大きな波を貫いて

 作戦は単純だ。

 舟で海に出て、あいつをおびき寄せ、その場で仕留める。


 普通に考えれば危険かつ無謀なものだろう。海中から襲われて終わりだ。だがここは異世界で、僕には魔導があり、加えて僕の魔導は——とにかく使い勝手がいい。

 たとえ海に棲む変異種であろうと勝てる、そう確信していた。


 へびかめシャークとの邂逅から数時間経って、昼過ぎ。


 僕は船を一艘いっそう借りて海に出た。本来なら後部に収まったラミアが尻尾で漕ぐものだけど、ラミアさんを巻き込む訳にはいかない。

 なので今回は僕が即席で作ったオールを使っている。


「意外になんとかなるもんだな。身体強化すごい」

「わうっ!」

「なあ……お前までついてこなくてよかったんだぞ」

「ぐるるる……わう!」


 僕ひとりで行くつもりだったし実際みんなは納得してくれたのだが、ショコラだけが首を縦に振らなかった。ボートに乗り込んで梃子でも動かず、じっと僕を見詰め続けてくるのでこっちが折れざるを得ない。


「心配してくれたんだよね。ありがとうな」

「くぅーん」


 漕ぐ手を休めてわしゃわしゃとショコラを撫でる。撫でる手をべろべろ舐めてくるのに笑みがこぼれた。


 そうだよな。悪かった、置いて行こうとして。

 いつだって一緒だ——たとえ、危険な時だって。


「まあ僕の算段じゃ、そこまで危険はない……はずだ」


 そこそこの沖に来た辺りで舟を停める。もちろんいかりなんてないから波に任せてだけど。持ち込んだ革袋を取り出して、中身を海に撒く。


 山羊の血だ。


 海面が仄かに赤く染まっていく。鮫は血の匂いに敏感で、確か9000リットルの水で薄めた一滴の血にさえ反応できるとかなんとか。まあ、9000リットルってどのくらいなのかよくわからないんだけども。


 岸を見遣みやる。米粒ほどに小さくなった母さんとカレンが静かに見守ってくれていた。その横には飴玉くらいのジ・リズ。三人とも、万が一にも僕が危なくなったら駆けつけてくれる手筈だ。……うちの母さん、海に氷を張って走れるってさ。なんなの?


 その話を聞き、別に舟じゃなくても母さんに足場を作って貰えばいいかなと思ったのだけど、母さんとカレンはさっき——午前中に、へびかめシャークを挑発してしまったばかりだ。多少なりとも警戒されているかもしれなくて、なのであの時はただ突っ立っている(ように見えた)僕とショコラだけで行くのがおそらくは適任だ、ということになった。


 血を撒き終えて、立ち上がる。腰の剣を抜き放ち、斜め下、海面へ向けて槍みたいに構える。


 どこから来るのか、あるいは来ないのか。来るのであればどこからであろうと迎え撃つ。来ないのであれば何日だって同じことを続けてやる。血の匂いだけを嗅がされてお前は我慢できるか? ちょっと海面に頭を出せば、美味しそうな肉が突っ立っているのに? その長い首で食らい付けばかじり取れるのに?


 一分、三分、五分——体感でしかないから実際にどれくらい経ったのか。

 わからないままに待ち続け、こちらが痺れをきらす寸前。


 敵は、姿


 どん——!! と、凄まじい衝撃とともに、僕らは空中へ突き上げられる。

 つまりは海の中から船底に向けての、直上攻撃。


「っ……!」


 さすがに驚愕で心臓が跳ねる。心臓だけじゃなくて身体も浮いている。だけど舟は破壊されない。沖へ漕ぎだす前、僕が『不滅』の特性を付与したからだ。故にこの舟は僕が生きている限り決して壊されることはなく、ならば次にこいつのしてくることは、


「だよね……!」


 ——拘束。


 中空に浮かんだ舟をそのまま、長い身体でぐるりと巻いて絞め上げてくる。へびかめシャークのならではの攻撃だ。僕とショコラは海に飛び込む訳にもいかず——少なくとも敵の視点ではそうだろう——拘束された舟の上に膝を突くばかり。


 そしてそんな僕らの眼前に、鎌首をもたげるサメの頭。


 思わず総毛立そうけだつ。

 陸の獣と違い、こいつは吠えない。一切の声を発さない。

 ただ無言で大口を開け、僕の身体をその口内の牙で擦り潰そうとしてくる。

 その不気味さ、静寂という恐怖。


「だからって、怯えて震えてるだけだと思うなよ」


 僕は笑った。

 できるだけ獰猛どうもうに。



 今までの戦いを思い出す。



 異世界に転移したその日に現れたワイバーン。驚いて腰を抜かしただ震え、せめてショコラだけは守りたくて覆いかぶさろうとするもろくに動けないまま、当のショコラに助けられた。


 その次に戦ったギリくまさん。結界で阻まれた安全圏で半ば開き直ったまま、剣を振りかぶって魔力を飛ばした。でも僕がしたのはただそれだけで、とどめはやっぱりショコラが刺してくれた。


 変異したグリフォンのつがい。防戦の最中、母さんが颯爽さっそうと来てくれた。


 群れを率いる二角獣バイコーン。考えてみればあれも、僕は足を止めただけで仕留めたのは冒険者のみなさんと、それにショコラだ。


 シデラから森へ帰る道中で出会った魔物や変異種も同様。

 僕が直接手をくだしたことは——ほとんどない。


 ——ぐわぅん!!

 鉋が分厚いゴムを引っ掻くような音がして、サメの歯が結界に阻まれる。

 僕を齧り取る寸前、口を開けたまま、それでもへびかめシャークは透明な壁に歯を立て、喰らい付き続ける。


「ショコラ、今回は僕がやる。。だから……見守っててくれるか?」

「わうっ!!」


 背中を押してくれる心強いひと吠え。

 僕は、剣を振りかぶった。


 それは剣術のではなく、投げ槍の構え。

 右手に握り、逆手に持って、打ち付けるように投げ付けるように。


「うおおおおおおっ!!」


 サメのもたらす静寂を掻き消すため、己を奮い立たせるため。

 叫びながら——僕は魔剣リディルを、ぽっかり開いたサメの口内へと、突き入れた。


 ざくん、と。

 牙を割り肉を割く感触とともに、刀身は半ば以上が上顎へ埋まる。


 しかしそれは、へびかめシャークの息の根を止めるには至らない。


 深く食い込んではいるものの、角度的に脳や脊髄などを傷付けてはいない。仮にかすめていたとしてもそれが致命傷にはならないだろう——鮫は生命力が強い生き物だ。まして変異種であればなおさら。


 痛みがあるのかないのか、へびかめシャークは大きくのけぞり頭をざんぶと海中に潜らせた。刺さった剣もそのままに、つかの部分を口から飛び出させながら。


 もちろん、みすみす剣を持っていかれた……のではない。


 僕の腕には黒い鎖が巻き付いている。魔力で編んだものだ。それは腕から海中、剣の柄へと伸び、僕とリディルとを繋いでいる。


 つまり剣は針、鎖は糸。

 竿はないけどこれは、


「さあ、釣り上げてやんよ……!」


 海上と海中。

 僕とへびかめシャークとの、力比べが始まった。

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