インタールード - 北東グレゴルム地方:シデラ村

 王国、北東グレゴルム地方。

うろの森』の南端、森の終わりを北に臨む平原にシデラ村はある。


 王国法の定義上『村』と呼ばれてはいるが、都市と言っていいほどの規模と人口を誇る、辺境の一大集落だ。


 世界に三つある『神威しんい煮凝にこごり』のひとつ——深奥部に変異種どもの群生地を抱えた『虚の森』からは、時折、凶悪な魔物たちが進出してくる。それを駆逐するために王国は兵士の屯所とんしょを、冒険者組合ギルドは支部を設置し、有事の際には総出でことに当たれるようにしていた。


 加えて森の表層部に棲まう魔物たちや、この森にしか分布しない固有植物、発掘される希少金属などは、国にとって重要な資源でもある。それらの産出を軸にしてシデラ村は潤い、成り立っているのだ。


 そして、今。

 その村へ、王立魔導院から『特別先遣隊』を名乗る一団が訪れていた。


 冒険者ギルド、シデラ支部の応接室。

 ギルド支部長クリシェ=ベリングリィは、特別先遣隊隊長であるセーラリンデ=ミュカレと、お茶を片手に顔を突き合わせている。


「物資の搬入は承知した。ケリーズ商会あたりに空き倉庫を用意させよう。人員の受け入れに関しては、通達はするが、宿泊周りはそっちでやってくれ」

「ええ、騎士団の生活拠点についてはもちろんです。ただ、場合によっては長期滞在となる可能性がありますが……」

「治安が乱れなきゃそれでいいさ。まあ、王都勤めのお行儀いい連中にとっちゃここは蛮地かもしれんから、折衝せっしょうには気を付けてくれ。屯兵とんへいの奴らもの流儀に染まってる。同じ王国兵と思わん方がいい」


 クリシェ=ベリングリィは冒険者からの叩き上げ、辺境に流れ着いた荒くれどもをまとめるに相応しい強面こわもての男である。一方で先遣隊隊長のセーラリンデはたおやかな外見の女性。一見すれば、いかつい風貌の壮年男がか弱い女性をいびっているようだった。


 だがセーラリンデはお茶を優雅にひとくち含むと、クリシェへ肩をすくめてみせる。


「はあ……久しく見ない間に、クリシェもすっかり尊大な態度が板につきましたね。その板が鼻にならないよう心得なさい」

「……っ、仕方ないだろう。支部長ともなれば威厳が大事なんだよ威厳が!」

「まあ、小鬼ゴブリンを前に半泣きで腰が引けていた三十年前からよく成長したと褒めておきましょう」

「頼むから昔の話を持ち出さないでくれ!」


 セーラリンデに対し、たじたじになっているのはクリシェの方であった。


「まったく。せめて外見が年相応なら格好もつくんだが。七十を超えた婆さんが、未だに小娘みたいななりをしやがって」

「だから魔導の鍛錬を怠るなとあれほど言ったでしょう。剣にばかりかまけていなければ、あなたも今頃まだ三十路くらいには見えるはずです」

「そもそも持って生まれたもんが違うんだよ! 『魔女』の称号を持つあんたの基準でモノを言うなよ。……それで、先行したっていうあんたの上司は? シデラに来たって報告は聞いてねえが」


「立ち寄ってはいないでしょうね。街道もすべて無視して真っ直ぐ向かったはずですから。王都とこの森の中心部との直線上に、この村はない」

「はあ? そんな無茶苦茶なことがあるかよ」

「あるのですよ」


 セーラリンデ=ミュカレ——七十の齢にして未だ二十代の若さを保つ王国屈指の魔導士は、諦観ていかんと羨望の混じった表情を浮かべて湯呑カップ長机テーブルに置く。


「あの方こそ、。私たちは同じ『魔女』の称号を与えられていますが、それは現在の王国法の基準において『魔女』より上の称号がないからに過ぎません。……私よりも遥かに遅く生まれていながら、私の遥か先を行っている。私が生涯を三つ重ねても、あの方の二十年前にすら辿り着けはしないでしょう」

「……話には聞いていたが、それほどか」


 クリシェはごくりと喉を鳴らす。彼にとって目の前の女性は、若い頃から今に至るまでずっと、化け物の類であった。その化け物がとてもかなわぬと宣言し、嫉妬すら見せずに称賛する存在——『天鈴てんれいの魔女』。


「だがシデラの者として言わせてもらえば、そういう存在が森に入ってくれたってのはありがたいことではあるが」

「どうでしょうね。それは今後の状況次第です。あの方は、森の資源にはまるで興味がありません。ただ一方で、この森を拠点に生活する可能性は充分ある」

「おこぼれにあずかれるかもしれない、ってことか」

「ええ。ですがそれも、あの方へ対する十全な協力サポートあればこそ。特に支援物資に関しては厳重に管理してください。重要なのは、あの方が欲しいと言った時にそれがあること。なければ終わりです。彼女はこのシデラから興味を失うでしょう」


 苦笑とともに語られるセーラリンデの言葉に、クリシェは溜息を吐いた。


「……時々、いや、いつも無念に思うぜ。これだけ多くの者が集まり、これほど多くの時と金を割いて『虚の森』に挑んでも、せいぜいが表層部を掻き回すのに必死だ。かと思やあ、飛び抜けた力を持つたったひとりが単身で深奥部まで悠々と入っていきやがる。数の力が個の力に勝てん状況とは、ままならんもんだよ」


『虚の森』——ひいては『神威の煮凝り』がその探索を困難にしている要因は、ひとえに大量発生する変異種の存在にある。


 魔力坩堝るつぼに身を晒し続け、混合生物キメラとしての能力を備えた奴らは、言わば突出の究極に達した『個』である。

 それは生半な数を頼りにどうにかなる存在ではない。相対し打ち倒すには、それ以上の強さを持つ『個』をぶつけるしかないのだ。


 これはクリシェのような非才の身にとって、とてつもない矛盾と理不尽に感じられた。


「気を落とす必要はありませんよ」


 だがセーラリンデは、そんなクリシェをいたわるように微笑む。

 クリシェと比べれば遥かに強大であり、しかし『天鈴の魔女』と比べればあまりにも非力な彼女は、だからこそ群れの強さを理解している。


「たとえ『天鈴の魔女』であろうと、彼女の望む物資をひとりで揃えることはできませんでした。シデラのような拠点を造り、維持することもです。そして、か弱い我々が群れとして全力を尽くしてさえいれば……彼女がこの村を頼りにする時はきっと来る」


 ——十九年前。


 唯我独尊にして専横跋扈せんおうばっこ跌宕狷介てっとうけんかいにして傍若無人を極めたひとりの魔女が、ある出会いを境にして変貌した。自惚うぬぼれを控え、横暴さはなりをひそめ、思考は柔軟に、他者を気遣うようになった。


 千年にひとりの才を持つ少女が、恋する乙女として頬を赤らめ、貞淑な妻となって夫の隣で微笑み、やがて子を抱くに至り、母の慈愛を得た。


 驚くべきことに、孤高の存在であった頃よりも魔術には磨きがかかり、その魔導は更なる飛躍を見せる。十三年前に夫と子を失った際はひととき荒れたが——それも束の間、家族を取り戻すために魔導を更に深化させ、今や歴史にも並ぶ者なき至高の魔女として、世界に名を轟かせるに至った。


 生来の身勝手さは抜けず、根は独立独歩であり、他者に対する遠慮がないのは変わらないが、それでも彼女は自分たちを頼りにしている。

 自分ひとりではできないことがあると、わかっている。


「だったら私たちが、あの子を支えてやらないとね」


 そうつぶやく、セーラリンデ=ミュカレ。

『天鈴の魔女』ヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノの、伯母である。

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