第66話

 無くしてしまった鍵が、思いもよらぬところから見つかるのは、よくある話で。

 かくいう東伍も、つい先日自宅のソファの隙間から見つけた鍵の詳細を考えている最中であった。

 自宅の鍵にしては小ぶりで、自転車の鍵にしては少々凝っている。金庫の鍵でもなければ職場のロッカーの鍵でもなく、東伍は雨の流れるフロントガラスを眺めながら、街灯のライトの灯りにくだんの鍵をかざしていた。

 

「やっぱり、思い出せない」

 

 夕刻、朔夜と名乗る妙な少女が東伍を訪ねてきてから、空が暗くなるまで東伍は物思いに耽る。

 謂れのない犯罪疑惑に巻き込まれてから四年。あすかの署名が功を奏し、なんとか疑惑も晴れて職場に復帰したのは良いものの、東伍はそれ以来のどの奥に小骨がつっかえたような、妙な不快感を感じるようになった。

 あったはずの何かが消え、記憶にない事実に度々触れる。大事なものをなくしているような、思い出したくないものを閉じ込めているような危うさを抱えて、東伍はここ数年を彷徨っているような感覚だった。

 

 じっと、鍵を持つ手を見つめる。

 その時不意に、指先から蒸気が上がったような気がした東伍は驚いて鍵を落とした。

 

「なんなんだよ、もう」

 

 ドアを開け、雨に背中を打たれながら足元に落ちた鍵を探す。

 夢で見た光景が脳裏を駆け巡り、シートの下から見つけ出した鍵を再び見れば、突然夢の続きがフラッシュバックした。

 

 それは水泳部の更衣室。

 夢の中で手を伸ばした先にあったのは——

 

 

「……ロッカーだ」

 

 

 東伍は駆け出した。

 思いの外大粒で降り注ぐ雨を顔面に受けながらプールの門の前までたどり着いた東伍は、つい最近男子生徒から聞いた裏技を試みる。

 

「紙、紙、……あ、」

 

 ポケットには、先ほど朔夜からもらったおみくじ。東伍はそれを広げて一度たたみ硬さを確保すると、壁と門の隙間に挟み込んで持っていた鍵を鍵穴へと差し込む。ガチャガチャと何回か左右に回せば、門の鍵穴は無防備な解鍵音を響かせた。

 

 門を開け、更衣室へと急ぐ。電気をつけ、びしょ濡れな顔を手でひと拭いすると、部屋の隅にあるロッカーを見上げた。

 

「鍵、ついてる」

 

 壁際に陳列するロッカー、そのすべてのボックスには鍵が刺さっていて、東伍の持つ鍵が差し込めるロッカーは見当たらない。

 惰性で全部のロッカーを開閉してみても、中身はほとんど空っぽで、ちらほらゴーグルやタオルの忘れ物があるだけだった。

 

 東伍は落胆する。ピンときた、もうここ以外ない、そんな気持ちで予測した結果が外れた時の無気力感に溢れた。

 床に敷かれたすのこに、崩れるように横になる。大きく胸で呼吸をし、濡れた衣服の水分がすのこに吸収されていく感覚を覚えた、その時。

 

 “水野っち? やっぱりここなんじゃん”

 記憶の中で、女の子が明るく笑う。

 

「そうか。女子更衣室だ」

 

 東伍は起き上がった。男子更衣室の隣、女子更衣室へ移動して扉を開けると、室内は男子のそれとほぼ同じ。ロッカーにはちらほら鍵のかかったボックスがあったが、それでも東伍はまっすぐに左隅のロッカーを見つめる。

 

 東伍は何故だか、覚悟を決めた。

 開けてはならない背徳感は、ここが女子更衣室だからだろうか。それ以上のパンドラの箱を想定しているからだろうか。

 ゆっくり、鍵穴に向かって手元の鍵を差し込めば、ロッカーは見事に、解鍵音をあげた。

 

 

 

 

 中身は一枚の写真。

 東伍が手に取ったその写真には、淑和学院の制服を着たカップルがテーブルを挟んで写っていた。

 

 一人は栗色のショートヘア。小麦色に焼けた少女はワイシャツの袖を肘までまくり、両手で目一杯のピースサイン。くしゃっと目を線にして、ニカっと笑う。

 対する少年はというと、左手に持ったカメラを気にしているのか、はたまたこの場に緊張しているのか、ぎこちない笑顔。少女より若干色濃く焼けたその顔で、ちらりと、愛おしげな視線を彼女に向けていた。

 

 季節はクリスマスなのだろう。窓にデコレーションされた白いスプレーが、雪だるまやサンタクロース、リースをかたどってカップルの時間を彩る。テーブルには、湯気の立った料理が並んでいた。

 

 

 

『なんか食べて帰る?』

 少年が言う。

 

『私、ビーフシチュー!』

 少女は笑う。

 

『いいね。じゃあファミレスで話そっか』

『水野くんはファミレスメニュー、何が好き?』

『えーっと、俺はね』

 

 季節が巡っても時が経っても。

 変わらないものが、写真に写る。

 

『チキンと……メキシカンピラフ、かな』



 了

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