インタールード - シデラ村:冒険者ギルド
王立魔導院の特別先遣隊が到着してから二日後。
冒険者ギルドの応接室は再びの緊張に包まれていた。
王都からやってくる予定の『支援隊』——物資と人員を受け入れる準備は、ひっそりと進んでいる。倉庫の確保が初日に済んでしまったため、これからやることはさほど多くない。だがどんなに秘密裏にしていても、やはりある種の高揚が街の中に広まっていく。
つまり、金儲けの気配がする、と。
物資が運び込まれるということは、足りなくなれば再補充がかかるということだ。人が来るということは、来た人間の数だけ各種産業に需要が生まれるということだ。それらが生む利益のおこぼれにあずかるには、今のうちから
ともあれ街にそんな空気が満ちる中。ギルド支部長クリシェ=べリングリィは——
彼女がなにかしたという訳ではない。こちらも失礼を働いてはいない。むしろ立場でいうなら向こうが頭を下げてこちらにお願いする側であり、事実その通り、相手は姿勢よく腰掛け、穏やかに微笑んでいる。
なのに。
まるで背骨に氷柱を、心臓に
確信する。この女がほんの気まぐれを起こすだけで、自分の命、それどころか
それでもクリシェがなんとか平静を保っていられるのは、隣に座りともに彼女と向かい合う、相方の存在があったからだ。
外見は深窓の令嬢
「それで局長。予定と進路を変更なさってシデラに立ち寄った事由は?」
「
セーラリンデの問いに、彼女は気安く応えた。
ヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノ。
音に聞こえた『天鈴の魔女』にして、王立魔導院は
そんなヴィオレに、セーラリンデは小さく溜息を
「わかりました。ではヴィオレ。いったいどうしたのです? 王都からこちらに来るのは随分と回り道ではなくて? しかも連絡も寄越さずいきなりなんて。あなたの影響力も考えてください。こちらの坊やなんて、まるで竜の前に放り出された子鹿みたいになってしまっているでしょう?」
クリシェは思った。おい頼むから俺に話を振らないでくれ。俺は最初から最後まで『立場上は一応ここにいるけどそれだけの置物』でいたいんだ! ……と。
「事情が少し変わったのよ、伯母さま」
幸いなことに、ヴィオレはクリシェの存在を無視してくれた。
世間話に興じるつもりはないようで、淡々と説明を始める。
「カレンが先に辿り着いてくれたの。向こうのことを教えてもらったわ。とにかく一刻も早く、という状況じゃなくなった。……もちろん心境とは別だけど」
「カレンはなんと?」
「『ひとまず命の危険はなし。ただ若干の物資不足』……私が真っ直ぐ駆け付けても、物資不足がより大きくなるだけよ。だからこっちに寄って、補給を持っていくことにしたって訳」
口調は親密、態度は柔和、表情も微笑。
どこから見ても、ごくごく普通の優しげな女性だ。とてつもない美貌と魅力的な身体付きは、下賎な男どもが見れば鼻の下を伸ばすだろう。
だが、クリシェは生きた心地がしない。
何故か鳥肌が、寒気が止まらない。
魔導の苦手な自分にも伝わってくるのだ。
彼女の体内を駆け巡る、異様に張り詰めた魔力に。
「……ヴィオレ」
当然、同じ『魔女』の称号を持つ隣の女性がそれに気付かぬはずがない。
ましてや伯母と姪の関係である。
そのセーラリンデは、
「私になにか、手伝えることはありますか?」
「ありがとう、伯母さま。……差し当たって必要な物資を揃えて欲しいの」
テーブル越しに紙が差し出される。
受け取り、一読するセーラリンデ。
「これならシデラの商会ですぐ用意できるでしょう。ただそれなりの大荷物になりますが……運搬は? 車は今すぐの手配ができません。荷台があっても、引く獣がいない。当初に予定していた
「車は要らない、私が持っていくわ。
「普通なら
「問題ないわ」
「変異種などものの数ではない。荷物の大きさも関係ない。
続いて、
「それに……」
張り詰めた魔力が緩んだ訳ではない。
鳥肌も寒気も、おさまってはいない。
だがクリシェは——続けて彼女の見せた表情に、緊張と恐怖を忘れた。
ヴィオレは笑った。
優しく、柔らかく、それでいて慈しみに満ちた表情と声音で。
「息子が困っているのよ。だったらできる限りのことをしてやるのが、母親のつとめでしょう?」
※※※
『天鈴の魔女』——ヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノが応接室を辞した後。
その魔力が感知外へと去っていったのを肌身に受け、クリシェはようやく全身の力を抜き、
「なんですか、しゃんとしなさい」
隣に座っていたセーラリンデはそんなクリシェを
魔女、それも伯母ですらこれなのだ。いわんや自分のごとき凡夫をや。
ヴィオレの案内を任せた受付嬢は大丈夫だろうか。にこにこしていたので案外、平気なのかもしれない。彼女に魔導の素養はない。あの魔力を感じ取ることができないのなら、ヴィオレはただの優しそうな美女である。
「……少し、心配です」
「いらんだろう? 俺にもわかった……あれはものが違う。変異種なんざ相手にもならん。『
「そうではありませんよ」
セーラリンデは首を振る。
「あの子は『息子が困っている』と言いました」
「それがどうかしたのか? あれの家族が
「『夫と息子が』とは言わなかったのですよ」
クリシェの目に映る彼女の横顔は、どこか悲しげだった。
「それに、夫——カズテルが一緒であれば、息子が困るはずがない。おそらく王都から進路を変えてここへ寄ったのも、一度気持ちを切り替えるためなのかもしれません」
「おい、それってまさか……」
「もちろん私たちに、ことの仔細は分かりません。現場にいるカレンにしか知る術はなく、
その先を濁すように、セーラリンデはわざと声を明るくし、話題を変える。
「あの子の魔力がここまで張り詰めていたのは、十三年前以来です。ですがあれでも表面上の態度は取り繕っていたし、
あれでか、という言葉を、クリシェは呑み込んだ。
セーラリンデはソファーから立ち上がり、胸の前で、ぱん、と両手を叩き、
「あの子は母親の顔をしていた。妻としてでもなく女としてでもなく、母として振る舞おうとしていた。だからそれを信じましょう」
どこか誇らしげに、笑った。
「子を想う母親より強いものは、この世にいません」
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