みんなが同じ気持ちで

『すまない。お前とショコラを日本に転移させたのは、僕だ。重い病にかかったお前を助けたくて……僕が融蝕ゆうしょく現象げんしょうを閉じて、家をこっちの世界に戻した』


 その言葉が流れた瞬間、反応したのはカレンだった。


「え、あれは……」


 驚いたように身を乗りだし、父さんのメッセージを遮りかける。


「カレン」


 制止する母さん。

 顔はディスプレイに向けたまま、穏やかな、しかし有無を言わさぬ口調で告げる。


「今は黙って聞きなさい」

「っ……はい」


 カレンは姿勢を戻す。

 ただ僕は、それどころではなかった。


「僕が……病気? それを助ける?」


 口の中でだけつぶやく。

 そんなことがあっただろうか。


「そう、だ……」


 記憶を手繰たぐってみて愕然がくせんとする。

 ある。覚えが、あった。


 高熱にうなされた苦しさの。

 呼吸も上手くできず、ぜえぜえと喘いでいたつらさの。

 混濁した意識の中、手を握ってくれていた母さんの——。


すい、お前がどこまで覚えているのか、どこまで思い出しているのかはわからないから、改めて最初から説明しておく。お前のかかった病気の名前を「神の寵愛ちょうあい」という』


 父さんのメッセージビデオは続く。

 その声に、僕は全神経を集中させた。


『いま翠たちのいる異世界そっちには、魔術がある。魔力を変換して森羅万象を創造し操作する、科学とは別の力だ。魔術を行使するためには魔導器官まどうきかんという臓器が必要となる。生物の体内、同座標別位相に存在する不可視臓器……まあ要するに、見えもしないし触れもしない内臓がある、と考えておけばいい』


 数日前にカレンから聞いた。

 彼女は説明があまり上手くないのであの時はなんとなくしか理解できなかったが、今ならわかる。魔術を意識して使えるようになったからだ。

 僕の魔導器官それが確かに動き、体内に魔力を巡らせているのを感じる。


『魔導器官は、子供の頃は未発達だ。だから幼い子供は上手く魔術が使えないし、中途半端に身体へ流れ込む魔力に酔って体調を崩すこともある。そして「神の寵愛」というのはね……魔力の飛び抜けて多い子供がまれにかかる、重篤じゅうとくな魔力酔いだ。未発達な魔導器官が膨大な魔力をコントロールできずに暴走させ、身体を蝕む。ほぼ確実に死に至る、不治の病なんだよ』


「あれ、が……」


 覚えているのは、苦しくてつらくて、意識が朦朧もうろうとしていたこと。

 母さんに手を握られて、父さんに励まされ、心配そうに見ているショコラと、泣きじゃくるカレンがいて——そして気が付いた時には、もう。


 ——。

 

『神がおのれの愛した子供を連れていく。だから「神の寵愛」。地球でも似たような言い回しはあるね。違うのは、こっちじゃそれを早逝そうせいした慰めとして使うのに対し、そっちでは実際に存在する病気だってことさ』


「魔力の多い子すべてが『神の寵愛』を受けるわけじゃないの」


 母さんが動画の再生を一時停止し、補足を入れた。


「ほとんどの場合、子供の頃に少し病気がちになる、ってくらいで済むわ。現にお母さんはかからなかった。カレンもよ。本来、魔力の生まれつき多い子は魔導器官の発達も早くて、すぐに順応するの。だから本当に稀な病気……でも、スイくんは」


 ——いえ、この先のこともきっと、お父さんが説明してくれるわ。


 母さんはそう続けると、動画の一時停止を解除する。

 父さんが再び動き始めた。


『翠。お前が病気になったのは、僕とヴィオレ——父さんと母さんのせいなんだ。何故なら僕は、魔力の飛び抜けて多い異世界人で……母さんは異世界でも指折りの「魔女」だったから。そんな僕と母さんの息子であるお前は、生まれた時からとんでもない魔力を持っていた。魔導器官の発達がとても追いつかないほどに。それに、あるいは……魔導器官の発達が遅かったのも、父親の僕が異世界人だからかもしれなかった』


「……そんなに?」

「ん。スイの魔力量は、ヴィオレさまよりも多い。たぶん世界最高レベル」

「わお……」


 自分じゃちっともピンと来ない。

 でもそのせいで、僕は死にかけた——いや、実際に死ぬはずだった。


『母さんも、それにまだ七歳だったカレンも、お前を救う方法を手を尽くして探してくれていた。だけど元々、不治の病とされていたものだ。成果はろくにあがらない。なのにお前は日に日に弱っていく。僕は僕で、地球の知識と技術の中にどうにか手掛かりがないかと模索したが……僕の持つものを総動員しても、どうすることもできなかった』


 それでも僕は、こうして生きている。

 不治の病にかかって、死ぬ運命だったものがくつがえっている。


 なぜか。

 

『僕は焦っていた。お前を救うことばかりをずっと考えていて、お前を救いたいとずっと願っていた。そしてそれは、僕の魔力に作用して……意図しないところで、魔術が発動してしまった。——境界融蝕現象を閉じて、この家を元の世界に戻すというものが』


 父さんの起こした行動により。

 無意識で発動させた魔術により。

 

『それは、ヴィオレとカレンが家を留守にしていた時に起きた。制御できるものでもなかった。家にいた僕と翠、それとショコラだけが日本に戻され……いや、のは僕だけで翠とショコラはというべきだが。ヴィオレとカレンは、取り残されてしまった。僕によって、家族は離れ離れになった』


 僕はあっちの世界に行くことになって。

 家族も、会えなくなってしまって——。


『お前も知っての通り、地球……こっちの世界に、実用可能な技術としての「魔術」は存在しない。その理由は魔導器官だ。こっちの世界の生命体は魔導器官を有していない。正確には、持ってはいるが自分の魔導器官と身体の位相を繋ぐことができない、か。これが何故なのか、僕はひとつの推論を得たが——ヴィオレ、きみも知りたいと思うだろうからあとで語る。ともあれ、地球に来たことで翠の病は治った』


「そう、だったのか」


 僕の知らなかったこと。

 僕に、知らされなかったこと。


『ただ問題は、僕らが再び異世界そっちに帰る手段も失われたことだ。こちらの世界では魔導器官との位相接続が解除され、魔力を感知できなくなる。どんなに莫大な魔力をその身に宿していようとも干渉することができず、自分の意志で魔術を発動させることもできない。もちろん、その状態になることこそがまさに翠の命を救う解決策でもあったんだが……同時に僕の魔導器官も位相喪失したことで、帰還の手段もなくなってしまったんだ』


「僕の、せいで……」


 僕が病になったから、家族は離別した。

 家族との離別と引き換えに、僕は死なずに済んだのか。


「スイ」

「くぅーん」


 カレンが、ショコラが、僕の心情を察してそれぞれ気遣ってくれる。

 そしてその優しさは、彼女たちだけからではなかった。


 見計らったように少しだけ間を置き、父さんは続けた。


『いいか、翠。よく聞け。お前の命を助けたいと願うのは、家族みんな一緒だった。僕も、ヴィオレも、カレンも、ショコラも。お前を助けたかった。お前を守りたかった。お前に生きていて欲しかった。……特に僕とヴィオレは、お前の親だぞ。お前の命が助かるなら、なにを引き換えにしても惜しくはない。父さんは、きっと母さんも……お前の命が助かったことを後悔したことなど、一度もない』


 十三年間も会っていない母さんの気持ちも、一緒に断言する。


「ええ、そうよ」


 母さんが力強い声で頷いた。

 画面の向こうの父さんと、見つめ合いながら。


「親なんだもの。たとえ離れていたって、会えなくなって、その想いはふたりとも同じ」


『その後のことはお前も知っての通りだ。異世界に帰れなくなった僕らは、日本での生活を始めた。幸か不幸か、お前は五年間の記憶をほとんど失っていた。……おそらく、異世界そちらに戻って再び魔導器官との接続が復活すれば、記憶は戻っていくだろう。今これを見ているお前がどれだけ思い出したのかはわからないけど、まあ、幼い頃のことさ。どのみち全部は思い出せないだろうから、気楽に考えていていい』


 確かに、あっちの世界に転移した前後のことなんてまるきり覚えていないし、今でも思い出せない。ただ、父さんとふたりで引っ越しをしたことは思い出した。山奥にあったこの家から、もっと人の多い市街地の家へ——バスと電車を乗り継いで。


『この家に住み続けるかどうかは随分と悩んだ。暮らし続けていればひょっとしたらいつかはまた奇跡が起きて、そっちに転移できるかもしれない。でも、日本でのこの家は元々、すごく山奥にあってね……ああ、再転移でも座標は変わらず、元の場所に戻ってきたんだ。この事実はヴィオレ、きみの研究に役立つだろう』


 父さんは笑う。

 カメラの前にはいない、けれど今は目の前にいる母さんへ、いたずらっぽく。


『再びそちらへ行けるかどうかは当時の僕にはわからなかった。意図的に融蝕現象を起こす方法も条件も不明だった。だけど、翠には翠の人生がある。異世界に戻れないのなら、ひとりの日本人として生きていく必要がある。だからこの家を出て、街中へ引っ越した。こっちの世界の社会と常識に合わせて、翠を育てた。……そうだ、生活基盤を整えるのと翠の学費に、家にあった財産を充てさせてもらったよ』


 うちは父子家庭にしては裕福だった。

 父さんが高給取りだからだと思っていたが——そんなに残業もなく、僕が寂しく感じない程度には休みも取っていて、おまけにけっこうな貯蓄もできていたのは、よくよく考えるとおかしい。日本円に換算できるなにかが、我が家にはかなりあったのだろう。


 そんなことを考えていると、画面の中の父さんが顔付きを変えた。

 姿勢を改めながら椅子に座りなおし、背筋を伸ばし、


『……さて。前置きはこのくらいでいいかな』


 深呼吸をひとつしたのち、話を再開する。


『翠、お前は不思議に思っただろう。どうしてこの家にいろんな備蓄物資があるのか。どうして僕が転移の準備を整えていたのか。どうして僕が、再度の融蝕現象が起きることを……


 そして、続いた父さんの言葉に。

 僕らは全員、一様に息を呑む。






『一年前、ある代償とともに、僕に魔術が再び発動した。……それは、未来をる、というものだ』

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