僕の眼が黒いうちは

 頭はますます冴えていた。


 心は澄み渡り、身体の内側に力が充実し、なんだってできそうな気がする。ベルデさんたちが生きていてくれたことへの安堵からくる解放感もあるんだろう。



「……寄る辺にいて、さだめに鳴く」



 剣を掲げながら、言葉があふれてくる。


 言葉そのものに意味はない。これは体内の魔力を一定の流れに沿った形でループさせる——つまり回路化するためのもの。口から発する言霊は、電気回路におけるコードと同じ。魔をみちびすべなのだ。



よすがいて、かなめす」



 魔術には二種類ある。

 無意識にやるパッシブか、意識的にやるアクティブか。


 僕がずっとやっていたのは前者パッシブだ。これは無意識の中にある欲求や願望そのものを回路化するもので、効果範囲が広く常時発動してくれるが、一方で曖昧であり融通が利きにくい。


 対して言霊や動作、儀式などの形あるものを回路化する後者アクティブは——その場でいちいち組み上げる必要がある代わりに、効果を限定させることでより強力な、かつ応用の利くものにすることができる。


「Hyyyyyyhyyyyyyryyyrhhhhh!!」


 二角獣バイコーンの群れを率いる変異種が高くいなないた。どうやら僕の魔力が練られていることに気付き、危機感を持ったのだろう。


 たてがみ双角そうかくはしる電撃が大気へほとばしり、僕らへと襲いかかる。


「っ……あぶねえ! 全員、防……」


 咄嗟に叫んだのはシュナイさんか。だが彼の喚起よりも変異種の雷ははやく、


「……、え?」


 ——僕の結界よりは、


 雷はギリくまさんの時と同じように、不可視のドームを上滑うわすべって放散する。正直、同じ雷であってもギリくまさんの方が遥かにおっかなかったよね。



「……五度、七度、五度。曲がって戻れば、潰れた、濡れた」



 無意識下パッシブの結界を挟んでもなお、儀式は続く。


 儀式——この場合の言霊には、もちろん先人により形式化された定型呪文テンプレートも存在するが、自分から魔術を編む際は別だ。誰に教わるでもなく、魂の裏側から勝手に湧いてきて、舌と唇で紡がれる。


 故に、魔術についてほとんどなにも学んでいない僕であっても発動が可能。



うたえば更けて、月は消え、あちらとこちらでよどんで萎えろ」



 母さんやカレンみたいに、発音を圧縮して詠唱速度をあげることはまだできない。いまいち定義付けが下手で、仕方なく無意識下パッシブで補っている部分も多い。けれど……詠唱が遅くても編むのが雑でも、不可侵の結界がすべてをはばんでいる以上、気を急かす必要はどこにもない。


「ところでベルデさん。つかぬことをおうかがいしますけど」


 詠唱を終えて準備が整ったので、背後へと問う。


「こいつの素材って、高いんですか?」

「え!? あ、ああ。肉は食用にならんが、たてがみ刷子ブラシの材料として優秀だし、角も用途が多い」


「この数ならちょっとしたものですよね? 今回の救助活動で生じた赤字って補填ほてんされますか?」

「それは、充分に可能だろうが……自分が仕留めた獲物は自分のもの、ってのが冒険者の不文律マナーだ。お前がこいつらを全部片付けるんだから、俺たちは施しを受けるわけにはいかねえぞ」


「なに言ってんだ大将!? こんな、剣の構えもろくになってねえ子供に……」

「そうよ、私たちが踏ん張らないと! 確かに連れてきた従魔は強いみたいだし、今の防御魔術もすごかったけどさ。それでもこの子にやらせてばっかは、面目がないわ」


 見知らぬ冒険者たちの言葉は、僕を侮るというよりもむしろ案じるようなニュアンスで、ああやっぱりベルデさんのところには良い人が集うんだろうなと嬉しくなる。でもそこのお姉さん、ショコラは従魔とかじゃなくて家族だからね。


「わうっ」

「わかってるよ」


「Brhhhhhhhhhhhhhaaahhhhhhhh!!」


 足元のショコラに視線を遣ると、再び変異種のいななき——いや、今度は雄叫び。

 雷がさっきの倍ほどの勢いで放たれ、同時に周囲のバイコーンたちが一斉に飛びかかってくる。


 ようやくこっちを、獲物ではなく脅威と認識してくれたようだ。

 


「遅いけどね。……『深更しんこう悌退ていたい』」



 発動。

 手に携えた魔剣リディルの刀身から、黒い鎖が四方無尽しほうむじんに放たれた。


 それは以前、ギリくまに対して飛ばした黒い泥——あれの形を整え、ちゃんとした魔術として編んだもの。鎖はまるで蜘蛛の糸みたいにバイコーンへ絡み付き、絡め取り拘束する。


 それは、闇属性の時空魔術による


 物理的に縛っているのではない。バイコーンの行動、あるいは存在、より正確に表現するなら、彼らの。『僕らへ襲いかかる』という行動そのものの結果を限りなく先延ばしする、擬似的な時間停止だ。


 故に彼らの動きは鈍る。前脚を掲げたまま、身を屈めたまま、あるいは飛びかかるまさにその最中、滞空したまま。


「ベルデさん。それから、冒険者のみなさん」


 唖然としている彼らに向き直り、僕は告げた。


「『自分が仕留めた獲物は自分のもの』。それがマナーでしたよね。だったらやっちゃってください。僕のこれはただの弱体化デバフです。こいつらを倒すことはできなくて、あなたたちの手が必要です。……ことの始末は、追い回されて囲まれたむくいは、あなたたちの手で」


「……なにをほうけてやがる、野郎ども!」


 眼前の光景と僕の言葉をいち早く理解したベルデさんが、呵々かかとした笑みで大喝だいかつした。


「待ち望んでいた好機チャンスだ。偉大なる魔導士殿がくれた稼ぎ時を、逃がすんじゃねえ! ここで大暴れしなきゃ、帰った時に算盤そろばんはじいて頭ぁ抱えるハメになるぞ!」

「お、おお……おおおおおおおおおっ!!」


 冒険者たちが雄叫びをあげた。

 意識を失っているであろう少数の人を除く全員が立ち上がり、剣を、槍を、短刀を、弓を構え、動きを止めたバイコーンの群れへと襲いかかっていく。


 形勢は逆転し、バイコーンたちは狩る側から狩られる側となった。


 僕とショコラはその様子を横目に、群れのボス——変異種へ向き直る。


「お前は、僕らが始末を付けなきゃね」


 変異種もまた、僕の鎖に身体を縛られていた。


 その不気味に光る眼も、筋骨隆々とした体躯も、たてがみの代わりにびっしりと生えた坩堝水晶クリスタルも、坩堝水晶クリスタルと双角の間に奔る稲光いなびかりすらも——すべては停滞し、動きをスローモーションに時を遅延させている。


「ギリくまさんはもう少し動けてたような気がしたけど……」


 変異種として、あれよりもこっちの方が格下だろう。バイコーンと比較するとギリくまさんのお姿、だいぶキレッキレだったし。そもそもこんな森の浅いところじゃなくて深奥部、我が家の近くに住んでいたみたいだったし。


 ひょっとしたらギリくまこそが、我が最大のライバルだったのかもしれない。


「ショコラ、やっちゃって」

「わうっ!」


 あの時と同じように、ショコラが身構えて跳躍した。樹を蹴りながら上空へ飛び、最高高度に達すると背中を丸める。


 回転とともにショコラの纏う光属性の魔力が輝きを放ち、純粋な破壊力を特性にしたエネルギーの塊、すべてを貫く弾丸と化す。


 射出。

 たぁん——と、変異種の胴体を光の一条が貫いた。


 ギリくまさんの時よりも細いが、より鋭く、より速い。たぶんショコラも力のコントロールができるようになってきているのだ。あの時と違い胴体がまっぷたつにならない代わりに、ぽっかり開いた穴はまるで工作機械ですぱんと穿ったようだった。


 おそらく傍目にはあっけないほどに、変異種はどう、と斃れる。

 冒険者たち全員が、弾かれたようにこっちを見たのがわかった。その視線は驚愕、疑念、困惑、呆然——。


「おい、スイ! 変異種は死ぬと……」

「大丈夫。わかってます!」


 ベルデさんのみが咄嗟に、その知識を思い出したようだ。

 変異種の死体は、大爆発を起こすということを。

 警告に片腕をあげて応えながら、素早く詠唱する。



いたらすみれ、閉じたら終夜しゅうや、応じても鳴らすかねはなく、伽藍がらんにはそらが座す」



 さっき発動した『深更しんこう悌退ていたい』の効果はまだ続いている。首筋の坩堝水晶クリスタルはゆっくりと明滅するが、蓄積していた魔力が行き場を失い死体を巻き込んで爆発する——ことは、遅延魔術を解かない限りあり得ない。



ことわり並べて、あかあおみどり。三つ重ねて、混ぜたら終わり。三つ終われば、重なるはくろ



 故にもうひとつの魔術は、爆発が起きるまでに詠唱を完了した。




「……『渾沌こんとんは、可惜夜あたらよに遊ぶ』」




 それは闇属性、時空魔術による

『変異種の坩堝水晶クリスタルから放出された属性が、死体を餌に膨らんで爆発する』——その過程プロセスの因果を途中で断線させ、結果を未来の遥か彼方、『あったかもしれない可能性』という段階にまで薄めて吹き飛ばす。


 ひゅう、と。

 坩堝水晶クリスタルから溢れかけていた属性が掻き消えた。


 しん、と。

 変異種の身体が爆発することなく、生命を失った。


「お疲れさま、ショコラ」

「わうっ! わうわう!」


 戻ってきたショコラを思う存分に撫でながら、僕は微かな疲労感とともにベルデさんたちへ笑いかける。

 ベルデさんは呆然と、変異種の死体を眺めながらつぶやいた。


「はは、なんてこった。こいつは、とんでもねえ」

「なにはともあれ、無事でよかったです」



※※※



終夜しゅうや魔女ウィザード』——カズテル=ハタノを父に、『天鈴てんれい魔女ウィッチ』——ヴィオレ=ミュカレ=ハタノを母に持つ、その息子の宿した魔眼の名は『可惜夜あたらよ』。


 後に『可惜夜あたらよ魔女ウィザード』の称号を授かるスイ=ハタノが、その魔導を公の前で用いた、これが初めての日であった。






——————————————————

『魔女』というのは本作において『最高位の魔導士』を意味する称号であり、性別は関係なく与えられる——という設定です。

(女性の男爵も『男爵』と呼ばれる、みたいな感じ)


 日本語としてはあまり直感的でないため、なにか『男の魔法使い』を意味する単語を付けようかと思ったのですが、『魔女』の対となり得る語感とカッコよさを持つ単語がまったく見付からず考案もできなかったため、このようになりました。


 文中において違和感が強く出そうなシーンでは、男性の魔女に『魔女ウィザード』、女性の魔女に『魔女ウィッチ』とルビを振って違和感を軽減することにします。

 異世界ではなんかよくわからない異世界語を話しているはずなので、それを日本語に訳したらこうなっちゃったね……くらいな感じでお願いします。

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