第12話
「そうだ。ステーキもいいけどさ、ハンバーグって手もあるよ。包丁でミンチにしなきゃならないから、少し時間がかかるんだけどさ」
「ジンさん」
「あ、それかローストにしてみようか! 一時間もあれば完成する——」
「ジンさん!!」
電子レンジを覗き込む後頭部に向かって、声を張り上げる東伍。それは不安と苛立ちと、恐れを帯びたものだった。
ジンはゆっくり振り返る。そうして、先ほどとは比べ物にならない位の満面の笑みで答えた。
「じゃあ教えてやるよ。あんたは騙されたんだ。まんまと罠にハマって、袋小路に追い詰められた。ここは人生の終末みたいな場所さ。僕以外の人間がこの部屋に訪れるの、自分が初めてだ、なんて思ってる? まさか。この部屋には入ったが最後、出られないって言ったろう? でもまあ、姿形を問わなければ、出られないこともないんだけどさ」
ジンは電子レンジから解凍した肉を取り出すと、これみよがしに両手で握る。
手のひらから手首、肘を伝って滴るドリップが、ポタポタと床に小さく弾けた。
「僕の精神疾患が強迫性障害だけなら、こんな場所にわざわざ閉じ込める必要ないと思わない? それに隔離室の用途は本来、他者を傷つけること或いは自分自身を傷つける行為を阻むためにあるよね。それなのに見てみなよ。ここには、武器が山ほどある」
一歩、また一歩と近づいてくるジンの狂気に、東伍はズリズリと後退する。
不意にお尻に触れた医療用カートに過剰にビクつけば、トレイに乗った器具やら何やらが床へと散らばった。
東伍はすかさず、メスを拾い上げる。
「こ、殺したのか。その、冷凍されているものは、人間だっていうのか」
「ははっ、ちょっと落ち着きなよ。あんた本当にいい奴なんだね」
「質問に答えろ! か、解体したのか?!」
途端、ジンの表情が色を失った。
「そうだ、と言ったらどうする? 僕をこの場で殺す? やってもいいけどその場合、屍の処理はあんたがする事になるな」
どんっ、——ジンの手から、肉片が床に落下する。その塊を見下げながら、ジンはこれまでにない低い声で言った。
「いつ人が訪れるかわからない。なんなら来ない可能性の方が圧倒的に高い。そんな状況で、死臭漂う遺体を放っておけるのか? 死ぬってのはな、そういうことなんだ。生物はおしなべて、最後は皮と肉と骨。それだけだ。死んで、すぐに灰になれるものならそれが一番いいよな。でも、そうはいかない。生き物は汚い。卑しい。だから僕は外の世界が嫌いなんだ。ずっと、この部屋にいるのが僕の安寧だった」
再び視線を合わせるジン。東伍のメスを握る右手に、力が入る。
「あんたが来てくれてよかったよ。僕は臆病だから、自分じゃ死ねない。だから、誰かが来るのをずっとじぃっと、待っていたんだ。さあ、いいよ。ひと思いにサクっと。そうだな、首がいいな。この辺り。あんまり長く苦しむのは、できれば避けたいから」
顎を上げて自身の首元を指差すと、ジンは両手を広げて受け入れの姿勢をとった。
東伍は考える。なんでこんなことになったのだろうと。つい数時間前まで教壇に立ち、生徒相手に教会の歴史にまつわる
「……俺は、騙されたのか」
東伍は理解した。
その呟きに、決意を固めて閉じかけていたジンの瞼が反応する。
「さっきの質問に答えます。どうして俺は、この場所に恋人がいると思ったか。それは本人に聞いたからです。でも、完全に本人というわけじゃない。誘拐され、俺と再会した陽子は……女子高生に、姿を変えていたんです」
幻想でもいい。信じてもらえなくても構わない。それでも東伍は、異常な状況に自暴自棄を極め、口を動かす。
「初めは俺も信じませんでした。アニメやドラマじゃあるまいし、人の外見と中身が入れ替わるなんて話。でも彼女、川村泉は、俺と陽子しか知り得ない情報をいくつも知っていた。顔こそ違えど、喋り方や雰囲気は陽子そのものだったんです。彼女は言いました。自分は誘拐監禁されて、その際窓から見えた景色を頼りにこの場所を見つけたって。でも、嘘だ。この部屋に窓はない。彼女は最初から、俺をここに閉じ込めるつもりだったんですよ。だから」
その時、話を遮るように洗濯機が乾燥終了の音を上げる。ビービーと大きめなその音にすら、東伍は嘲笑されている錯覚を覚えた。
身体の力が抜け、東伍はメスを握る腕を降ろす。それを見たジンもまた、広げた両手を下げた。
「あなたが言った通り、陽子が誘拐されたなんて事実は存在しないのかも。陽子は俺と別れたかっただけで、今もどこかで元気にしていて……でも、だったら言ってくれたらよかったのに。そう思いません? なにもわざわざプロポーズを受けた後、しかもクリスマスイブに姿を消したりしなくても。俺、そんなに甲斐性なかったんですかね」
「さあね。それか、あんたが実はとんでもなく極悪非道だった、とか」
「え?」
気の抜けた東伍の顔を一瞥しつつ、ジンは床に落ちた肉片を拾って流し台に乗せ、手を洗った。そうして、今度は乾燥の済んだ東伍の衣類を取り出すと、皺を伸ばすように手で挟む。
「だってそうだろう? こんな事をするには相当な恨みがなきゃ。心当たりないの? 過去に付き合った女性に酷いことしたとか、実は二股かけていたとか」
「俺はそんなこと」
「じゃあ、逆パターン。その陽子って女には別に男がいて、プロポーズされた途端あんたが邪魔になったんだ。だから小瀬と女子高生を使って、あんたを消しに掛かった」
「そんな。大体、陽子と小瀬に何の繋がり、が……」
“私は彼に会った事があるわ”
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