友達とともに空を飛ぶ

 ドラゴンの背中から見る景色は雄大だった。


 上昇につれてぐんぐんと小さくなっていく我が家、逆に視界を埋めるのは一面の緑。『うろの森』は僕が想像していたよりも遥かに広く、ジ・リズさんがどんなに上昇しても果てが見えないほどだった。


 こんな中にぽつんと転移した我が家はほんといったいなんなんだよ……。


「北に山脈があるだろ? あのうちのひとつに儂らの集落がある」


 ジ・リズさんが後ろを振り返るように促す。

 その声はまるで隣にいるみたいによく聞こえた。


 魔導による保護だそうだ。背中に乗った僕らは上昇と高速飛行にまつわるあらゆる変化からがっつりと護られていた。


 かなりの高度に達していても気圧や温度は変わらないし、風を切っているはずなのに風圧も感じない。背中とその周辺に防壁みたいなものがあるらしく、逆にそこから出られない——飛び降りようとしても不可能、みたいな状態なのだそうだ。


「今と同じように昔、この背中に乗って飛んだことがあったわ」

「父さんと母さんのふたりで?」

「ええ、あなたがまだ生まれたばかりの頃よ」


 空を、遠くを眺めながら母さんが懐かしそうに言う。


「こんな長距離じゃなかったしたった一度だけだったけど、いま思えば、もっと乗せてもらっておくべきだったかしらね。……あの人も、今のスイくんみたいにすごく喜んでた」

「そりゃあ喜ぶよ。ロマンの塊だ、これ」


「という訳でジ・リズ。あなた、これからも私たちを手伝ってくれない? 通信水晶クリスタルを渡しておくから」

「竜族を脚がわりに使おうとするの、世界広しといえど天鈴てんれい殿、あんたくらいだぞ……」

「いいじゃない。さすがにそんな頻繁には呼びつけないし、お礼もするわ」


「でも母さん、ジ・リズさんの迷惑になるようなことは……」

「よい、ぼん……いや、スイよ」


 母さんの横暴な要求に、しかしジ・リズさんは笑って応える。


「儂もな、後悔してる。竜族の寿命は長く、時の重ね方も人とは違う。儂らが茫漠ぼうばくとしている間に、ぬしらは生き、老い、死んでいく……儂がなんとはなしに費やしたで、友と語らい、共に過ごす機会をどれほど失ったか。……今度は間違いたくねえ。ぬしが飽きるまで背中に乗せてやろうさ、我が友の息子、新たな友よ」


「ジ・リズさん……」


 彼のその言葉に、ショコラとのことを思い出した。


 僕は少し前までショコラを普通の犬だと思っていた。死期が近い老犬だと勘違いしていた。でもだからこそ、日本あっちにいる頃からずっとずっと考えてきた。


 たとえば僕が三日間ショコラと会わずにいたとして、それはショコラにとっても同じ長さの三日間なんだろうか? 仮に人が九十歳、犬が十五歳まで生きたとして。九十年のうちの三日と十五年のうちの三日では、長さも密度も違うんじゃないか? ——と。


 たぶんジ・リズさんは、あの頃の僕と同じことを考えているのだろう。


「わう?」


 僕の視線に気付いたショコラが首を傾げる。


「なんでもないよ」

「くーん」


 なのでわしわしと身体を撫でしつつ——もう片方の手でジ・リズさんの背中に触れる。


 彼がいま幾つなのかは知らない。ただ少なくとも彼にとってみれば僕なんて、きっと赤ん坊みたいなものだ。

 けれど彼は僕のことを『ぼん』と呼ぶのをやめた——やめてくれた。


 僕は、だから。

 その気持ちに敬意を払い、言葉遣いを改めよう。


「ありがとうジ・リズ。あなたは僕がこちらに帰ってきてできた、最初の友達だ」

「なんと、そうか。そいつはいい、実に光栄だ!」


 竜はがはははと笑い、より一層、飛ぶ速度をあげる。

 僕は眼下に広がる地上の景色よりも、すぐ横を通り過ぎていく雲よりも——掌に伝わる硬い鱗の感触の方に、胸が熱くなった。



※※※



 スマホのストップウォッチで離陸から到着までの時間を密かに計っていた。

 それによると、ジ・リズの背中に乗って飛び立ってから二時間強。


 森の終わりが目視で確認できるようになり、そこに隣接していたのはけっこうな大きさの都市だった。


「あれがシデラ?」


 僕は後ろにいるカレンに問う。


「ん、そう。シデラ村」

「いや、村って感じじゃないんだけど……」


 まだ距離はあるからミニチュアみたいだけど、それでもはっきりとわかる。


 全景は三日月状。森の切れ目に沿うようにして、建物が密集している。

 建ち並ぶのは地味めながら色とりどりの家屋や施設、つまり煉瓦と石でできた建物だ。やや雑然としていながら道路で区画分けもされていた。


 なにより目立つのは、森との境目に積み重ねられた長大な塁壁るいへき


「これはもう都市でしょ……。それとも、こっちの世界だとこの規模でもまだ『村』の範疇なの?」


 いや確かに『村と呼ばれてはいるけどちょっとした街だよ』みたいなことは教わってたけども。だからってここまでとは思わないだろう。


 僕の疑問にカレンは小首を傾げた。

 どうも彼女もよくわかっていないらしく、母さんに助けを求める。


「そういえば、なんでシデラは『村』なの? ヴィオレさま」

「ああ、どうでもいい慣習なのよ」


 母さんは軽く肩をすくめながら、カレンの代わりに教えてくれた。


「ソルクス王国の行政区分上、貴族が統治していない集落は規模に関係なく『村』と定義されるの。シデラは自治区というか、冒険者ギルドの支部長が統治者を代行していてね。でも国は冒険者なんぞに爵位しゃくいは与えたくない、冒険者も爵位なんか欲しくない……ってことで、いつまでも村って呼ばれてるわけ」


「なるほど……」


 こんな大都市を村にしたままなのは不合理だと思ったけど、政治とか国の制度とかいろいろしがらみがあってのことらしい。


「国から貴族が統治者として派遣されてきたりはしないの?」

「さあ、そこまではわかんないわ……でも、打診があっても断ってるんじゃないかしら」


「断れるんだ。てか、この国の王さまってどんな人なの?」

「そうね……愚王じゃないけど賢王でもない、善政は敷いてるけど改革を断行する度胸はない、みたいな。悪い人ではないわ。王妃に頭が上がらないからやりやすいのよね」

「そ、そう……」


 いやほんと、うちの母さんって何者で、国でどんな立ち位置なんだ。

 魔導士としてトップクラスの証である『魔女』の称号を持っているとは聞いた。ただ、たぶんそれだけじゃ国王に対してあんな評価を平気でくだしたり、腐るほどの私財を僕らの捜索に投入したりはできないだろう。


 なんとなく深掘りするのが怖くて曖昧なままにしていたけど、今度しっかりちゃんと尋いておくべきかもしれない。


 ——まあ、どんな地位や財産を持っていたって、母さんは母さんなんだけど。




「スイ、そろそろ近付いてきたから速度を落とすぞ」

「うん、ありがとう。どこに着陸するの?」

「そうさなあ、まずは塁壁の上にでも止まってから街に降りられるか尋くか」

「じゃあそれで!」


 ジ・リズの提案に返しながら、僕の視線は眼下、シデラの都市へと吸い込まれていった。

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