あたらしい、いのち

不確定な未来だけど

 外観は、つぼみをつける前のチューリップに似ていた。


 細長い肉厚の葉っぱが幾層いくそうにも重なりながら、真っ直ぐに伸びている——鱗茎りんけい、というんだっけか。別のたとえをするなら、縦に伸ばしたタケノコみたいでもあった。


 葉っぱを全部取り去ったらどうなるんだろうか。タケノコと同じで中身があるんだろうか。それともタマネギのように、すべて葉っぱでできているのだろうか。いや、どっちも未分化なだけで構造は一緒か……。


 そんな益体やくたいのないことをぼんやり考えてしまうほどに、僕は混乱していた。


 ショコラもいつしか吠えることをやめ、僕を仰ぎ見ている。ちょっと首を傾げているけど、ごめん、僕にもなんなのかさっぱりわからん。


 やがてがらがらと車輪がわだちを刻む音とともに、蜥車せきしゃが追いついてくる。


「スイくん! 大丈夫? いったいなにがあっ……」


 母さんが叫びかけて、解体場にそれを見、絶句する。


「なに、これ」


 カレンの視線もまた呆然と、それに釘付けとなる。


「きゅるる、るぅ……?」


 誰もなにも言わないまま、ポチが困ったように喉を鳴らして。

 僕はなんとかフリーズから脱し、とりあえずの経緯を説明する。


「えっと。ショコラに追いついたんだけど、そしたらうちの解体場にが生えてて。ショコラがこれに向かって吠えてた」


 説明になっていないなと、自分でも思いました。


「これがなんなのかは全然わかんない。草、なのかな。でも生えてるとこ、血とかを捨ててた穴があった場所で……穴、どこに行ったんだろ。土で埋まってるっぽいし……」


 今や、あの穴は影も形もない。


 とにかく疑問なのは——なんでこんなでかい草が、うちの敷地内に生えてるんだってことだ。それもいきなり。


 留守にしてたのは何日だっけ? 十日? たかだか十日でここまで育つ植物があるのか?


「……まさか」


 近寄ってそいつの葉を凝視していた母さんが、思案の果てにつぶやいた。


「わかるの? 母さん」

「確証はないわ。私も実際に見たことはない……だから、あくまで可能性でしかないのだけれど」


 一歩下がり、根本から先っぽまでをもう一度ゆっくり眺めた後。

 その推測を口にする。


「……血妖花アルラウネ、かも」



※※※



「アルラウネは、正確には植物ではないわ。植物の魔物なの」


 そして母さんは僕らへと、について教授してくれる。


「たとえば戦場とか、災害が起きた場所とか、血の多く流れた場所で稀に発生することがある……そう言われているわ。生物の死体を苗床に、土地の魔力を吸って育つ、人型の魔物」


「死体を苗床に……」


 まさしくこいつの生えていたこの場所が、それだった。

 獲物をさばく際に出てきた血や、使わない内臓を捨てて埋め立てるための穴。


「え……ちょっと待って。人型なの? っていうか、人型の魔物っているの?」

「もちろんよ。小鬼ゴブリン猪鬼オーク姑獲鳥ハルピュイア……この森にはほとんど棲息してないみたいだけど、世界を見渡せばそれなりの数がいるわ」


 いるのか、ゴブリンとかオーク……。

 でもそうだとすると、人と魔物——いや、の違いってなんだ。


 僕の疑問を読んだみたいに、カレンが補足してくれた。


「ん……ある程度の文明を持ち、意思疎通ができる種族は一般的に、魔物と見なされない。つまり友好的になれる可能性があるかどうか。こちらを害そうとしてくるかどうか。たとえば竜族ドラゴンは人の姿をしていないけど魔物じゃない。でも、デルピュネ族は国によっては人と認めていないところもある」


「けっこう曖昧あいまいなんだね。……じゃあ、アルラウネは」


「アルラウネは、人喰草マンドレイクの亜種、近縁種……あるいは突然変異ではないかとも言われているの。お母さんがこの草をアルラウネじゃないかと思ったのも、葉がマンドレイクに似ていたから。それなのに、マンドレイクとは比べものにならない大きさだったから」


「突然変異と変異種とは違うんだよね?」


「ええ。変異種は魔力坩堝るつぼの干渉によって生物としての存在を歪められた存在よ。身体のどこかに必ず坩堝水晶クリスタルを宿してもいるわ」


 ここは魔力坩堝ではないし、この草にも坩堝水晶クリスタルは見当たらない。


「マンドレイクはどういう魔物なの?」

「下半身が植物で、上半身は人の姿をしている。……それを疑似餌にして寄ってきたものを襲って食う、危険なやつ。ただ、これよりももっと小さい。ゴブリンくらい」


 カレンが警戒を強めながら僕の疑問に答えた。

 そして核心的なことを、母さんにく。


「ヴィオレさま。……アルラウネに、人を襲った記録はあるの?」

「わからないわ」


 母さんは首を振った。


「目撃例自体が少なすぎるし、古すぎるの。出会った人を食ったとか、逆に助けたとか。マンドレイクと違って人と同じ大きさで、少女の姿をしていたとか、言葉を喋ったとかも。伝承みたいなものはいくつか残ってるけど、どれも真偽は定かじゃない」

「でも、もし危険な存在なら……」

「ええ。まだ育ちきっていない今のうちに、のが解決策よ」


 そう言って、視線と気配を鋭くする母さん。

 それは敵を倒す時の——家族を守る時の、『天鈴てんれいの魔女』としての顔だった。


 たぶん僕がこのままなにも言わなかったら、母さんはやるだろう。森の中を蜥車せきしゃで進む時と同じだ。危険があるとだけ報告し、ささっとおもむき、さくっと処理して戻ってくる。当たり前の行動だし、ありがとうとお礼を言いこそすれ止める理由はどこにもない。


 ただ——。

 そう、ただ。


「……ちょっと待って」


 どうしても気になることが、いくつかある。

 引っかかるものがある。


「どうしてこれ、うちに生えた……いや、生えることができたんだろう」


「スイくんの結界は優秀だけど、あくまで近未来の危険を回避するものよ。遠未来……何日、何週間、何カ月、そんな遠くの可能性を未然に防ぐことはできないんじゃないかしら」


「確かにそれはそうなんだよね。ただ……だからこそ、こいつは少なくとも、今すぐに僕らを脅かすものじゃないってことになる。それともうひとつ、ジ・リズの血だよ」


 かの竜族ドラゴンが初めてここに来訪した時のことだ。

 ジ・リズは、自分の尻尾を傷付けて血を地面に注いだ。まさににだ。


「ジ・リズは『浄化みたいなものだ』って言ってた。ドラゴンならではの直感で、説明がすごくふんわりはしてたけど。ただ……浄化っていうんなら、今のこの状態はどういうことなんだろう」


 ジ・リズの血でも浄化できる限度を超えてしまい、悪いものが生まれたのか。

 それとも——逆なのか。


「それになにより、ショコラの反応も気になる」

「わう……」


 信頼している、僕の相棒。

 しゃがみ、視線を合わせて、話しかける。


「お前の吠え方、僕の聞いたことがない感じだったよな。警戒してはいるけど、敵と定めたわけじゃない。威嚇いかくしてるように見えたけど、明確な危険を察知してのことじゃない。それに、今はもう吠えてもいない」

「くぅーん」


 はっはっはっはっと舌を出しつつ、じっと訴えかけるように僕の目を見詰め返してくるショコラ。耳はピンと張られている。尻尾は水平に伸びていた。


 平常心——上向きにくるんとするのではなく。

 喜び——ぶんぶん振られているのでもない。

 不安——小刻みに揺れてはおらず。

 恐怖——だらんと垂れてもいない。


 水平に伸びるのは、緊張、もしくは


「……ひょっとして、お前にもわからなかったのか? これが危険なものなのか、そうでないのか」


 知らないものが家にいるという異変を察知し、うなって駆けた。

 知らないものを発見したから、ひとまずは威嚇した。

 そして僕らが来て、落ち着いて吠えるのをやめて、今は——、


「わからない、判断がつかない。だけど気になる。そういうことか」

「わうっ!!」


 嬉しそうなひと吠えとともに、ショコラは僕の顔に鼻先を寄せてきてべろべろと頬を舐めてくる。身体を擦り付けてくる。


 よしよしとひとしきり撫で返してやった後で、僕は立ち上がった。


 ——既に決心は、ついていた。


「母さん、カレン。僕の感情と勘が根拠になってて悪いんだけど……」


 振り返り、言う。


「少し様子を見てみよう。これが……こいつが、僕らにとって悪いものなのか、そうじゃないのか。僕らに危険をもたらすものなのか、違うのか。我が家の敷地内に生えてきたことに、どんな意味があるのか。その上で、もし危険な魔物だったら——僕が自分で始末をつけるから」


 人の姿をした魔物、と言っていた。

 だからもし刈り取るのなら、そうじゃない今のうちがいいというのはわかっている。人間の顔をしたものを手にかけるなんて、考えただけで陰鬱な気持ちになる。


 だけど、人の姿をしているとか、人を助けたことがあるとか。

 ましてや、言葉を喋ったとか。

 そんなことを聞いてしまったら——たとえ後悔するかもしれなくても、僕らの敵じゃないという可能性を、未然に摘みたくない。


 数秒の沈黙が流れた。


 カレンはやや逡巡していたが、やがて「ん」と、いつものように頷く。

 そして母さんは、


「……っ」


 なぜか感極まったように、一瞬だけ顔をくしゃっとさせた後。

 穏やかに——すごく嬉しそうに笑って、僕へ言った。


「ええ。それがあなたの決めたことなら」

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