想いを込めれば絆が生まれる

 人生であんなにケーキと向き合ったのは、初めてだったと思う。


 お菓子作りは元々、料理ほど本腰を入れてやっていたわけではなかった。なのでトモエさんに教わることもとても多く、お互いに質問を繰り返しつつああだこうだと知識を深め合うのは楽しかった。


 小麦粉や卵、砂糖に蜂蜜、バターにミルク、そして果実と、ケーキを構成する基礎は変わらない。だが世界が変われば材料のしゅも変わり、味も変わる。僕にとっては手探り、いや舌探りである。そうこうしているうちにこっちにない技術や製法も見えてきて、すごく有意義な時間だった。


 ただやっぱり、用意されたケーキの量が、とても、たいへん、めちゃくちゃ、多い。


 僕とカレンは胃が満杯になるまでケーキを詰め込んで、神妙な顔で店を後にすることとなった。なお、ショコラはミルクでご満悦である。縞山羊しまやぎというヤギのミルクだ。僕も味見をしたが牛乳よりコクはないもののさっぱりしており、どこかシナモンに似た独特の風味が美味しかった。


「お前はお腹はちきれるまで飲まずに済んでよかったな……うっぷ」

「わうっ!」


 店を出てから、しばらく大通りの広場で休憩する。噴水のある広場には露店が並び、活気に満ちていた。人並みは多種多様で、肌の色も髪の色も様々。時折、やけに背が低くがっしりした体格の人や、獣の耳と尻尾が生えた人などが通りがかる。前者がドワーフ、後者が獣人だ。


「エルフは見ないね」

「ん、エルフは種族が引きこもり体質。王国内では、街のないところに小さな集落を作って、そこから滅多に出てこない。『うろの森』の中にもそういう集落が点在してる」

「そうなんだ。ご近所さんになるのかな」

「深奥部にはいない。たぶん家で暮らしてる分には会うことはないと思う」

「そっか」


 カレンは他の同族エルフのことをどう思ってるんだろう。仲間意識とかあるのかな。


 そういえばうちに引き取られた経緯をまだ詳しく聞いたことがなかった。父さんたちの親友の娘さんだった、ってことをなんとなく知ってる程度だ……まあでも、僕らの家族としてここにいてくれるんだから、それでいっか。


 ベンチに腰掛けて小一時間ほどお腹を休めたのち、次の目的地へ向かった。

 ノビィウームさんの鍛冶屋だ。


 昨日ベルデさんの飲み仲間として紹介された彼は、ドワーフ。鍛冶を生業なりわいにしていて、シデラでは知る人ぞ知る名店らしい。ただ武具屋や金物屋におろさず直接販売をしており、そのため商売としての規模は大きくないようだ。


 書いてもらった地図を片手に、目抜き通りから横道へ入る。細い路地から裏通りに進むと、小さな看板の下げられたその店があった。


「おう、来たか」

「こんにちは。よかった、ここで合ってた」


 木製の扉を開けて中に入ると、壁には所狭しとあらゆる刃物が並べられていた。剣や槍、やじりなどの武器から、小刀、手斧、山刀、果ては包丁のたぐいまで。カウンターにどっしりと腰掛けているのは、長くてふさふさの髭を生やしたドワーフの壮年男性——ノビィウームさんだ。


「って、今日もお酒飲んでるんですか?」

「おうよ。二日酔いには迎え酒が一番効く」


 発言がもう完全にだめな大人だ。でもドワーフだしいっか……いいのか?

 僕のジト目に気付いたのか、ノビィウームさんが呵呵かかと笑いながら、酒瓶をちゃぽちゃぽ振った。


「今日は炉に火を入れておらんからな。さすがに鉄を打つ時には呑んだりせんわい。で……早速始めるか。見せてくれ」

「はい」


 ここに来た目的……というより、ノビィウームさんに呼ばれた理由は、僕の剣——リディルだ。


 昨日、宿に併設された喫茶店で話している時。彼は僕の腰に下げられたこいつが気になったらしい。今すぐ見せろと騒ぐのをこんな場所で剣を抜かせたらだめだろうと他のみんなが止めて——法律で街中での抜剣は禁止されているらしい——じゃあ後日に店まで行きますよということになった。


 リディルを鞘ごとベルトの留め具から外し、カウンターの上に置く。


「どうぞ」


 ノビィウームさんは無言で、鞘の意匠をじっと眺めた。

 それから柄を握り引き抜くと、こしらえを凝視し、刀身に薄目を寄せ、めつすがめつし——大きく息を吐きながら、感慨深げにつぶやく。


「間違いない。の銘だ」

「え……ノビィウームさんの?」


 驚いた。

 そんな巡り合わせがあるなんて。


「ふむ、ただ、不思議ではないぞ? ワシのお師さまは王国でも随一の鍛治士で、『鉄』の称号を授かったほどのお人でな。ここ三十年で打たれた名剣の類を掻き集めりゃあ、十のうち九はお師さまのつちによるものだ」


 すごい人の弟子なんだなあ、と僕が感心していると。


「そのお師さまが言うとったのよ。黒瞳こくとうのガキに魔剣を打った。あれが自分の最高傑作だ、ってな」

「それって……」

「ああ、親父殿に間違いあるまい。話を聞いたのが十年ばかり前で、その時に十年前と言うとった。時期も合うのではないか?」

「はい、たぶん」


 およそ二十年前。

 父さんがこっちにいた時期と重なる。


「その、お師匠さまはいま……」

「もうおらん。その話を聞いてすぐだ。鍛冶場で倒れて死んどったよ。ワシら弟子は、鉄打ちとしての大往生だと笑ったっけなあ」

 

 懐かしそうな、誇らしげな目でノビィウームさんは笑う。

 そうしてリディルを掲げ、刀身をうっとりと眺める。


「長いこと仕舞われておったと言うてたんでな。手入れが必要ならと思ったんだが……とんでもない、見事なもんよ。『不滅』の特性が付与されておる。魔力が通っておる限り、この剣は傷付きも折れも錆びもせんだろう」


 そういえば父さんの推測によれば、地球は高濃度の魔力で満ちた星だという。きっと、あの家の倉庫で使われていない間も魔力がかよっていたのだ。


「お前さん、魔剣がどうやって造られるか知っておるか?」

「……いえ」

「まず、ワシら鍛冶屋が剣を打つ。それから使い手が属性と特性を込める。剣は魔術の発露する媒介となるが、同時に器であり……同時に、ただの器でしかない。特に『不滅』なんて特性を付与された日には、武器の質も関係なくなるからな。鍛冶屋の役割などたかが知れておる」


 まるで自分たちの仕事を卑下するような言葉だが、口調と声音は違う。

 そこにあるのは高潔な、それでいて毅然とした——、


「……だがそれでも、魂は込めるもんよ」


 ——誇り、だ。


「お師さまは言うておった。自分は頑強な器を作るつもりで依頼を受けた。だが、持ち主はそれでは納得してくれんかった、とな。言われたんだと。『最高の剣が欲しい』と」


 それは、かつての昔話。

 ノビィウームさんのお師匠さまと、父さんとの。


「親友夫婦を守れなかった。ふたりから忘れ形見を託された。家族ができた。いずれ自分の子もできるかもしれない。だから家族を守る剣が要る。自分の魔導を安心して乗せられる、信頼できる剣が要る。……お前さんの親父殿は、ワシのお師さまにそう言ったそうだ」


 そしておそらくそれは、カレンの実の両親との——。


 隣でカレンが微かに息を呑んだ。

 思わず彼女の手を握る。


 僕らはその手に力を込めながら、ノビィウームさんの言葉に耳を傾ける。


「だからお師さまは、器ではなく剣を打ったそうだ。願いを鎚に込めて、魂を鉄に叩き付けた。素材の選定、形状、拵え、あらゆる細部に気を巡らせた。どこを見てもどこに触れても、なにを斬ろうとも……使い手が安心して刃に身を任せられるようにと」


 剣が鞘に納められ、くるりと僕へ柄が向けられる。


「返そう。手入れは必要ない。親父殿とお師さまとの信頼は、今も生きておる」

「……ノビィウームさん」


 ずしりと重い——今までと違いそう感じる剣を腰に着け直しながら、僕は彼に告げた。


「僕は剣の素人です。それに父さんと違って、積極的になにかと戦うこともないと思います。この剣は父さんから受け継いだ形見で、身を守るために持っているけど……たぶん本質的な意味で、じゃない。ノビィウームさんのお師匠さまと父さんとの間にあった信頼は、僕が割り込んでいいものじゃない」


 無言で続きを促してくるノビィウームさんへ、続ける。


「ノビィウームさんは、武器以外の刃物も作るんですか? そっちの壁には調理用の包丁もありますよね」

「ああ、なんでも打つぞ。ワシもお師さまも、武器だけを作るために鉄を打っているのではない。鉄を打つために鉄を打つ……できた刃でなにを斬るかなど、些細ささいな問題よ」


 うん、よかった。

 だったら——さっき倉庫で注文しちゃったけど、改めて。


 僕が身を任せるための刃を、この人に打ってもらいたい。


「包丁をひと揃え、お願いできませんか。深奥部の獣たちの骨を断てるような。肉の筋を綺麗に切れるような。柔らかい野菜を潰さずに刻めるような。食材を安心して任せられるような。……僕が家族のためにできること、したいことを、存分にできるような」


 剣士なんてがらじゃない。

 魔導士と言われてもまあ、まだピンとは来ない。

 強敵に挑む冒険なんて、たぶんこれからもしないだろう。


 だけど僕はきっと、僕が僕である限り。

 母さんや、カレンや、ショコラや、そして新しく一員になったポチにも。


 美味しいものを食べて欲しいと、思い続ける。


「時間がかかるぞ。お前さんが森に帰るまでには到底、間に合わん」

「はい。出来あがったら取りに来ます」

「鉄を鍛える前に、闇属性を込めるところから始めにゃならん。何度も通う必要があるぞ」

「行き帰りは友達の竜族ドラゴンに頼みます……申し訳ないけど」

「値も張る」

「今は母さんに立て替えてもらうしかないです。でも必ずいつか、自分でお金を稼げるようになってみせます」


 ノビィウームさんはそこからしばらくの間、僕のことを無言で見詰めていた。

 だから僕もその目を、太い眉の下で鈍く光る視線を、真っ直ぐに見返す。


 ややあって、彼はにかっと、嬉しそうに笑って言った。



「立て替えなど認めんぞ、出世払いだ。いつでもいい。お前さんの手で、お前さんが稼いだ金で支払いに来い」

「ありがとうございます! はい……必ず!」






———————————————————

 お父さんは家族の敵を斬るための刃を、息子は家族のお腹を満たすための刃を。

 道具は違っても、家族を幸せにしたいという気持ちは同じ。

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