犯人は現場に戻ってくる

 結論。

 ショコラだけではなく、僕も強くなってる。


 切り落とした枝が地面に落ちた後、僕もまた着地する。目算でたっぷり五メートルを垂直飛びしたというのに、跳躍の際も着地の際も、僕の身体に衝撃はなかった。


 ——と、いうより。


「たぶんこれ、んだよな」


 軽く膝を曲げ伸ばししながら体内の感覚を確かめる。


 今のは全力ではなかった。なんとなく「あの辺まで飛んでみっかな」的な感覚でジャンプしたが、力加減としては三割くらいがいいとこだったと思う。


 正直、自分で自分がちょっと怖い。本気を出したらどこまでやれるのかがわからなかった。


 ただ一方で、力加減のコントロールは問題ないというのがさっきの垂直飛びで把握できた。この手のやつでよくある「ドアノブをひねったらじ切ってしまった」系の失敗は起こさずに済みそうだ。


「昨日のショコラみたいに、全力でやったらえらいことになるかもなあ」

「わう?」

「どっか草原とかあったらいいのにな。追いかけっことかで試したい」

「わう! わうわうっ!」


 追いかけっこ、という単語に反応して僕の周りをぴょんぴょん飛び跳ねるショコラ。そういえば今日は散歩ができてないんだよな。昨日はいいとして、これからこいつの運動はどうしよう。森の中を歩き回るのはさすがに不安だ。


「僕がどのくらいやれるかって話もあるしなあ」


 たとえ身体能力がどんなに上がっていても、そして手元に武器ロングソードがあっても、戦えるかどうか、殺せるかどうかというのはまた別の話だ。


 剣道はもちろん、格闘技だってやったことがない。なにより生き物を前にして——殺す覚悟みたいなのを、まだ持てていない。


「まあ、無理はできないよね。しばらくは専守防衛しかないんだけど……そうなると、家の結界か。これ、どうやって検証しようかね」

「わふっ!」


 ぴょんぴょん跳ねるショコラの鼻先で手を上下させて遊びながら、門の内に入る。森からは十メートルも歩いていないのに、敷地内だと妙な安心感があった。


「いや、一度しか発動してないのに安心してどうする。正常性バイアス、ってやつか」


 やれやれと肩をすくめる。


 僕らの出入りは自由で攻撃だけを防いでくれる、そんな都合のいい結界ではないだろう。なんらかの法則、なんらかの条件、なんらかの制限が必ずあるはずだ。……そもそも『攻撃を防ぐ不可視の壁』って存在自体がなんだか都合のいい便利ガジェットみたいな感じだから、都合のよさをあらゆる方向性で求めてしまうのは心理ってもんだけれども。


「外から石でも投げてみるかなあ」


 なんとはなしに振り返ってみると。

 

「…………、熊?」

 熊がいた。


 門の前にいつの間にか。

 目前、およそ五メートル先。


 昨日のドラゴンのインパクトと比べたら、大きさはさほどではない。四つん這いの状態で体高はブロック塀より少し高い程度、地球の熊と比べてもたぶんあまり変わりはない。ホッキョクグマとかと同じくらいだと思う。


「……ただ、地球の熊はですね」


 背中からクリスタルみたいなものが生えてないし——蠍みたいな針のついた長い尻尾なんて持ってないし——頭部に山羊みたいな角が二本あったりも——、


「しないんですよ、ねえ……」


 なに。

 なんなんこいつ。

 意味わからん。全っ然、意味わからん。


 昨日のドラゴンはわかる。あんなん実際にいるんかいと思ったけどまだわかる。だってファンタジー世界ではいかにもな見た目だったから。


 でもこれは違うだろ。あんまりだろ。

 魔物じゃなくて化け物、モンスターじゃなくてクリーチャーだろ。


「神さまがトランス中にデザイン作業してるじゃん……」


 その『熊』は。


 熊と呼んでいいのかわからないけど無理やりカテゴライズすればギリギリ熊、名付けてギリくまは。


 ふしゅうううう、と。

 僕を認識し、僕に視線を遣り、僕に牙を剥いて——僕の精神に対する配慮の感じられない、やばい感じの息を吐く。


「……っ!」


 熊は立ち上がった。

 そして両手を振りかぶり、ブロック塀を壊そうと叩きつける。


 結界が、発動した。


 ぐわあああん! 空気銃で鍋を撃ったような音とともにギリくまの両掌が弾かれる。だがドラゴンとは違い、そいつはわずかにのけぞるだけで地面に踏ん張って耐える。


「Gjyyyyyyyyyyyyyyyykkkkkk!!」


 ギリくまが吠えた。金属を擦り合わせながら泣き叫ぶ老婆みたいな、あまりにもおぞましい声だった。


 再び四つん這いの姿勢。

 続いての攻撃は蠍の尻尾だった。

 ががががががが、と先端が門に向かって打ち付けられる。世界チャンピオンのジャブもかくやの高速連打は、それでも結界に阻まれて中空で止まっているようだ。


「Dzyyyyyyyyyyyyyykkkkkkk!!」


 いやほんとなんなのその形容できないやばすぎる咆哮は。


 続いては背中のクリスタル。薄赤く発光し、バチバチと火花を纏い、襲いかかってくる——赤い電撃。


 空中に走るひび割れじみたそれを、しかし結界はなおも防いだ。

 電撃は門から放射状に、結界の表面を滑りながら散っていく。その軌跡を見るにどうも結界そのものは半球形、ドーム状に家を覆っているらしい。


 雷すら通じなかったことにキレ散らかしたのか、ギリくまさんはなんかもうエグい感じにこっちへ攻撃を続けてくる。両腕で殴る、尻尾で刺す、雷で打つ、そのローテーションというか乱舞というか、めちゃくちゃだった。


「ドラゴンを持ち去ったの、あいつ……なのか?」


 きっとそうだろう。獲物が転がっていたことに気をよくして、また肉があるかもとやって来たに違いない。というか、あれとは別にまだ犯人がいて別途訪問予定とか思いたくないなあ。


 とりあえず現時点でわかるのは、このギリくまは昨日のワイバーンより数段ヤバい生物だということ。そして家の結界はめちゃくちゃ有能で、今のところギリくまの攻撃にもびくともしていないということ。


 そして——僕の身体がさっきから、恐怖でまったく動かないということだ。


 このままではまずい。

 

 だってギリくまは諦めてくれる気配もなく、家の結界が無限に攻撃を防いでくれるとも限らない。この膠着こうちゃく状態は、決して永遠ではないのだ。


 だから、なんとかする必要がある。


 家に使えるものはあるか。なんか上手いこと知恵を駆使して、思わぬアイテムと思わぬアイテムのシナジーですごいことになるような、頭のいい攻撃で撃退できたりしないか。


 全然なにひとつとして閃かない。


 あ、ガソリンぶっかけて火を点けるのはどうか。いけるかもしれない。ライターで火をつけるのは無謀だが、布と棒で松明みたいなのを作ればいい。試してみる価値がある。ただ、こっちの準備が終わるまでギリくまさんはあのまま暴れててくれるかな……。


 と。

 思考だか逡巡しゅんじゅんだかわからない混乱から、僕を引き戻すものがあった。


「わふっ、わふっ!」

「ん……?」


 見ると、ショコラが僕の手をべろべろと舐めていた。


「どうしたんだ、そんなに……」

「わう! わうわう!」


 あの恐ろしいギリくまを前にして、ショコラは平然としていた。

 唸って威嚇いかくするでもなく、昨日みたいに突進するでもなく。

 手を舐めることで僕の注意をひこうとしている。


 僕が視線を遣ると、やっとこっち向いた! と言わんばかりに尻尾を振る。

 そうして僕の反対側、右に回り込むと、


「わんっ!」


 これ見てよ、と。

 僕の右袖をくわえる——袖から伸びた右手と、握った剣。


「え……」


 剣は黒を纏っていた。

 もやのような、墨汁のような、粘着質そうでいてなんとなく掴みどころのない——不定形の、黒い


 僕は知っている。

 記憶にある。

 色こそ違うがこれは、■力の塊だ。

 ■さんが魔■を使う時に見たことがある。■さんのは確か綺麗なすみれ色で、でも僕のこれは——この黒いものは。


「剣から、飛ばせる……かも」

「わうっ!」


 ショコラが嬉しそうに鳴いた。

 いけるよ、と肯定してくれたように感じた。


 それだけでなんだか力と自信が湧いてくる。

 ガソリン攻撃を試す前に、こっちをやってみようという気持ちになる。


「……よし」


 この黒い靄でなにが起きるのかは全然わからない。

 ただ、使い方はわかる。

 あいつに向かって振ればいい。


 念ずればけんずる。

 唱えれば創られる。

 思いあらば届く。

 願い乞えば来たる。

 祈りなど不要。

 必要なのは、強き意志。


 子供の頃に■さんから教わった、魔力の使い方——の基本理念。

 だから、このまま、いけ。


 僕は剣を構えた。

 そして腰を入れて、暴れ狂う化け物を睨みつけ。

 叫びながら、剣を振り抜いた。


「なんか、すごいビームとか、出ろーーーーー!!」

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