安定した生活を目指そう
母が来るまであと五日
こっちの世界にも遠距離通信技術があるそうで、僕はたいそう驚いた。
『
さすがにスマホみたいに高機能ではないようで、通信対象はあらかじめ登録した三つほど、通信内容も短文で、送受信にそこそこの時間を要するそうだ。
あのあと、カレンは『ヴィオレ』——つまり僕の母である人と連絡を取った。それによると彼女がこの家に辿り着くまであと五日ほどかかる見込みとのこと。
なんでも、僕らが転移してきた場所はけっこうな辺境の森深くらしく、カレンは偶然、その森の中で仕事をしていたから早く来ることができたそうだ。仕事はいいの? と尋いたら、どうでもいい、と返ってきた。
大丈夫なの? 職場に迷惑とかかけてない?
ともあれ、母は森から遠く離れた場所にいたとのことで。まずは森に入るまで二日、そこからここへ辿り着くまでに三日——正直、五日後に不安を抱いている自分がいる。
僕は母さんのことをよく知らない。これまでずっと父子家庭で育ってきた。少なくともそういう認識で生きていた。寂しいと思ったことはあまりなかったし、正直に言ってしまえば恋しいという気持ちも、恨みがましさすらない。
ただ、それは単に思い出せていないだけという可能性があって。
母と対面した時、僕はどんなふうになるのだろう。もし無感動のままだったら申し訳ないと思う。母はもちろん、カレンや父さんにも——父さんはずっと、ことあるごとに僕へ言い聞かせてきた。
——母さんはお前のことを愛していた。もちろん父さんのこともだ。
俺たちと一緒に暮らしていないのは、のっぴきならない事情があるんだ。
俺たちを、お前を捨てた訳じゃない。
絶対にない——。
父さんは信じていたのだろう。
いつかこうして、異世界に行き、母と再会することを。
「待てよ。……そもそも、父さんが異世界に行ったのか? それともカレンたちが異世界に来たのか? なにがどうなってこんな状況になってんだろ」
畑を耕しながらひとりごちるが、返ってくる声はない。
——そう。
いま、僕の
カレンと一緒に、狩りに出かけてしまったのだ。
数時間前。カレンが母さんとの連絡を終えて居間に戻ってきてから。
昼食も缶詰になるけどいい? と、何気なく僕が尋いた時のことだった。
「この備蓄を消費するの、今日からしばらくはできるだけ控えた方がいい」
「え、どうして?」
問い返した僕に、彼女は微笑んで、
「どうしても」
「どうしてもときたか……でも、お昼ご飯が抜きになっちゃうけど」
「だいじょぶ。私とショコラが調達してくる」
「調達って、森で?」
「ん。ショコラ、行けるよね?」
「わうっ!」
ショコラも賛成したので、そういうことになった。
僕はまだ森の中を歩き回るのは怖かったので、留守番である。なので手持ち無沙汰に畑を耕しているという訳だ。
雑草を引っこ抜いて掘り返し、有機石灰を混ぜて土を作る。こういうのやったことないけどどうしようと思っていたが、二階の書斎に『今日からはじめる家庭菜園』という本があった。ありがとう父さん。……これもう絶対、僕が異世界転移すること予想してたよね?
喉が渇いたので井戸へ行き、ポンプから水を汲み上げてコップに注ぐ。水の具合がわからないのでずっと飲用を避けていたのだが、カレンいわく「だいじょぶ」とのこと。水道から出るものも井戸のものも、安全だそうだ。
ただこれも理屈は教えてくれなかった。
どうやら、僕の忘れている記憶に関する諸々を、カレンはあまり話したくないらしい。
たぶん、他人に教えられても思い出したことにはならない、ってことなんだろう。そしてそれはつまり、戸棚の備蓄や水道周りに、僕の記憶に関するなにかがあるということだ。
正直、すごく気になる。気になるのだが——、
「わんっ!」
「ただいま」
「あ、おかえり」
カレンとショコラが狩りから戻ってきたので、ひとまず棚上げにしますか。
「成果はどう……うお、ショコラすごいなその格好」
「わう!」
ショコラの胴体には野草の束が
「ベジ寿司みたいだな……」
「わう?」
「美味しそう、ってことだよ。よしよし、よく運んできたな! えらい」
「わうわうわう!」
駆け寄ってきたショコラを撫でつつ、背中の野草を下ろしてやる。
「カレンの獲物は?」
「ん」
つい、と差し出してきた手に、脚を握られた鳥が逆さ吊りにされていた。
……と、思ったのだが。
「……って、なにこれ!?」
よく見ると、鳥ではない。
脚に繋がった胴体は鱗に覆われており、背中には蝙蝠みたいな翼。頭は蛇とワニを足して割ったみたいな形状で、つまりは、
「ちっちゃい、ドラゴン……」
「トゥリヘンドっていう。正確には亜竜種。
「亜竜? どう違うの?」
「
「まじか……ファンタジーだ……」
「この森にも集落があるかもしれない。もしあったらご近所付き合いしなきゃ」
「ますますまじかー……あ、そしたら僕らが初日に出くわしたあのドラゴンは」
「ん。話に聞く限り、ワイバーン。このトゥリヘンドに近い。間違っても
「そうなんだ……会った時に気を付けよう」
できれば会いたくないけど。こわい。
「それで、そのトリ……じゃなかった、トゥリ……」
「トゥリヘンド」
「それそれ。美味しいの?」
「美味。亜竜種の中でも素早くてなかなか捕まえられない。獰猛で、人里に出たら甚大な被害が出る。……そんなのがうろうろしてるの、この森くらいだと思うけど」
「こんなのがなあ」
ドラゴン——正確には亜竜だけど——の肉って、異世界ものでは定番だったはずだけど実際どうなんだろう。ちょっとわくわくしてきた。
ひとり期待していると、カレンがじっとこちらを見ているのに気付く。
「……どうしたの?」
「トゥリヘンドは素早くてなかなか捕まえられない」
「さっき聞いたけど……」
「私は捕まえた。二羽も」
「二羽って数えるんだ」
「そこじゃないもん」
ずず、と近寄ってくる。ジト目で睨みながら。
「ショコラのことは褒めた」
「え」
「ショコラのことは褒めたのに!」
「ああ……ごめん! そうだよね、頑張ってくれたもんね! ほんとごめん、気が付かなくて……せっかく獲ってきてくれたのに」
どうやらアピールしていたらしい。ちょっとわかりにくかった……。
でも狩りをしてきてくれた相手に感謝の気持ちを伝えるのは最低限の礼儀だ。これは僕が完全に悪い。反省しよう。
「じゃあ……ん」
トゥリヘンドを持ったまま、ずい、と頭を出してくるカレン。
「え?」
「ショコラのことは撫でた」
「……カレンのことも撫でるの?」
「ん!」
「褒める行為のハードルが高い……」
僕はおずおずと軍手を外し、彼女の頭を撫でる。
素手で畑仕事をしてなくてよかったと思った。
淡い金色の髪の毛は柔らかくて、まるで絹みたいだ。
昨日までと違い、カレンは髪を後ろで結わえている。だから長く尖った耳が露になっていて、頭を撫でるに任せてそれがへにゃりと垂れていく。
——なんだか恥ずかしくなり、顔を赤くしながら手を離す。
「よし! それじゃあ、昼食は僕が作るよ」
照れ隠しみたいに声を張った。
アウトドアコンロも倉庫にあるし、せっかくだから庭で食べようか。
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