インタールード - 前線街シデラ:冒険者ギルド

「ええ、待機してもらっていた騎士団は帰都きと。手当は臨時出張費で計上して。そうね……特別配当ボーナスとして、全員に規定額の二割を上乗せしておいて」

「よろしいのですかな?」

「構わないわ。彼らにとっては徒労となったでしょうから。街を観光して回ることもできなかったのだから、せめてものお詫びよ」


 シデラ村、冒険者ギルド支部。

 その一室に臨時で設けられた、王立魔導院まどういん特別会議本部——。


 会議本部と呼ぶにはやや手狭なその場所で、顔を突き合わせて話し合いを進める者たちがいる。


「倉庫の物資も予定通りで構いませんか?」

「ええ。あの子たちが選ばなかったもののうち、食料品なんかはすべていったんシデラの孤児院に寄付。腐敗や劣化しないものに関しては一覧リストをギルドに開示した上、希望者がいれば相場の七割で放出していいわ」

「会計上はかなりの損失が出ますが……」

「私の全資産から見れば軽微よ。そうですよね、先遣隊隊長殿」

「ええ、投資に回していた分の利潤りじゅんのみでまかなえます」


 話し合いを主導するのは三人。


 ひとりは、健康的かつなまめかしい四肢を魔女装束の隙間から覗かせる女性——王立魔導院は境界きょうかい融蝕ゆうしょく現象研究局の局長であり、この一連の計画の主導者たる、ヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノ。


 ひとりは、理知的で淑やかな物腰で腰掛ける少女、の外見をした老婆——同研究局顧問にして、シデラ村への先遣隊隊長を務めたセーラリンデ=ミュカレ。


 そして最後のひとりは、しわだらけの痩身そうしんでありながら目には矍鑠かくしゃくたる光を宿す老爺ろうや——同研究局副局長、ギギナイ=ウィ=ソルクス。


「ギルドに払い下げた品のうち、後から必要になったものが出たらいかがしますかな? 中には容易に手に入らぬものもありましょう」

「私が明日にでも、その『後から必要になるかもしれないもの』を追加で選定するわ。その上で取りこぼしがあるなら、それは私の責任よ」

「払い下げの取りまとめは私が引き受けますよ。あまりにも貴重なもの、市場に出すと混乱が起きかねない霊薬の類などは止めておいた方がいいでしょう」

「ありがとう。ではお願いします」


 話している内容は極めて端的、かつ事務的なものである。

 だが議事録を作成している書記たちは、ペンを持つ手の震えを抑えるのに必死だった。


 何故ならその三人はいずれも、国家の重鎮じゅうちんであるからだ。


 ソルクス国王が頭を下げ『鹿撃ち』の爵位を与えてまで王国に留め置いた『天鈴てんれいの魔女』ヴィオレ。


 その伯母にして、五十余年の長きにわたり国家に尽くしてきた『零下れいかの魔女』セーラリンデ。


 更には先王の兄、つまりはれっきとした王族であり、今は副局長の地位にあって融蝕現象の研究事業を支える、ギギナイ殿


 彼女ら彼らの言葉をひとつであっても記述し損ねれば、果たしてこの身がどうなることか——議事録の作成にいかに手慣れていたとしても、速記の精確さに自信を持っていても、それらは書記たちの肩の荷を軽くするものではない。


 会議は続く。端的に、事務的に。


「研究局の方はいかがいたしますかな、局長? 融蝕現象が実際に起きたとなれば、利権を狙う貴族たちが黙ってはおりますまい」

「知ったことではないわ。……少なくとも今回の融蝕現象について、手出しや口出ししようとする者は。そうでしょう?」

「怖いお人だ。まあ確かに……仮にいても、でしょうな」

「あなたが動かなくても、王家が動くでしょうね。『鹿撃ち』とはそういうものです」


 ただ一方で、この会議そのものは間違いなく政治である。


「まあ、研究そのものはこれからも続けてもらって構わないわ。私が楽隠居らくいんきょを決め込んでも、組織は回るように作ってある。感知装置はこれからも問題なく動くはずだから、万が一、本件とは別の融蝕が起きた時にも役に立つでしょう。なので殿下……あなたが局長になって引き継いでくれる?」

「老骨に無茶を言いなさる。まあ、引き受けましょう。余生の楽しみが増えたと思えばいい」

「職員のみんなによろしくね。私のために働いてくれたこと、感謝します。……彼らにも臨時報酬ボーナスを。資金提供者スポンサーを降りたりもしないから生活の心配はしないで、とも」


 たとえばヴィオレの高圧的な言葉はすべて、わきまえの足りない貴族たちへの牽制である。境界融蝕現象でこちらへ来た転移者——つまりスイ=ハタノを己のために利用しようと目論む者どもは、この議事録を見て震えあがるだろう。


『鹿撃ち』の鹿とは王家のことだ。

 つまり『鹿撃ち』の位とは、いかなる無礼も不遜ふそんも問わぬ、故に形だけでいいから仕えてはくれないか——王家がそうこいねがい、招き入れた者の証である。


 そんな者が「息子に手を出そうとする者は殺せ」と王家に命令しているのだ。

 自分の古巣で働く職員たちの身分をこれまで通り保証しろ、と言っているのだ。

 そしてそれに対し、先王の兄と王家の重臣じゅうしんが揃って、従順に頷いている——。


 これでもわからぬような輩は、たとえ貴族といえども滅んでしかるべき。

 そういう意味で書記たちの緊張は決して間違いではない。いま自分たちが速記しているのは、まさしくまつりごとにおいて権力を切り裂きうる魔剣である。



※※※



 だが不意に、彼らの緊張に弛緩の時が訪れる。


「書記。ここから先は私が許可を出すまで記録を止めて」


 他ならない局長——『天鈴の魔女』ヴィオレが、突然そう言ってきたのだ。

 書記たちから安堵の溜息が漏れたのを、誰が責められよう。


 彼らが筆を置いたのを確認し、ヴィオレが視線を向けたのはセーラリンデだった。


「——伯母おばさま。本当に、会っておかなくてもいいの?」


 役職名でではなく伯母と呼ばれ、セーラリンデはわずかに目を見開く。


「伯母さまにとっては姪孫てっそん……いえ、今や唯一の血縁よ。私もあの子たちにあなたを紹介したいわ」

「そうですね……本音を言えば、会いたい。会ってみたい」


 セーラリンデが微笑んだ。ただその顔は、どこか寂しそうに。


「でも、私にその資格はありません。少なくともなにも知らされていない状態で、あなたの息子と娘に、合わせる顔はありません」

「でも……」

「ヴィオレ。私は本来、あなたに伯母と呼ばれる資格もありません。私は——あなたの両親が、あなたにどんな仕打ちをしていたのか知ろうともしなかった。その上、カズテル殿との結婚も反対した。しかも、酷い言葉で」


「それはもういいって言ったでしょう? あの人たちと違って、伯母さまは私のことを思ってのものだった」

「あなたがよくても私がよくないのです。私は、私が許せません。だからせめて、あなたがスイとカレンに……あなたの子供たちに、自分の生まれと育ちを話すまで。子供たちがその上で、私に会ってもいいと言ってくれるまでは」

「過去のことはともかく、私はずっと伯母さまに世話になっているわ。国との仲介はもちろん、資産の管理だって」

「そんなことではあがないになりません」


 しばらくの間、沈黙が場を支配した。

 ややあって先に口を開いたのはヴィオレの方だ。

 どこか諦観の混じった声音で、問う。


「シデラにはいてくれるのよね?」

「ええ、先遣隊はそのまま常駐隊として、現地であなた方の支援を続けます」

「わかったわ。だったら近いうちに、息子たちに話します。だけど覚えておいて、伯母さま。スイとカレンは、優しい子たちよ。あなたにお礼を言いこそすれ、責めたりなじったりは絶対にしないわ」

「それはそれで、気の重い話ではありますが……」


 セーラリンデは深く溜息をく。

 そうしてひとりごちるがごとくに、述懐じゅっかいする。


「誰も彼もが、私を置いていなくなった。息子を幼くに亡くし、夫にも先立たれ……あなたの父を、あなたは恨みに思っているでしょうけれど……それでも私にとっては、可愛い弟でした」


 少女の面立ちに差す感情の陰は歳相応の、七十を超えた老婆のものだ。

 だがそれでも彼女は、光を見る時のように目を細め、優しげに笑った。


「ヴィオレ。たったひとりのこされた、私の可愛い姪。私は命ある限り、手の届く限り、あなたを支えます。だからあなたは、あなたの家族と幸せになって。そうしていつか……そうね。私にも、その光景を見せてくださいな」

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