僕は理不尽を押し付ける

 ところで僕は、釣りが下手である。


 こっちへ転移してから家の近くにある川へと度々たびたびおもむいているが、シデラの街で釣り具を一式買い揃えたというのに、未だ雑魚の一匹も釣り上げたことがない。地球にいる時も——数えるほどしか行った経験はないにせよ——ボウズでがっくりする僕を、大量の釣果ちょうかを得てご機嫌な父さんがなぐさめるという記憶ばかりが残っている。


 そういえば父さんは釣りが上手かった。バンバンとヒットさせていた。ずるい。なんでその才能を息子に遺伝させなかったんだ。


「それでも、っ!」


 たとえ下手であろうと、今までの人生で釣果ゼロだろうと。

 こいつだけは訳にはいかない。


 針にかかった魚さながら、へびかめシャークは海中で大暴れし、口内の剣を引き抜こうともがく。返しもついていない刃だ、普通ならあっさり抜けておかしくないだろうがそこはそれ。


 闇属性、時空魔術による因果干渉。

『剣が抜ける』という結果に到達しないよう、未来の邪魔をしている。


「暴れても引っ張っても無駄!」


 おまけに鎖は僕の魔力で編んだもの、いわば無限の糸が巻かれたリールだ。舟が転覆てんぷくしない範囲で時には引き、時には緩め、時には縮め、へびかめシャークを翻弄ほんろうする。


 とはいえ万が一、舟が転覆して海に投げ出されても、僕とショコラが溺れることはない。


 これは事前に検証していた。僕の結界は海の中でもちゃんと作用する。具体的には、結界が水そのものを弾き、丸い泡みたいな球体となって僕らを守るのだ。その中では呼吸もできる。


 もちろん永遠に空気が続く訳じゃないだろうし、その結界ごと雁字がんじがらめにされて海中に拘束され続けたらさすがにどうなるかはわからないけど……少なくとも、そんな事態にまで状況を悪くするつもりはない。


「お前もいるもんな、ショコラ。どっちかが危なくなったら、どっちかが助ければいい」

「わうっ!!」


 かたわらで力強く吠える愛犬の姿に勇気がわいてくる。

 最初はひとりで行くつもりだったけど、やっぱりこいつがついてきてくれてよかった。——ごめんな、甘えてばっかりで。でも、ありがとう。


 十数メートルの向こう。

 奴の背鰭せびれが海面から突き出た。


 びししししぃ、と背鰭の周囲、空中で水が凍る音。

 午前中に見た、変異種の使う氷の魔術だ。


 瞬く間に数十の氷槍ひょうそうが現出し、一斉いっせい射出。


「お前のそれをさっき弾いたの、誰だと思ってるんだ!」


 結界が眼前に展開され、すべては僕らに到達する前に阻まれる。舟の舳先へさきすら掠めることなく中空で勢いを失い、ばらばらと落ちる——寸前。


「がうっ!」


 ショコラが僕の前におどり出て、そのうちのひとつをがぶりとくわえ取った。


 同時、光の魔力が体毛もふもふに火花を散らす。それはショコラの口元——牙へと収束していき、牙から氷槍へ伝わり、咥えた氷槍を覆っていく。


 へびかめシャークの魔術がショコラの魔導でコーティングされ、光の槍となり、


 ぶんっ、と。


 器用に首を斜めに振って、咥えた槍を投げ返した。


 槍はあやまたず精確に、へびかめシャークの『かめ』部分——坩堝水晶クリスタルが甲羅状にびっしり生えた背中へと突き立つ。


 瞬間に炸裂する光の奔流ほんりゅう。ちょっとした爆発だ。ガラスが割れるような音とともに坩堝水晶クリスタルが砕け、変異種の背中がごっそりとえぐれる。


 無言のまま苦悶くもんを全身で表現し、海面をのたうち回るへびかめシャーク。


「わうっ!」


 華麗に舳先へ着地したショコラが僕へ振り返って吠えた。


「ああ、わかってる!」


 お前の作ってくれたチャンスを無駄にはしないよ。


 鎖を縮めながら舟ごと変異種へと近付いていく。もがいて暴れ回るへびかめシャークは僕らの接近に気付かない。というより、余裕がないのだ。


「本来なら釣りあげてやりたかったところだけど、まあ仕方ないか」


 そもそも目的はフィッシュオンそのものではなく、魚体を射程距離圏内まで引き寄せることだったのだ。

 この魔術は——効果範囲がとても狭いから。


 詠唱を始める。


「——咲いたらすみれ、裂けたら終夜しゅうや星天せいてんに輝くかねは座し、未明に伽藍がらんが鳴る」


 腕から伸びて変異種へと続く鎖をとおし、鎖の絡まる魔剣をつうじ、口内の傷口から体内へと巡るように。


ことわり重ねて、あかあおみどり。三つを混ぜて、ねては遊べ。くろから始まり、くろへと終わる」


 それは闇属性——時空と因果に干渉するという特性の中でも、とっておきのもの。

 とても怖くて、無慈悲で、問答無用で——けれどきっと、に目を背けていてはいけない力。


 何故ならこれは紛れもなく、僕に備わった、僕に与えられたものだから。

 父さんと母さん、ふたりの息子である僕が、授かったものだから——。

 


「……『閉塞へいそくは、可惜夜あたらよわらう』」



 即ち、

 未来に起きるであろう結果を遅延させるのでもなく。

 因果を断線させてあるべき未来を消滅させるのでもなく。

 未来にあり得る可能性を手繰り寄せるのですらない。


 自分の——僕の、そうあれかしという願望を問答無用に押し付けて、ありもしない結果を創造偽造し、それを確定した未来と為す。


 そしてこの場合の『未来』とは。





 何故なら、僕がそう決めたから。

 僕がそういう未来をでっちあげたから——。


 びしぃ、と。

 もがき苦しんでいた変異種の動きが硬直した。

 頭部が、首が、尻尾が、棒みたいに一直線に伸びる。

 そして無機質なガラス玉みたいだった瞳から、色が失われた。


 弛緩しかん

 変異種の身体からすべての力が抜ける。

 ひっくり返ってお腹を海面に、鰭も頭も尻尾も、だらりと海中に垂れ下がる。


 つまりそこにあるのはもう、死体。

 僕の魔導によって理不尽な未来——『死』という結果を問答無用に押し付けられた、無惨な死体がただ浮かんでいた。


「ごめんな……いや、謝るのは傲慢ごうまんだ」


 魔力の鎖を手繰り剣を回収しながら、僕はその死体をじっと見詰める。


「お前はこの海を支配しようとした。でも、僕らはそれだと都合が悪かった。そして……お前よりも、僕らの方が強かった」


 それだけ。

 たぶんこれは、それだけのことなのだ。


「くぅーん」


 足に身体を擦り寄せてくるショコラをしゃがんで撫でながら、僕は応える。


「うん、おかに帰ろうか」


 海に広がっていく末期まつごの血に、数秒だけ黙祷した。





——————————————————

 因果の創造は『スイが望んだ未来を対象に押し付ける』というものです。他の魔術が『あり得る未来』を引き寄せたり先延ばししたりするのに対し、これは『あり得ない未来』であろうとでっちあげる……というもの。

 ただし効果範囲が狭く、スイが「それはさすがに無理でしょ」と思ってしまったら発動しないので、無傷の相手を遠隔から殺すみたいなことはできません。かすり傷でもいいから相手に攻撃を通す必要があります。

 ゲームっぽく言うと、1ダメージさえ通れば即死が発動するスキル。こわい。

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