父の面影をたずさえて

 お風呂、洗濯、そして晩ご飯。

 灯りのもとで過ごす夜はとても楽しくて、充実していた。


 身体を洗われたショコラはちょっとしょんぼりしてしまい、当て付けみたいに僕から離れてカレンにくっついていた。そういえば子供の頃は、逆にカレンがショコラを構い倒して嫌がられ、僕の方に逃げてきていたなと思い出した。


 そう——、だ。


 電気が使えるようになった時、僕の心の奥底から、かなりの欠片が浮上した。その欠片たちはまるでパズルみたいに組み合わさり、ひとつの大きなものとなって、僕の心にすとんと、最初からそこにあったかのように収まった。


 具体的には幼い頃、この家。

 父さんと■さんと、僕とカレンと、四人で暮らしていた頃の記憶だ。


 たとえばL字型のソファー。

 子供の時の並びは短い方に父さん、長い方に僕と■さん、それとカレン。


 たとえば縁側のカーテン。

 よく巻きついて遊んだ。かくれんぼの時にも使った。カレンの足が出ていた。まるわかりだよと笑った。


 もう暗くなってしまったが、庭での光景も思い出せる。

 庭を駆け回る、まだ子犬のショコラ。

 ショコラを追いかけたり追いかけられたりする、僕とカレン。

 

 そして僕らを見守ってくれる、まだ若かった父さんと—— ■さん。


 他にもいろんなところに思い出がある。

 家の中のそこかしこに、過去の面影がある。


 父さんの使っていた魔術すべての再現はできていなくて、まだこの家は完全でないという感覚があるけれど、この世界に慣れていけばそのうちだろう。


 だから少なくとも、かつて家族で暮らしたこの家の今後は——危険地帯に転移してしまったことも含めて、心配はしていない。


 ただ——。

 ひとつだけ。まだ浮かんできていない欠片が、ひとつだけ。


 母さんの記憶だけがまだぽっかりと、虫食いのように空いていた。



 ※※※



 さて、ともあれあくる日の朝である。

 灯りがあるのが嬉しくて軽く夜更かししてしまったが、逆に驚くほどさっぱりと目覚めることができた。やはり電気のない状態で過ごしたふた晩は、眠りつつもどこか緊張していたのかもしれない。


 顔を洗って、歯を磨いて(歯ブラシの束が洗面所の棚にあった)、しゃっきりと気合を入れたら一日の始まり。


 庭に出たカレンが、僕に振り返って言う。


「冷蔵庫が使えるようになったから、今日は少し多めに獲物をとることにする」

「わうっ!」


 ショコラも元気いっぱいだ。やる気に満ち溢れている。

 それにしても金髪のエルフが『冷蔵庫』なんて単語を口にするとすごいちぐはぐだ。カレンは幼少時代をこの家で過ごしたから、現代日本の文明をよく知っているのだ。


「スイはどうするの?」

「できれば薪を作りたいんだよね」


 僕の魔術が稼働するようになっても、やはりまだ足りないものは幾つもある。そのうちのひとつで喫緊きっきんとも言えるのが、お湯を沸かすための薪だ。


「さすがに毎日、枝を切ってカレンに乾燥してもらうのはだめだと思う。だから生木なまきから自然乾燥させて薪にしたいんだ。でも、枝を切りまくるのもあんまりよくない気がするんだよね」


 枝をすべて失った樹木はどうなってしまうのか。

 無駄に枯らしてしまうのは本意ではなかった。


 思案する僕へカレンはこともなげに、


「それなら、その辺の木を一本だけ斬ればいい」

「幹を? 伐採ってこと?」

「ん。木を一本全部使えば、たくさんの薪が取れる」


「いや、それができればベストなんだろうけど……知識も技術も道具もないし。倉庫に斧とかあるのかな?」

「斧があるかどうかはわからないけど、斧は必要ない」

「どういうこと?」


 問い返すと、指先を僕の背後へ向ける。


「その剣を使えばだいじょぶ」

「……え?」


 さすがにきょとんとした。

 剣? 僕が背負ってる、このロングソード?


 昨日、適当な感じの縄を倉庫で見付けたので、鞘に結え付けて斜め掛けにしたのだ。抜くのにちょっと難儀するけど、両手が空いてなかなか具合がよかった——まあそれはともかく。


「確かに枝は断ち切れるけど、木の幹はさすがに無理なんじゃないかなあ」

「ふふん、今のスイならできる」

「いやそんな自信満々に言われても……」


「剣、この家にあった? スイは存在を知らなかった?」

「うん。倉庫で見付けた。まさかくわとかシャベルにこんなものが混じってるなんてびっくりしたよ」


「なるほど……もしかしてあっちでは、剣を持つのは違法?」

「そうだね、所持には許可がいるし、保管方法も指定されてる。だから家……ああ、僕と父さんが住んでた家ね。そっちには持ち帰ったりしなかったんだと思うけど」


 ひと通り質問を終えたカレンは納得したように頷くと、僕へと歩み寄り、僕の肩越しに剣の柄を撫でる。


 そして、微笑みながら言った。


「その剣。おじさま……カズテルが、でずっと使ってたもの」

「父さん……が?」


「ん。ヴィオレさまと一緒に冒険して、素材を集めて、高名な鍛治師に打ってもらった、はず。造ったところを実際に見た訳じゃないけど……おじさまが使ってたのは、ぼんやり覚えてる」


「僕には記憶がない」

「それはきっと自己封印のせいじゃない。私はスイより少しだけお姉ちゃん。だから、覚えてただけ。それにふたりがいなくなったあとも、ヴィオレさまから思い出話を聞いてた」

「……そっか」


 縄ごと鞘をぐるりと回して剣を抜く。

 よくよく見れば、鞘の装飾は高級そうだし、幅広の刀身も吸い込まれるような輝きを持っている気がする。


「それは魔剣」

「まけん……魔剣?」

「ん。魔術をまとわせることを前提として打たれたもの。刀身にも使い手と同じ属性が付与されてる。……おじさまとスイは同じ闇属性。だからスイにも使える」


「確かにギリく……いや、変異種と戦った時に黒い靄みたいなものが剣を覆ったけど」

「今ならもっといろいろやれると思う。使い方も振ればわかるはず。きっと、おじさまが……お父さんが教えてくれる」


 父さんの——ああ、これは、だったら。


 形見に、なるのか。


 僕は剣を抜いたまま、門の外へと歩いていく。

 カレンとショコラも無言でついてくる。


 家からほんの少し離れ、適当な樹木の前に立つ。

 立って——剣を構えた。


 構えは不恰好。腰も入っていない。

 けれど自然体。四肢の力を抜く。

 それでいて、身体を流れる魔力を、剣の内部へ練り込むように。


 

 ——すいは僕なんかより、上手くやれるよ。



 声が、聞こえた気がした。


 上段に振り上げ、斜めに斬り下ろす。

 刀身の内部へと伝導した闇属性の魔力は、柄の魔導回路により指向性を与えられる。それは簡略化された術式であり、闇属性の魔力を単一の特性へと収束させ、刀身に現象として作用する。


 魔剣の情報が『記録された過去』として、僕へと流れ込んできた。


 その属性は闇。

 簡略術式の特性は『破滅』。

 銘は『リディル』。

 そしてその由来は——。


 すん、と。


 ほとんど音もなく、刃の通った部分が『破滅』する。

 樹の幹はバターよりも滑らかに両断され、数秒後、ばさばさと枝葉を揺らしながら倒れていく。


「ありがとう。受け継いだよ、父さん。でもさ」


 僕は術式を解除し、剣を鞘に納めると。

 剣をまじまじと眺め、溜息をいた。




「……ネトゲで手に入れ損なった武器の名前を付けるのは、どうかと思う」






———————————————————

 すいは魔術により対象の持つ『過去の来歴』を読み取れます。

 つまり鑑定スキルをゲットだ。

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