未来に向かって駆けた
一瞬、父さんがなにを言ったのかわからなかった。
誰もが息を呑み、呼吸するのも忘れ、画面の中にいる父さんを凝視する。
父さんは居住まいをただして背筋を伸ばしたまま——静かに一度、息を吐く。
そうして、続けた。
『代償とは、病気だ。僕に
「っ……スイくん」
思わず母さんが、動画を一時停止して振り返る。
「どういうこと? お父さんは、事故でって……」
「そうだよ、事故だった」
僕も即座に応えた。
「家に帰る途中、オートバイに
「癌は? あちらでは治らない病気だったの?」
「治療が困難なもののひとつだよ。発見が難しくて、見付かった時には手遅れになっていることが多い。だけど、僕にはそんなのひと言も……」
言えなかった——言わなかったのか。
「……だったら、事故に遭ったのは偶然なのか? 治療の最中か、もしくは治療が難しいってなってた時に、たまたま無関係に事故が起きた?」
「かもしれないわね。でも……魔術を使えるようになった、っていうのは……」
「そもそも、未来予知なんてのが魔術で可能なの? 僕はその辺、よくわかってないんだけど……」
「可能ではあるわ。闇属性に分類されるものよ。スイくんの使っている家を守る結界がまさに、分類としては未来予知にあたるの。あれは『対象に被害が及ぶ』という短期的な未来を察知して発動する。もちろん、同じ闇属性のお父さんにも使えた魔術よ。でも……」
あの結界は、そうなのか。
ただ母さんが言い淀んでいるように、父さんに発現したという魔術と家を守る結界とは、なにか質が違う気がする。
「続きを見よう。このままあれこれ言い合ってもたぶんなにもわからない。父さんならきっと、僕らにわかるように説明してくれると思うから」
「ええ、そうね」
母さんがタッチパッドに指を這わせた。
少しバーを戻して、再生。
『……えは不思議に思っただろう。どうしてこの家にいろんな備蓄物資があるのか。どうして僕が転移の準備を整えていたのか。どうして僕が、再度の
確かにそれは不思議だった。
家と倉庫にあった物資のあれこれは至れり尽くせりで、まるであらかじめ、僕らの異世界転移に備えていたかのようだった——そうとしか、思えなかった。
やはり知っていたのだ、父さんは。
『一年前、ある代償とともに、僕に魔術が再び発動するようになった。……それは、未来を
その、魔術で。
『代償とは、病気だ。僕に癌が見付かった。……膵臓だ。発見が遅くて位置も悪く、手術は難しいと言われた。お前が今こうして僕のいないところでこのメッセージを見ているということは、どうにもならなかったんだろうし、僕の病気をもう知ってもいるんだろうね。……ひょっとしたら、癌で死ぬ前になにかの事故でぽっくり逝ってしまってるかもしれないけど。ははっ』
「ははっじゃないんだよ……まさにそれなんだよ……」
ただこの口ぶりからするに、あらゆる未来を予知できたとかではないようだ。だったらこんな冗談は言わないし、そもそも事故になんて最初から遭わないだろうから。
『ここからは僕の推測だ。おそらく体内の癌……腫瘍が、魔導器官の代用となったんだと思う。告知を受けて何日か経ってからだった。僕はある日、不意に繋がったという感覚を得、そこから数時間、断片的に未来を観測し続けた。これは僕がそっちで持っていた力とも異質なものだ。闇属性にカテゴライズはされるだろうからその点は不自然じゃないんだけど……そっちで僕がやっていたのは、せいぜい数秒の短期予測だ。将来のことを
僕の溜息など知る由もなく、父さんは続ける。
『たぶん癌が成長する過程、その大きさや形状、位置……そうした条件が奇跡的に揃い、癌細胞が魔導器官と似た役割を果たしたんだろう。実際、魔力が体内に巡ったのはほんの数時間だけだった。しかも、そっちにいた時よりも遥かにか細くて、制御もできなかった。発動した魔術もまるで質が違うものだ。それが偶発的に……いや、これは違うな、偶発的なんかじゃない。たぶん僕の強い思いによるものだ。僕の無意識が、死を前にしての願いが、そっちでは到底不可能な魔術を編んだんだ。……そう信じたい』
やや俯き、己の手を閉じたり開いたりする父さん。
最終的に拳を握り、
『見えたんだ、
それは、父さんが見た未来。
『お前のすぐそばで、成長したカレンがショコラと遊んでいた。ヴィオレが縁側に腰掛けてそれを見守っていた。……みんな、幸せそうだった』
取り返しのつかない病と引き換えに、だけどその病が起こした奇跡で——垣間見た未来。
『白昼夢なんかじゃないという直感があった。それは僕が死んだ後にきっとある、未来の光景だと確信できた。……嬉しかった。嬉しかったなあ』
その笑顔は、なんの曇りもなんの迷いもなく。
家族の幸せを無邪気に喜ぶ、父親の顔で。
自分がそこにいないことなんかよりも、僕らが再会して笑っていることの方が遥かに大切だと——無言のうちに語っていた。
『とはいえ、未来が見えたから安心だとすべて放っておく訳にはいかない。僕は翠に今まで、そっちの世界の話なんてなにもしていなかったからね。……戻れるかどうかわからない中で、お前は異世界の生まれだよなんて言えなかった。帰る未来がわかったからといって、そんな突拍子もない話をいきなりしても理解不能だろうさ。なにより、この家の転移先がまたネルテップの原っぱとは限らないんだ。……だからせめて、できる限りの準備をした』
自分も病気で、不安だっただろうに。
もう助からないと知って、怖かっただろうに。
『この家に物資を運んだ。生活に必要な消耗品、あっちで役立ちそうな書物、外の倉庫には農具やらなんやら……とにかく思い付く限りは揃えておいた。部屋の掃除も、ふた月に一度はしているから綺麗なもんだっただろう? 家電は最新のものに入れ替えたけど、家具や内装は十三年前のままにしてある。ただ、それでも足りないものはあるかもしれない。不足があったらごめんな』
父さんはこの準備に、残された時のすべてをかけた。
僕らの未来のために駆けたんだ。
『
「……うん」
僕は頷いた。
画面の中にいる父さんに。
『そっちの暮らしも心配することはない。大人になって魔導器官も安定してるはずだ。父さんと同じ……いや、父さん以上の魔術が使えるよ。お前はすごい魔導士になるぞ。父さんと母さんの子なんだから』
「すごいかどうかはともかく、父さんと同じものを受け継いだよ」
『でもお前はその魔術をきっと、慎ましやかに使うんだろうな。魔術で誰かを傷付けたり、そっちの世界を害したりはしないだろう。……お前は優しい子に育ってくれた。母さんに、育て方を間違っただなんて謝らずに済む』
「うん。そうあろうと努力する。……僕は、あなたの息子だから」
そして——。
父さんは、笑った。
『翠。僕の……俺の息子に生まれてきてくれてありがとう。立派に育ってくれてありがとう。俺がこの世に生まれてきた意味は、お前の中にある』
朗らかに、いつもみたいに。
この煮付け美味いな、と、夕飯で僕を褒めてくれるのと同じ顔で。
だから、僕は——僕も。
涙を必死でこらえながら、その笑顔に、いつもみたいに返した。
「……そうでしょ? けっこう頑張ったんだよ」
———————————————————
準備を進めている間、ビデオを録画している最中。
お父さんは紛れもなく、家族とともに生きていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます