てんやわんやで背中に乗って

「みんな、今からは支度できる? さあ、物資を取りにいきましょう」


「いやちょっと待ってよ母さん。こっちの支度はともかく、ジ・リズさんにもご都合が……」

「かはははは! 相変わらずだな天鈴てんれい殿。その強引さ、懐かしくもあり小気味良くもある。まあええわ、南にある人の街だろ? 儂にとっちゃすぐよ」

「え、いいんですか……?」

「……天鈴殿の我儘わがままにまごついて申し訳なさそうにするその顔、カズテル殿にそっくりだなあ。いい、支度をしろ。ぬしらの翼になってやっからよ」

「……っ、ありがとうございます!」


 ジ・リズさんの目が優しく細められ、そうなるともうせっかくのご厚意を無下にするのがしのびない。あまりに急ではあったが、そういうことになった。



※※※



 ここから南下して森の切れ目となる場所に、目的地のシデラ村はあるという。


 ジ・リズさんいわく、およそ二時間もあれば着くだろうとのこと。では彼(男性だった)が住んでいる北の山脈まではというと、三十分程度。山の方が遥かに近い。四倍も飛ばさせることになってしまって申し訳ない……と同時、僕らの家って本当にでっかい森のただ中にあるのだなあとしみじみ思う。


 ちなみに旅の支度であるが、


「なんなら手ぶらでもいいわよ。着替えも含めて向こうで全部揃うと思うから」

「うん、必要なもののリストはスマホにメモしてるし……あ、スマホこれって向こうで人に見られるとまずいかな」


 通信こそできないが、メモ帳や電卓などオフラインでも使える各種アプリはたいへん重宝するので、充電できるようになってからはちょいちょい活用しているのである。


「『よくわかんない魔導補助具』くらいに思われるんじゃないかしら? スイくんの結界があれば盗まれることもないだろうし」

「なるほど……てか、スリなんかにも対応できるのね僕の結界」


 実際になったことはもちろんないが、なんとなくできるような気はする。たぶん、すれ違う際に盗む側の手が弾かれる。


「あ、そうだ! 冷蔵庫の肉、どうしよう」


 ひとつ問題があったのを思い出した。


「行きはいいとして、帰りは大荷物を積んで蜥車せきしゃ、だっけ。馬車みたいなやつで帰るんだよね? 一週間から十日くらいかかるって聞いた。向こうで泊まったりしたら半月は見とかないといけないし。冷凍庫のはともかく、冷蔵庫のはさすがにダメになっちゃう」

「そうねえ。だったらジ・リズにあげちゃいましょうか」

「ジ・リズさん、食べるの?」

「食べるんじゃないかしら。たぶん」


 最近わかってきたことがある。

 母さんは家族が関わってない事案に関しては割と適当である。


 というより、きっと本来の母さんはざっくりした感じの、悪く言えば大雑把な性格なんだろう。今は、特に僕に対して『いい母親』であろうと気を張ってくれていて、だからこまやかに見えるだけなのだ。


 決して無理をしているわけではない。息子や娘に対していい母親でありたいと思うのもまた、家族ってものだ——もまたしかりだったし。


 ただ、今でなくてもいいから、いつか僕に対しても気を抜いてほしい。家でだらける母を息子が叱るなんてのもまた、家族ってものだから。


「じゃあ、ちょっと尋いてくるね」


 僕はいったん庭に出た。


「すいませんジ・リズさん。実はつのボアの肉がけっこうな量あって……って、なにしてるんですか?」


 靴を履きながら声をかける。と、彼はなぜか後ろ……門の方に身体を向けていた。


「おお、丁度よかった。ぼん、塀の外のあそこら辺は獲物をさばく時に使ってんのか?」

「あ、はい。解体場にしてますけど」


 大きな首をひょいっともたげ、塀越しに解体場を覗き込むジ・リズさん。やっぱ改めて見ると、迫力とか威厳とか、この間のワイバーンの比じゃないな……。


「ふむ、なるほど」


 彼はゆったりと頷くと、身体を丸めて尻尾の先を前方——自分の顔の前に掲げた。


 ゆらり、と。ジ・リズさんのまとう気配が揺らぐ。

 いや気配ではない。これは魔力か。


 直後。

 彼の、その先端に、


「え」


 鱗ごとばっさりと深くついた切り傷は赤い筋となり、血をぼたぼたと垂らし始める。


「ちょっと、それ、え? ひょっとして自分で……?」

「おう、心配いらん」


 ジ・リズさんの尾から流れる血はそのまま塀越しに、解体場——正確には獲物の血や内臓を捨てている穴の中へ、こぼれ落ちていく。赤い雫は注がれるワインみたいに土に染み込んでいき、やがて十秒ほど経ってから、ぴたりと止まった。


「傷、大丈夫ですか? 痛くなかったんですか?」

「ふっ、ぬしは優しい子だな。問題ない、竜族の外傷はすぐ治るのよ。もう傷は塞がったし、綺麗さっぱり跡形もないぞ。血も儂にとっちゃたいした量じゃない」

「よかった……でも、なんでこんなことを?」


 優しいと褒めてはくれたが、あまりにも行動の意味がわからなさすぎて傷の心配くらいしかできなかった、というのが本当のところだ。


 ジ・リズさんはにやりと牙を剥いた。なんとも悪戯いたずらっぽい感じに。


「うむ。なんと言えばいいか。まあ、浄化か? ……実は儂にも上手くは説明できん。われら竜族は人よりも直感的な生き物でな。『浄化』ってのも、儂の直感を無理矢理に言葉とすればそんなもんになるかなあ、くらいのもんで……有り体に言ってしまえば、なんとなくこうした方がいい、と感じたのでこうした」

「全然わかんないけど……そういうことなら、はい。わかりました」


 僕が頷くときょとんとされる。


「なんだ、こんな説明でいいのか?」

「いやまあ……ジ・リズさんとうちの両親は、お友達なんですよね?」

「そうだな、友、そう形容するのがいいだろう」

「父さんと母さんのお友達がやったことなら、悪いものじゃないですよ。まあ確かにびっくりしたし訳わかんなかったんですけど」


 父さんのためにあんな綺麗な涙を流してくれたひとが、僕らに害となることをするわけがない。


「それにもし悪いことだったら、僕の結界が反応してますから」

「くく。さすがカズテル殿の息子だ。あの力も親譲りか」

「まだ自分でも使いこなせてない感じがあるんですけどね。そっか、僕の魔導これと似たようなもんか。理屈はよくわかんないけどなんとなく、ってやつ」

「うむ、そう思っておけ。ところで支度はできたか?」

「あ、そうだった」


 ジ・リズさんに改めて肉の話をすると、ふたつ返事でもらってくれることになった。冷蔵庫のスペースを半分くらい占拠していた肉の塊も、竜にとってはおやつ感覚だったらしい。その場でばくりと数口で平らげてしまった。


 生でいいのかよとたいへん驚いたが、竜族はどちらかといえば肉そのものではなく魔力を主に味わうようで、調理などはほとんどしないらしい。深奥部に棲む獣の肉は美味いなとたいへんご好評だった。今度、お礼にもっと大量の肉を差し上げよう。


 ——ともあれ。


「じゃあジ・リズ、お願いね」

「お願いします」

「すいません、ありがとうございます」

「わうっ!」


おう、任されろ。儂の周囲に大気のを編むから落ちることはないが、なにぶんせなの鱗は硬い。痛くなったら立ったりして身体を動かせ」


 三人と一匹家族四人をその背に乗せて、竜はふわりと宙に浮いた。

 そのままぐんぐんと上昇し始めて、僕らの歓声は空に溶けていく。







———————————————————

 ジ・リズさんの行動の意味はもう少しあとで明らかになります。


 ちなみにスイたちの家からシデラまでは直線距離で700kmほどです。

 東京〜広島間くらい?

 つまりこの森、およそ半径700kmほど。めちゃくちゃでかい。

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