いつものような食卓を

 地球において揚げ物の起源は古代ローマにまでさかのぼるそうだ。日本料理でも、調理法の基本である『五法』——なま、煮る、蒸す、焼く、揚げる——のうちのひとつとして数えられている。人類が文明を築くにあたり、熱した油に食材をくぐらせるという行為の発明は必然であったのだろう。


 なので当然、この異世界においても揚げ物はある。シデラの宿で魚のフライが出てきた。美味しかった。


 だが一方で、唐揚げは

 少なくとも僕の知っている、僕の慣れ親しんだ『唐揚げ』は——ない。


 何故なら『唐揚げ』とは家庭の味であり、誰もが心に理想の唐揚げを持っているものだからだ。つまり波多野家の唐揚げとは、父さんと一緒に食べたあの記憶と思い出を想起させる味でなければならない。


 僕が今から作るのは、なのだ。

 材料の違いが多少はあれど、きっとできると信じている。



※※※



 まずは鳥のもも肉をぶつ切りにする。

 異世界の森の中で獲れたギーギー鳥は向こうのにわとりによく似た味がする。ブロイラーよりも味が濃く肉質も柔らかめで、唐揚げにはうってつけだろう。


 皮はそのまま。血合いと余分な油は丁寧に取り除きつつ、カットはひと口よりもやや大きめ。フォークで刺して穴を開け、ごく少量の塩で揉み込む。それから水気を粗布できっちりと拭けば、肉はOKだ。


 次に下味のタレを作る。


 りおろしたニンニクと生姜、それに醤油と酒。隠し味としてほんの少しのお酢。シデラの倉庫でおろがねを入手できたのがありがたい。家にはなかったのだ。父さん、こういう調理器具は思い浮かばなかっただろうな。


 味見しながら微調整してから、できあがったタレに鳥肉を漬け込む。これを冷蔵庫に入れて三十分。充分に味を染み込ませてから、片栗粉を付けていく。


 なんとびっくり、こっちの片栗粉は『本物』——つまりジャガイモの澱粉でんぷんではなく、カタクリ(正確に地球のものと同じ品種ではないと思うけど)の根から作られたものだった。


 きっとジャガイモで代用していないのは、そもそも片栗粉の需要が少ないのとジャガイモの大量生産ができていないせいだろう——なおジャガイモに似た芋も存在した。種芋をもらってきたので近いうちに畑に植える予定だ。


 ともあれ片栗粉は付けすぎないように。まぶした後で叩いて余計な分を落とす。


 油を鍋に入れて熱していく。いつものサラダ油とはちょっと違うはずなので、箸を入れながら慎重に温度を見て、頃合いだと思ったら三つずつ投入。


 我が家ならではのコツは、揚げている最中に時々引き上げて、空気に触れさせることだ。これは近所にあった惣菜屋のおばさんに教えてもらった。こうすると衣が空気を含み、歯触りの良さが違ってくる。油の温度が下がりやすいので一度に多くを揚げられないという欠点はあるけども。


 いい具合になったのを見計らって油切りの上に乗せたら、次の三つ。それを繰り返して——もう久しぶりだし肉もたくさんあるし、山ほど作ってやろう。構うか、余ったら僕が食べる。


 付け合わせはいつもの野草。小松菜っぽいやつを帰りの道中で採ってきた。アクがないので生でもいけるし、サラダにする。洗って刻んで、醤油と砂糖と酢でドレッシングを作る。あとは唐揚げと一緒にお皿に盛り付けて、サトウのごはんを温めてから茶碗によそい、完成だ。


 テーブルにお皿とご飯を並べ、窓から顔を出して叫ぶ。


「ご飯、できたよー!」



※※※



 日本にいた頃の食卓を思い出してしまったので、ショコラにはドッグフードをお皿に盛ってやった。


 ポチはもう充分に草を食べていたようだが、デザートとして小松菜(っぽい野草)に塩を振ったものを用意した。甲亜竜タラスクには定期的に塩を舐めさせてやれと聞いていたからだ。半月も荷物と僕らをいてくれてたから疲れてるだろうし、疲労回復になるといい。


 掃き出し窓を開けてリビングと庭先、みんなでいただきますをして食事を始める。


「あの……どうかな?」


 食べ始めてからしばらくがみんな、無言だった。

 なので僕は不安に駆られる。


 正直、肉がブロイラーでないことや油が違うことを加味しても、かなり正確な『いつもの味』になったと思う。上手くできたという自信がある。だからできれば、母さんたちにも気に入ってもらいたいんだけど……。


 ややあって、ひとつ目の唐揚げを飲み込んだふたりが揃って声をあげた。


「スイ」

「スイくん」


 そして僕を見て、喜色満面に顔を輝かせて叫んだ。


「「これ! すごい!!」」


「美味しいわ……ぱりっとしていて、中はじゅわって」

「ん、こんな美味しいフライ、食べたことない」

「強い味付けなのに、鳥の味も引き立ってるわ」

「全然油っぽくない。フライなのにどうして?」


 感想をまくしたてながらふたりの箸は次の唐揚げに伸びていた。はしたなくも大口を開けて一気にかぶりつき、はふはふさせながら、


これはなんていうほへははんへいう料理ひょうひなのはの!?」


「唐揚げっていうんだ」


 ——よかった。

 僕は安堵とともに答える。


「んぐ……、あっちの世界のお料理?」

「そうだよ。日本ではありふれた家庭料理のひとつで、家ごとに味付けが違ったりするんだ」

「ごくん……じゃあスイもいつも食べてたの」

「うん。慣れ親しんだ味だよ。ここに来てから材料が揃って、やっと再現できた」


 感慨とともに語ると、母さんがはっとしたような顔をする。

 そしてどこか遠くを見るような目で、問うた。


「ねえスイくん。お米と、唐揚げと……が、向こうでの、普段の食卓だったの?」


 僕は、頷く。


「週に一回は唐揚げだったよ。父さんも好きだったから、たくさん揚げてふたりでいっぱい食べてた。……美味しいなっていつも褒めてくれた。ショコラは、いま食べてるドッグフードが好物で、だから……」


 思わず声が詰まった。


 たとえ実は異世界の生まれであっても、こっちが僕の故郷でも。

 日本で父さんとショコラと暮らしたあの日々は確かに本物で、僕らの日常は確かに、あそこにあったんだ。


 寂しいってわけじゃない。戻りたいわけでもない。


 ただ——。

 父さんと笑い合いながら唐揚げを食べて、ショコラがガリガリとドッグフードに夢中になって、幸せな気持ちで一日が終わる。


 あのなんでもない記憶を、思い出を、忘れたくはない。


 母さんが手を伸ばしてきた。

 僕の頭を撫でる。


 そうして、笑った。


「じゃあこれからも、週に一度は食べさせてくれる?」

「うん」

「みんなで一緒にね。ショコラもこのドッグフードよ」

「うん」

「わうっ! はぐっ」

「今日からはポチもいる。ポチ、スイの作ったサラダはどう?」

「きゅるるっ!」

「ポチも美味しいって。確か、週に一回くらいはお塩を食べさせてって言われてたから……ん、ちょうどいいね」

「……うん」


 よかった。

 これで忘れずに済む。

 それどころか——続けることができる。


 なんでもない記憶、なんでもない思い出。日本だろうと異世界だろうと、僕が唐揚げを作る限り、この食卓を、この幸せを、ずっと繰り返していけるんだ。


「本当はね、味噌汁もあると完璧だったんだ。けど、味噌は手に入らなかった。代わりに大豆っぽい豆をもらってきたから、製造に挑戦してみようかと思う」

「まあ、楽しみだわ。みそ、ってどんなものなの?」

「日本の伝統的な調味料だよ。慣れないと不思議な味に感じるかもしれないけど、上手く作るからさ。だから」


「だいじょぶ。スイの作ったものはすべて最高に美味しい」

「ええ。お母さんも好きになるに決まってるわ」


 僕は唐揚げを口に入れて、ご飯をかきこむ。

 今まで気付かなかったけど、不意に自覚した。

 茶碗の底の方に手を当てる持ち方とか、ご飯を多めにかきこんじゃうところとか——ああ。


 僕って、食べる仕草が父さんとよく似てるな。






——————————————————

 唐揚げのレシピは僕の地元で有名なやつをちょいアレンジした感じです。

 気が向いたら作ってみてください。

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