第13話

 東伍は思い出す。

 

「さっき陽子、昔精神科に通っていたことがあるって。小瀬にも会ったことがある、そう言っていました」

「へえ。昔って、いつ頃の話だろうね。僕は十五年間この場所にいるから、もしクリニックに通っていたのなら、顔を見れば思い出せるかもしれないけど」

 

 はい、と東伍に服を差し出すジン。

 

「とりあえず、落ち着いたんなら着替えたら? お肉も食べないと勿体無い。命は大切にしなきゃね」

「で、でもその肉は」

「あのね。僕みたいな非力な男に、人間を解体するなんて力技が出来るわけないだろ? 僕は死んでる個体に触ることはできても、生き物はムリ。虫唾が走る。人を殺す、ましてや生気に触れるなんて行為は論外だ」

 

 殺すよりも触れる方が無理なのか、と変な疑問が湧いたが、流石の東伍も口には出さない。

 少しくしゃくしゃなままのシャツとズボン、それから黒のカーディガンを羽織る東伍を横目に、ジンは話を続ける。

 

「炊事も掃除も洗濯も、一通りの家事は自分でできる。他人が調理したものは口にできないから、前までは二週に一度、ここに食材を届けてもらっていたんだ。肉はちゃんと冷凍処理したものだから、安心していい」

 

 二週に一度。その言葉に、東伍の表情が晴れる。

 

「それなら待っていればその内、人がここにやってくるってことですよね? 最後に食材を届けてもらったのって、いつなんですか?」

 

 ジンはフライパンに油をひき、コンロにセットすると火をつけ、塩胡椒した肉を投入した。

 ジュっ、と焼けた表面から白い煙が上がると火を弱め、じっくり、丁寧に焼いていく。

 

「あ、あの。ジンさん?」

「二ヶ月前」

「え」

「だから、最後に物資を届けに人が来たのは二ヶ月前。その次に来たのは、あんただ」

 

 仕切りも扉もない部屋に、肉の焼けるこっくりとした香りが充満する。

 昼以降何も食べていない東伍にとって、この匂いは食欲をそそるものであるはずなのに、二ヶ月というワードをきいて吐き気すら覚えた。

 

「もっと言うとね。その前に物資が来たのが、今から半年前。その日を境に、二週間待っても四週間待っても食材は届かなかった。僕は思ったよ。ああ、とうとうこの日が来たんだな、って。そこから僕は、最後に与えられた食材を少しずつ消費しながら、延命を図るわけなんだけど。材料が底をつき、調味料も舐め尽くして、最終的には水も飲めなくなった。気づけば四ヶ月が経とうとしていて、僕はもう、次に目を瞑れば永遠に目覚めない自信があったよ。——っと、もういい頃合いかな」

 

 ジンはフライパンから肉を取り出すと、手際よく包丁でカットしていく。平皿に盛り付け、フライパンに残った油で付け合わせのにんじんを炒めると、それも添えた。

 

「やっぱ僕天才だわ。ねえ、箸とフォークどっちで食べる人?」

「二ヶ……月」

「もしもーし、聞いてる?」

「二ヶ月。俺とあなたは最低でも二ヶ月、ここに閉じ込められたまま、過ごす可能性が高いんですね」

「あー、まあね」

「だったら!」

 

 東伍が声を張り上げる。

 

「悠長にこんな量の肉、焼いてる場合じゃないでしょう! 食材はなるべく残して、水も最小限に、シャワーもしばらくは控えないと……それから、それから」

「おい、落ち着けよ」

「連絡……電波がないし、換気扇……換気扇!! そこからダクトを伝っていけばっ」

「無理だよ。ダクトに人が通れるほどの空間はない」

「じゃあダストシュートは? そこなら、人ひとり入るのに充分、広いんじゃ」

「死ぬよ」

「どうして!」

「ダストシュートの先には、生ゴミや野菜くずを粉砕するディスポーザーが埋まっているんだ。そんなとこに身を投げれば、あとは想像できるだろう?」

 

 ジンの言葉を受け、東伍はその場にへたり込む。頭を抱え、浅い呼吸を繰り返す東伍の前に、ジンはステーキの乗った皿とフォークを置いた。

 

「食えよ。美味いぞ」

「……いりません」

「じゃあ魚にするか」

「結構です。少し、放っておいて貰えませんか」

「あ、わかった! 甘いもんだろ。そういや届けられた中に変な菓子が混ざっててさ」

「いいかげんにしてくれ!!」

 

 東伍のイライラが沸点を超える。

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