そして想いは重なって

『さて。ここからは少しだけ、母さんが興味ありそうな話をするよ』


 説明すべきことは終えたとばかりに肩の力を抜きながら、画面の中の父さんは穏やかに笑む。改めてよく観察すれば、少しやつれているようでもあった。


 病気だったなんて聞いてしまったから余計にそう見えるのかな。益体のないことを考えながら、続きを待つ。


 母さんは——父さんとは逆に、少し身を乗り出していた。


境界きょうかい融蝕ゆうしょく現象についてだ。異世界そちらの歴史において、過去に幾度となく起きていたもの。地球の一部が、そっちの世界に転移してくる現象。……たとえば人ひとり、たとえば数名の人間、たとえば家一軒。大きい時には学舎がくしゃの同じ教室にいた数十名なんてのもあったそうだね。そして転移してきた人間は総じて高い魔力を持ち、社会に貢献、発展に寄与、悪い時には混乱と戦乱を巻き起こした』


 僕は驚く。

 父さんや僕みたいな人が、過去にもいたのか。


『そっちにいた時から不思議には思っていたんだ。何故、融蝕現象が起きるのか。何故、地球にいた人間は高い魔力を持っているのか。僕はふたつの世界を往復した、たぶん初めての人間だ。そして腫瘍しゅようによって偶発的に、こちらの世界で魔術を使えた人間でもある。その経験と直感からの推論だが……おそらく——


「あ……まさか」

 母さんがなにかに気付いたように、声をあげる。


『魔術が使えないということは魔力そのものがない世界なんだろうと、誰もがそう考えていた。だけど、逆だ。この星はほぼ全域が、そちらでいう魔力坩堝まりょくるつぼなんだ。だからなにかのはずみで魔術が—— 「世界を繋ぐ」なんて大規模な魔術が稼働してしまい、そちらへ行くことがある。だからこっちで生まれ育った人間は、その身に高い魔力を宿している。そしてだからこそこっちの世界の生物は……魔導器官との繋がりが


「星全体が魔力坩堝であるなら、あらゆる生物が変異種になってもおかしくない。でも……」


『超高濃度の魔力から身を守るためだろう。進化の過程なのか最初からなのか、神の采配かはわからないが……この星の生命は、高濃度で吹き狂う「魔力」というエネルギーを、知覚しない道を選んだ。知覚してしまえば影響される。影響されれば変異種になる。変異種になれば、未来はない』


「そう、だったのね」


すいとショコラは十三年間こっちで暮らした。たぶん魔力量も魔導の才も、相当に強化されてるはずだ。だから俺みたいに……いや、俺以上に、面倒なところから目を付けられるかもしれない。きみが守ってやってくれ、ヴィオレ』


「心配しないで」


 母さんはそんな父さんに、笑顔で返した。


「この十三年で、私は『鹿撃しかうち』の位を得たわ。だから大丈夫」


 しかうちのくらい、ってなんだろう。

 なんだかすごく物騒なやつの気がする。しか……鹿?

 古代の中国で、皇帝の座を鹿にたとえることがあった気がしたけど——いやまさか。


 母さんの横顔がやけに獰猛どうもうに見えたが、気のせいだろうと思いたい。


『世界をまたいでも、なぜ言葉が通じるのか。転移にまつわるあらゆる不条理と矛盾に、なぜ世界は辻褄つじつまを合わせてしまうのか。こっちでも同じだった。翠の出生届なんて、あっさり受理されちゃった。僕が十年間行方不明になっていた件も、世間にそれほど違和感なく受け入れられた。そっちの世界では「修正リペイント」と呼ばれていた力だが——地球が凄まじい濃度の魔力で満ちていることと関係があるのかもしれない』


 そこまで語って、父さんは。

『まあとにかく』と。

 世界についての考察と推察を終えた。


 そこから十秒ほどの沈黙がある。

 目を閉じて気持ちを切り替える父さんの姿が、無音で映る。


 やがてまぶたが開き——穏やかな、とても穏やかな笑顔とともに。


『……そろそろ、別れの挨拶をしよう』


 父さんの最後のメッセージが、始まった。


『まずは、僕からみんなにプレゼントがある』


 涙はなく、憂いもなく、自分の運命を受け入れた表情で、


『机の引き出しと、あと庭の倉庫に入ってる。翠には、僕がそっちで使っていた剣をもらってほしい。銘は「リディル」。少し癖があるけど使いこなせれば最強だ。なに、僕なんかよりも上手くやれるよ』


「もう使わせてもらってる。ありがとう……名前はどうかと思うけど」


 僕の返事を聞くかのように沈黙を置いて。

 今度は、


『カレン』


 名を呼ばれ、カレンは弾かれたように目を見開いた。


『きみにはブレスレットだ。こっちの世界の純銀で造ってある。高濃度の魔力で満ちた場所で産出された純銀……意味はわかるね? そっちの世界じゃ、とんでもないクラスの魔導銀ミスリルさ。きみの好きに術式を付与するといい。この部屋の引き出しに入れてある。ちなみに、同じデザインのものをもうひとつおまけで入れているから……きみのいちばん大切な人にあげなさい』


「ん。おじさま、ありが……」


『カレン。魔術で少ししか垣間見ることができなかったけど、綺麗になった。きみの実の両親……ルイスとエクセア、ふたりにそっくりだ。でもねカレン。きみの両親、僕らの親友たちに悪くて言えなかったけど。僕とヴィオレは、きみのことを本当の娘だと思ってるよ。…… きみの誓いは知ってるから、今じゃなくていい。いつかきみに「お父さん」と呼んでもらえる日を、待ってるからね』


「っ、あ、ああ……おじさま、うう、あああっ……!」


 ついにカレンが耐えきれず、子供みたいに泣きじゃくり始めた。

 僕はせめて彼女の手を握る。握り返してきた強い力に、負けないよう。


『ショコラ。こっちの世界に連れてきちゃってごめんね。でも、ずっと翠を守り続けてくれてありがとう。お前にもプレゼントがある。首輪に飾れる純銀のアクセサリーだ。ヴィオレに加工してもらうといい』


「わん! わんわんっ!」


 ショコラが僕の膝の上から飛び降りて、パソコンの置いてあるデスクに前脚をかける。


「くーん……くぅー……」


 喉を鳴らし、父さんの映像に向かって、撫でてもらおうと頭を差し出す。


『……よしよし。これからも、翠やみんなをよろしくな』


 父さんはカメラに向かって手を伸ばし、ショコラを撫でる仕草をする。

 未来予知なんかじゃない。確信しているのだ——ショコラが絶対にこれを一緒に見ていて、ちゃんとこいつに想いが伝わることを。


 だってその手付きは。

 下から顎を撫で、そのまま頬を掻き、最後に頭をわしゃわしゃとするのは。

 ずっとずっと、毎日のように繰り返されてきた、父さんのパターンだから。


『母さん……ヴィオレ』


 ショコラを撫でる仕草をやめて再び姿勢をただした父さんは、その顔を父親のものから夫のものへと変える。


 母さんも返事をした。


「はい、あなた」


 そして。

 そこから先はまるで、本当にふたりが会話しているようだった。


『きみには指輪を贈る。二十五年の銀婚式にはまだ早いけど、リングは純銀製だ。中央センター翡翠ジェイド、その左右に紫尖晶石パープルスピネル黒金剛石ブラックダイヤを嵌めている』

「スイくんの名前とカレンの色。私の色。あなたとスイくんの色。そしてリングの銀はショコラの色ね……まったく、どれだければ気が済むのよ」


『いいじゃないか。十三年分の愛の証だ、許してくれ』

「わかったわ、受け取ります。ありがとうあなた」

『代わりに結婚指輪は……わかってるね。僕のものも引き出しに入れてあるから』

「そんなこと言って。どうなるかわからないのよ? ばか」


『あと、アルバムのフォルダに別の動画を入れようと思う。きみへの愛の言葉だ。ひとりで見てくれよ……恥ずかしいから』

「ほんと、ばかね……」


 しばらくの間、夫婦の時間が流れた。

 想いの通じ合った者同士の間に満ちる、あたたかで優しい空気。


 これを録画していた父さんも、時を越えてそれを感じていたのだろうか——。


 やがて父さんが軽く頷き、母さんはそれに頷き返し。

 父さんの顔は再び、父親のものとなった。


『最後に、みんなへ。ひとつだけ頼みたい。……僕の髪をひとふさ、プレゼントと一緒に引き出しに入れてある。庭の片隅にでもいいから埋めて欲しい。遺骨がどうなってるのかはわからないけど、まあ忘れてくれ。本人が言ってるんだから本当に気にしなくていいぞ。僕の魂は遺髪と一緒に、そっちについていくつもりだ』


 僕の心に澱のように引っかかっていた未練ものを、振り払ってくれてから。

 父さんは満面の笑みを浮かべ、拳を突き出した。


『いい人生だった。悔いはない。……親を早くに亡くした僕に、きみたちは山ほどの幸せをくれた。思い出すすべてが和やかで、輝かしい。僕の名前通りの人生だったってことだ。だからこれからもずっと、僕の心はきみたちと共にある』


 その拳が開かれて、ひらひらと手が振られ。

 最後のメッセージとともに、動画は終わる。






『じゃあね、ヴィオレ、翠、カレン、ショコラ。みんなを愛してる』

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