尖った耳に覚えがある

 落ち着いて状況を整理しよう。


 ギリくまが あらわれた!

 ギリくまを やっつけた!

 美少女が あらわれた!

 美少女は スイに 抱きついてきた!

 スイは キスされた!


 ここまでが前回の流れ。

 そしてここからが今回の、最新の出来事だ。

 つまりは、


 美少女は ねむってしまった!


「……すやぁ」

「まじか……」


 こちとらジェットコースターの方がまだマシだというくらい心臓がばくばくしているというのに。抱きつかれて、キスされて、なんかもういろいろ柔らかくて、パニックになりかけていたというのに。


 少女はそのまま僕に体重を預けてきたと思ったら——耳元から微睡まどろむ音が聞こえてきた。


「いやこれどうすんだ。どうすんだ……」


 気を失ったのであればなにかしらの怪我や疾患しっかんを疑うところなのだが、顔を見るに完全無欠にだらっと眠っている。幸せそうに頬を緩めて、涎が垂れそうな勢いだった。


「ちょっと、大丈夫? 起きて、目を覚まして」


 一応揺さぶってみるが、


「むり。ずっとねてない。ねりゅ……」


 ダメだった。

 かろうじて意識はあるみたいだが、時間の問題な気がする。それに、ずっと寝てなかったみたいだし、やっぱり病気などではなく寝不足なんだろう。


「仕方ないなあ」


 少女を持ち上げる。異世界に来てから全体的につよつよとなった僕は、女の子ひとりくらいなら平気なのである。どう抱えていいものやらわからずやむなくお姫さま抱っこしたけど、あとで訴えられたりしないだろうな。


「ん。だっこ、きもちい……」

「なあ本当に寝てる? 寝たふりしてない?」

「すやぁ」


 少女が寝言っぽいつぶやきとともに身体を預けてくる。いやなんだこれ本当。甘えたがるのは■■年前とちっとも変わってないな——僕はいまなにを思った?


「わうっ!」


 と——足元で吠えるショコラに視線を遣る。音量控えめな、機嫌がいい時の声だった。尻尾をぶんぶんと振って、僕らの周りをぐるんぐるん回っている。


「どうした?」

「くぅーん」


 問うた後、ショコラの取った行動に僕は驚く。


 僕が抱える少女の、だらんと垂れた右手。

 その指先を、ぺろぺろと舐め始めたのだ。


「なんだお前……珍しいな」


 僕——と死んだ父さん——の前ではこんな調子のショコラだが、実は家族以外への対応はすこぶるしょっぱい。


 吠えるとか噛むとかそういう行為は絶対しないものの(かしこい)、知らない人に対しては、つーん、とそっぽを向いて興味も示さないのだ。

 構おうとしてもダメ、撫でようとするとするっと離れていく。


 僕や父さんが留守にする際、よくお隣さんである樋口ひぐちのご夫婦に預かってもらっていたが、なんでも『素直におとなしくしてるし餌もちゃんと食べるけど、自分からは甘えたり絡んだりしない』だそうで、たぶんこれは家族——僕らが「しっかり言うことを聞くんだぞ」と説いたから従っていた、のではないかと思う。


 で、そんなショコラがだ。


「くぅーん」

 ぺろぺろ、ぺろぺろ、と。


 少女の手を嬉しそうに舐め続けているではないか。


「なあショコラ、この子……」

「わう!」


 僕が問おうとすると、ショコラは手にじゃれつくのをやめてひと声鳴き、家の方へとたったか走る。玄関の前で立ち止まると、


「わう、わう!」

「……早く休ませてやれ、って言ってるのか?」

「わうっ!」


 僕は眉を寄せた。まったくどうしちゃったんだよこの子ってば。

 ただまあ、確かに休ませてやれというのには同意だ。


 少女のことをよく見れば、淡い金色の髪はけっこう乱れていて、頬も土で汚れている。衣服も葉っぱや蜘蛛の巣が貼り付いており、ところどころ破れてさえいた。


「ほんとはお風呂に入って欲しいんだけどなあ」

「…………すぅ」


 どうやら本格的に眠ってしまったようで、寝息以外の反応はない。


「仕方ない、か」


 少女を抱えたまま、玄関に入る(ドアはショコラがひょいっと開けてくれた。かしこい)。靴を脱いで二階へ上がり、寝室のベッドに彼女を寝かせる。


 さすがにマントっぽいものは脱がせた。触ってはいけない部分にうっかり触らないようめちゃくちゃ注意した。マントの下の衣服は思いのほか露出が多く、胸許がかなりざっくり開いていて、いやほんと僕の人間性と倫理を無駄に問わないでほしい。


「落ち着け。僕は紳士だ」


 見るな、見るな。どきどきしてしまうことに罪悪感がある。顔を背けながら掛け布団で首から下を覆い、頭を抱えて枕を差し込む。


「洗濯、どうすっかなあ」


 このが現れたおかげ——と言っていいかどうかはわからないが、今まで考えないようにしてきた問題が否応なく浮上してきた。

 

 彼女の汚れた衣服やいま使っている布団ももちろんだが、僕が着ているもの一式もだ。

 この家には、洗濯設備がない。


 正確に言うと、洗濯機ある。

 一階廊下の奥、お風呂場と洗面所の間に備え付けられていた。ドラム式で乾燥機能付きのなかなかいいやつ。横の棚には洗剤も置かれていた。


 だが当然のことながらこの家に電気は通っておらず、電源が入らない洗濯機はただの重くてでかい箱に過ぎない。


「まあ蛇口から水は出るし、手洗いでどうにかするしかないか」


 生活排水のことも気になる。でもこれは仮に洗濯機が動いたとして、使った水はいったいどこに排出されるんだろう。キッチンの水とかも——そういや昨日、弁当箱洗ったよな……。


「……後で考えよ」


 女性が眠っている部屋に突っ立って考え込むのはさすがにアウトだ。

 そう思い、部屋を出ようとした僕の視界、隅で。


「ん……」


 少女が寝返りを打ち、頭を横にする。

 さらり。淡い金色の髪が枕に散って——彼女の耳が、あらわになる。


 ずっと髪に隠れていて、たぶん抱きかかえて運んでいた時もベッドに寝せた時も、耳が出たことはあったのだろう。だけど僕はたまたまその瞬間を見ていなかった。そしていま、また彼女は耳を露出させ、そして今度はたまたま見た。



 ——ねえ、カレンのみみ、なんでとがってるの?

 ——へん?

 ——ううん、へんじゃない。でも、ぼくのみみはまるいから。



 フラッシュバックする。

 今までも——異世界に来てからずっと、断続的に。

 浮かんでは溶けて弾けては沈み、つまりを繰り返していた、記憶。


 子供の頃の——たぶん、五歳よりも前の。

 日本向こうにいた時には完全に亡失ぼうしつしていた記憶。


 そうだ。

 子は——金色の髪とみどり色の目をした子は。

 僕の問いに、こう答えたんだ。


 ——わたしはエルフだから、みみがながい。


「なんで……?」


 甦った記憶は断片的で、気を抜くとまた心の奥底に埋もれていってしまいそうで、だから今はたとえ断片だけでも忘れてしまわないように必死で。


 わからない。まだ、わからない。


 どうして僕とこの子は、カレンは。

 幼い頃に、会話を交わしたことがあるんだろう。

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