第18話

「え、開いたんですか?」

 

 まさかの解鍵音に東伍が言えば、ジンは驚いて振り向く。それからすぐに、ジンは東伍から距離を取った。

 

「……東伍。僕に隠し事しているなら今すぐ吐け」

「なんですか、隠し事って」

「だって、こんなのおかしいだろ! これじゃ、東伍と奴らがグルだとしか……ゴホッ」

 

 室内に充満する煙に充てられ、ジンが咳き込む。

 

「とにかく行きましょう。言い分はあとでいくらでも聞きます。このままじゃ、焼け死ぬ前に意識を失ってしまいますよ」

 

 口元を腕で押さえながらジンの手を掴んだ東伍は、足を踏み出す。が、ジンの足は地面にブレーキをかけたまま動かなかった。

 

「ジンさんいい加減にしてください、早くしないと」

「ひとつ、約束してくれないか」

 

 今までのどの時よりも真剣な声色に、東伍はジンに向き合う。

 

「この先、僕が外の世界で生きることが困難になったら。その時は東伍、きみに責任を取ってもらう」

「責任?」

「僕は臆病なんだ。ひとりでは死ねない」

 

 東伍は掴んだジンの手首に視線を下ろし、腕、肩、首、そうして順に見ていった後、顔を上げて目を合わせた。

 

「分かりました。責任は俺がとります。行きますよ」

 

 そうして。東伍とジンはようやく、小瀬メンタルクリニックの地下の要塞から脱出する決意を固める。

 燃え盛るベッドを横目に靴を履き、東伍は財布と充電の切れたスマートフォン、ジンは医療用カートに乗ったドイツ語の箱を開封すると、そこから瓶を二つ抜き取って懐にしまった。

 

 鍵は開いたものの、扉の開閉に少々手こずる。扉はダストシュートの幅だけ分厚く、さらに若干上向きに傾いているおかげで、二人の栄養不足で筋肉の落ちた身体では、目一杯押して半開させるのがやっとだった。

 

「も、もうちょっと本気出せよ」

「食料尽きるまで扉の存在を黙っていたジンさんにい、言われたくない。肉で英気を養った初日だったなら、こんな扉、俺ひとりで……」

 

 肩で息を吐きながら、なんとか身体を横向きにして扉を抜ける。重力に従って再び閉じられた扉は、隣室に燃え盛る炎の気配をも閉ざしてくれた。

 

 同時に、東伍は気づく。

 

「ジンさん、まずいですよ。ここ真っ暗です」

「大丈夫、明かりならある。言っただろ、僕はこの道を行くくらいなら死んだほうがマシだって。つまりはこの道をどう行けば外に出られるか、この道の先に何が待っているのかを、僕はよーく知っているってこと」

 

 ジンは暗がりの中、手探りで壁に触れる。ペチペチと手のひらで軽く叩いたのち、取っ手を見つけると引いた。

 それは壁に取り付けられた小さな引き出しのようなもので、ジンは中から懐中電灯を取り出すと、付いているハンドルを回しながらスイッチを入れる。

 

「手動式だけど灯りはつく。ここは一本道だから迷うことはない。着いてきて」

 

 小さな灯りが照らし出したその道は、上下左右幅五メートルほどの真四角な空間だった。材質はコンクリート。所々に網目状の換気穴があり、端には台車が二つ置かれている。

 

「あの、この台車って」

「触るな!!」

 

 突然の大声。東伍が焦って手を引っ込めると、ジンは気を抑えて声を落とす。

 

「その台車はもう使い道のないものだ、置いていく」

「……わかりました」

「出口までは一本道で迷いようはない。だからこの道中、何に気づこうが何を見ようが、僕に一切の質問はしないでほしい。着いてくれば数分だ。いいね?」

 

 ジンの問いかけに、東伍は何度か小さく頷いた。

 

「それで。なんで東伍がこの通路の鍵を持ってるんだよ」

 

 歩きながら喋るジンの声が、空間と壁に反響する。東伍は確実にその後ろについているが、質問に返事はしない。

 

「おい、聞いてんのか」

「俺は質問しちゃいけないのに、ジンさんは訊いていいんですね」

「は? なんだ文句か?」

「いや、別に」

 

 東伍とジン、互いに体力の限界はとうに超えていた。それでも気力で足を出し、なんとか状況を突破しようと必死だった。

 

「……覚えてますか。俺がこの地下に来るきっかけを作ったのは、恋人のふりをした女子高生だったって話」

「うん」

「その女子高生、川村泉っていうんですけど、多分俺が昔に助けた女の子だと思うんです。病院に来た父親らしき人が『泉』って、必死に名前を呼んでいたのを思い出して。それと黒子ほくろ。口元にあった特徴的な黒子が、なんだか印象に残っているんです」

「へえ。それでその女の子に昔、鍵を貰ったのか」

「貰ったっていうか、託されたっていうか」

「託された?」

「はい。『誰にも渡さないでくれ』そう言って鍵を渡されました。そのときの彼女があまりにも必死に頼むものだからつい、俺も承諾しちゃって」

 

 お人好し。そう口に出しそうになるが、ジンは言葉を飲み込んだ。

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