記憶の奥にぼんやりと
「なんか、すごいビームとか、出ろーーーーー!!」
僕の
こちらとギリくま、
これは僕の間合いだ、と。
故に。
剣を振り抜いた勢いとともに、刀身を覆っていた黒いものは、そのまま
——なかった。
……その、僕の期待とはまったく違ってですね。
剣を振り抜いた勢いとともに、刀身を覆っていた黒いものは、そのまま
べちゃっと。
子供のいたずらか? くらいな感じのしょぼさで、ギリくまにへばりついた。
「え……いや、ええ……?」
落胆の声が漏れる。
でも実際は落胆している場合じゃない。
これじゃ敵を倒すことはできなくて、そうなると結界がもしも壊れたらギリくまは間違いなく襲ってくる訳で、あんなやばい攻撃、いくら身体能力が上がっているからって僕にどうこうできるとは全然思えなくて、
「くそ、なんなんだよ! なんか『いける』って思ったのに……僕そんな思い込みの激しい奴だったか……?」
もうガソリン作戦しかない。
着火用のたいまつを作らなきゃ。布は……惜しいけど、Tシャツを使う。今すぐ倉庫に行って準備をしよう。
「って……え」
慌てて踵を返そうとした僕の目に映った光景——正確には門の前にいるギリくまさんの様子に、思わず脚を止める。
今しがた、僕の飛ばした黒いヘドロみたいなやつ。
それはギリくまの身体にへばりつき、そのまま浸透していた。まるでスポンジを水に浸けたみたいに、ギリくまの体毛、背中のクリスタルに染み込んでいる。
それに伴い、ギリくまの動きが鈍っていく。
蠍の尻尾も、両腕の駄々っ子パンチも、背中に生えたクリスタルにまとわりつく赤い電光ですら。
ギリくまの動きそのものが、まるで時間が遅延しているみたいに、ゆっくりとスローモーションになっていく。
「これ、は……なんだ? あの黒い塊の?」
「わおおおおおんっ!!」
ショコラが吠えた。
威嚇ではない。明確な意志を込めた、力強い咆哮だった。
即ち、好機と見ての攻撃。
吠えると同時、跳躍するショコラ。
そのままブロック塀の上に着地——した瞬間、塀を蹴って更に上空へ。
見上げるほど、たっぷり十メートル以上も舞い上がり、最高高度に到達すると背中をまるめて身体を回転させる。
音がした。
ショコラの身体が白く輝いている。それは空中に現出した太陽、昼間に浮かぶ鬼火、つまりは途方もないエネルギーを発する光の塊。
太陽が彗星になった。
光に包まれたショコラは、物理法則どうなってんだとばかりに下方へと急加速。輝く尾を残しながら、一条の軌跡で地面の敵——ギリくまの胴体を、貫く。
僕がついさっき夢見た『なんかすごいビーム』そのものだった。
一拍遅れて、地面を揺らす轟音。
動きがスローモーションになっていたギリくまは、ショコラが飛び上がる時にすら反応を示せなかった。つまり頭上から迫ってきた光の突進に抗う術などなく、胴体を貫かれて土にくずおれる。
……というか、貫かれたで済むんだろうか。
ちょっと正面からじゃわからないが、あのギリくま、ギリとくまに分かれてるかもしれない。
「わおん!」
しゅたっ、とショコラが僕の横に着地する。身体に纏っていた光はすでになく、僕の慣れ親しんだいつもの毛並み。大喜びで僕に飛びかかり、前脚ごと体重を預けてきた。
「わふっ!」
舌を出して息を弾ませ、期待するように見てくる。ほめてほめて、と。
「はは……すごい……すごいな、お前」
僕は思わず笑いながら、ショコラを抱き締めて撫で回す。助かったという安堵に混じって、なんだようちの子は主人より強いじゃねえかという驚きと、またしても助けてもらったなという不甲斐なさが胸にあった。
だけどなによりも——やっぱり、嬉しい。
ショコラがいつものショコラであることが。
どんなに強くなっても、光を放って彗星みたいに化け物をやっつけても。
変わらない。変わっていない。
子供の頃からずっと一緒の、僕の家族のままだ。
「よーしよしよし! ……もういいか? ごめんな」
放っておくと永遠に撫でさせられそうな気がしたのでどうどうと落ち着かせる。いつまでも遊んではいられない。まだやることがある。
「あれを、片付けないといけないからな」
門の前で倒れてもはやぴくりとも動かない、ギリくまの処理だ。
今日のこの騒動の原因——昨日の失敗は、ドラゴンの死体を放置していたことにある。
あの時点では確かにどうしようもなかったとはいえ、死体をそのままに寝てしまったせいで、夜中にこいつを呼び寄せた。そして格好の餌場だと思い込ませてしまい、明けて本日、再度の来訪を招くことに繋がった。
ギリくまさんの死体を放置していたら、きっとまた同じことになる。
もしこいつを餌にするこいつ以上のクリーチャーなんかが現れた時、僕は果たして正気でいられるか。……強い弱いとか勝てる勝てないとか以前に、様子がおかしすぎて怖いんだよ!
門を出て死体の前に立つ。ギリくまさんは僕の予想通り、見事にギリとくまに分裂していた。血溜まりの中、ギリとくまがほんのちょっとだけ中身で繋がっている。吐きそうな感じにグロい。
「土に埋めるか、いっそガソリンかけて焼くか」
血のにおいも気になる。獣をおびき寄せそうだ。
ガソリンならケミカルな異臭がたつから、野生の獣避けになるかなあ。
そう思いながら死体を眺めていると、妙なことに気付く。
「あれ? これ……」
背中のクリスタルがぼんやりと発光しているのだ。
身体そのものはぴくりとも動かず、生きているはずもない。だけどクリスタルは内部にLEDでも仕込まれているみたいに、薄ぼんやりと明滅している。
向こうで読んでた異世界ものだと、魔物の体内には魔石があってうんたらかんたらって感じだったけど、もしかしてそれだろうか。
と、思考していた時だった。
「離れて!」
細くも鋭い——芯の通ったガラスみたいに綺麗な女性の声が、僕の意識を引き戻す。切羽詰まった声音に有無を言わさぬ口調で、彼女はもう一度言った。
「離れてっ!!」
慌てて飛び退く。今の僕の跳躍力はちょっとしたもので、その一瞬で門の内側、結界の中に入る。
「
耳に届くのはよくわからないつぶやき。
ギリくまの死体、クリスタルの光が不意に強くなった。
赤く眩しく輝き、微かに火花が散る。
瞬間。
「……『
どっごおおおおん!
女の人が叫ぶと同時に、鼓膜を震わせる雷鳴。
ギリくまのクリスタルが特大の
四方八方に巻き散るかと思われた雷はしかし、僕らのところにまで届かない。
白く淡い
まるで雲に
そのままたっぷり十秒ほど、電撃は靄の内で
クリスタルはおろかギリくまさんの死体すらも、跡形もなく。
「危なかった」
森の木陰から、ひとりの人影が歩んでくる。
「変異種は死んだ後、身体の
綺麗な人だった。
地球——テレビでも見たことがないほどの。
たぶん、年齢は僕と同じくらいか少し上。
西洋人とも東洋人ともつかない、まるで人種を超越したような、完璧な造形を目指して作られましたみたいな、端正な目鼻だちをしている。
金色の髪は淡く、甘い蜂蜜を連想させた。
すらりとしたスタイルは均整で、顔つきと同じくらいに完璧で、そこに立っているだけで優雅。
纏った衣服のあちこちが汚れていて、息も弾んでいる。ほっぺたにも土がついている。まるで森の中をぶっ続けで走ってきました、みたいな様相だった。
だけどそれでも、彼女の美しさは微塵も揺らがない。
その人——少女は僕のところへ歩んでくる。
門をあっさりと潜り抜け、家の庭へと入ってくる。
二メートル、一メートル、五十センチ——、
その両手が、僕の頬を掴んで撫でる。
顔の形を確かめているような、ひやりとした感触。
「面影がある」
「は、はい?」
「……スイ。スイ=ハタノ。間違いない?」
「は、はい……」
そうです、僕の名前は
でもあなたみたいな美人さんがどうして僕のことを?
じっと見詰められて、視線を外すことができず、彼女の瞳を見返す。
澄んだ緑色。
僕の名前と同じ、瞳の色をした少女——。
問おうとした瞬間、彼女の顔が接近してくる。
「無事でよかった。会いたかった、スイ」
「……んむ!?」
彼女は——。
そのまま僕を抱擁し、僕の唇に、自分の唇を重ねる。
背中に回された腕の柔らかさとか、キスされた唇の柔らかさとか、押し付けられた胸の柔らかさとか、いやごめんなさい柔らかさで頭がいっぱいだし心臓が痛いくらいに跳ねてるけども。
カレン。
頭の奥にぼんやりと、その響きが浮かんできた。
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