレンとふたり、森の中で顔をしかめ合うのも。

 泥だらけになって遊び回るショコラに頭を抱えるのも。

「こんなところに川なんかあったっけ」と途方に暮れ、バカみたいにでかい赤緑色のカエルに思わず悲鳴をあげ、それを母さんが一瞬で倒してくれるのも。


 蜥車せきしゃが引けないことにポチが不満げで、そんな折にタイミングよく、でかい岩が牧場の横にある川の流れをき止めちゃって。

 ロープに結びつけたそいつを、ポチが大喜びで引っ張ってくれる。

 背中にまたがったミントが「がんばれー!」と応援する。


 牧場の端まで運び入れたところで、ミントが岩を切り刻み石材にして。

 いつの間にか、ショコラだけじゃなく僕らまで泥だらけになっていることに気付き、笑い合う。


 そんな日々が、苦労が、たまらなく楽しくて。

 幸せだなと思っていたある日。


 ある、夜のことだった。



※※※



 雨足は強く、家の中にいてもざあざあと音がする。

 とうに日は暮れ、いつもより少し遅い晩ご飯を終えた僕らは、リビングでのんびりとお茶を飲んでいた。


 ポチは小屋で、ミントは解体場で、既に就寝してしまっている。

 ショコラは連日の泥遊びがあまりに続くので念入りなシャンプーの刑に処され、僕の足元でぐでーっとダウンしていた。


「洗われちゃうのわかってるんだからもう少し控えなよ」

「ぐるるる……わん!」

「楽しいのは止められない。でも楽しんだら、あと片付けが必要」

「わう……」


 僕に抗議を試みるも、カレンに諭されて項垂うなだれるショコラ。

 苦笑しつつわしゃわしゃと背中を撫でていたら、二階から人の降りてくる気配がある。


「母さんもお茶、飲む?」


 リビングに入ってきた母さんに、僕は尋ねた。


「スイくん、カレン」

「……母さん?」


 だけど振り返り——怪訝けげんなものを感じる。


 いつも僕らへ見せる、穏やかな笑顔ではなかった。

 敵が現れた際に覗かせる、好戦的で獰猛な表情でもない。

 父さんへの愛おしさに想いを馳せている時のものとも違う。

 

 母親でもない。『天鈴てんれいの魔女』でもない。ましてや父さんの妻でもない。

 瞳の奥に力強い意思はあれどどこか不安げで、なにか寂しそうな。


 まるで少女みたいな顔をした母さんひとが、そこにいた。


 母さんはソファーへ腰掛ける。

 L字型の短い方、僕とカレン、ふたりの顔を同時に見られる位置に。


 しばらくの沈黙があった。


 僕も、カレンも、それにショコラも、気圧けおされてなにも言えなかった。

 やがて母さんが決心したように深呼吸し、口を開く。


「……本当は、雨季が終わってから話すつもりだったのだけど。いつまでも先延ばしにしてはいられないなって、スイくんたちを見てて思ったの」


 無言でうながす僕らを見て微笑み、


「スイくんはもちろん、カレンにもろくに話したことはなかった。話すのが怖かった。……ただ、このことを黙ったまま、私はあなたたちの母親を続ける訳にはいかない。あなたたちは知っておかなきゃならない。だから今日これから、話すわね」


 そうして深く息を吐き、吸い——。


「私の両親……あなたたちの祖父母のことよ」

「あ……」


 言われて、はっとする。


 父さんはあっちの世界——日本で、早くに両親を亡くし天涯孤独になった。

 そして身ひとつでこっちの世界に転移してきて、母さんと結婚し家族を得た。


 祖父母もおらずましてや世界をまたいでいるのだから、父方の親類がひとりもいないことはなにも不思議じゃない。


 だけど、だったら……は?

 

 母さんはこの世界に生まれ育った。

 だとしたら母さんの両親がこの世界にいる。


 両親だけじゃない。きょうだいは? 親戚は? 一族は?

 母さんの『ミュカレ』という旧姓は、無から湧いてきたものではないはずだ。


 今まで一度も話されなかった。だから、尋かなかった。

 そもそもが親戚なんてひとりもいない中で育ってきた僕に、その発想がなかった。


「結論から言うわ。私の両親はもう、この世にいない」


 母さんが言う。

 決意と覚悟に苦悩を混じらせた、そんな顔で。


「直接の死因は病によるものだけど……実際は、私が殺したようなものよ」


 目を見開いた僕らへ、泣きそうな顔をしながら——。


「私は、病になったあの人たちを助けなかった。だから殺したのは、私。……あなたたちの母親はね、実の親を見殺しにした女なのよ」






 それは『天鈴の魔女』ヴィオレ=ミュカレの、生い立ちと過去。

 両親から愛されずに育ったひとりの少女が——ひとりの少年と出会い、愛情を知り、家族を知るまでの話だった。

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