第3話
向かい合って数分。アイスコーヒーをストローで啜る音と、店内のポップなBGMが脳内で繰り返されるだけで、会話はない。
ファミリーレストランのテーブル席で、無駄に明るい照明にあてられた泉の顔面を、東伍はあらためてまじまじと見ていた。
あの後。泉が自分のことを小林陽子だと名乗った後、東伍は通常業務の刻限に追われるようにして泉と別れた。
生徒に申し訳ないとは思いながらも、授業に身も入らない状態でなんとか午前中を消化し、味のしない昼食を惰性で胃に流し込んで、とうとう
泉が口にした小林陽子。それは半年前に行方不明になった、東伍の恋人の名前だった。
寒さ身に染みる、去年のクリスマスイブ。東伍と陽子は仲睦まじくスーパーに出向き、手を取り合って住み慣れたマンションへと帰った。
陽子はキッチンで肉を煮込み、東伍はその様子を、カウンター越しに顔を綻ばせて見ている。ワインを用意し、宴の始まりを今か今かと待ち侘びていたところに、スマホ画面を確認した陽子は言った。
『生クリーム忘れた。買ってくるね』
その言葉を最後に、陽子が東伍の元へと帰ってくることはなかった。
絶対におかしい。何かトラブルに巻き込まれたのではないか。東伍はそう思い、なんども陽子のスマートフォンに着信を入れた。だがその着信に応じて貰えたことはなく、堪りかねた東伍が警察に届出を出そうとした頃、メッセージが届いた。
「……ねえ。空気重たくない? お腹空いちゃったんだけど、私ビーフシチューにしよっかなあ……あ、東伍もなんか食べる? いつものチキンと、それからメキシカンピラフ——」
「待って。きみが陽子だというのが一体どういう意味なのか、先に説明して貰えないかな。きみは、明らかに陽子じゃない」
「それは見た目の話?」
「見た目、っていうか」
泉の毅然とした態度に、東伍は自身の抱いていた不安心が
「どうしてそんな嘘をつくのかな。陽子の存在を誰から聞いたの?」
「だから陽子は私よ」
「いい加減にしてくれないか」
思わず語気が強まる。
確かに、喋り方や雰囲気は少しばかり陽子に似ている気がした。でも、そんな不確かな事項で納得できるはずもなく、東伍は目の前の泉を睨みつける。
「俺と陽子の過去の話や、このファミレスで俺がいつも何を頼むのかとか、きみに情報を与えた人間がいるんだろう。俺の好みだって、ずいぶん昔のものだ。そいつの目的は何? 陽子は今どこにいるんだ。今それを教えてくれるのなら、きみのしたことを悪戯だと済ませてもいいと思ってる」
店内のポップなBGMが一曲終わり、一瞬の静けさ。そのタイミングで、泉はため息をついた。
「まず先に説明しておくと、この身体の
既に次の曲へと移った店内のBGMが、鬱陶しい。東伍は陽子の話に怪訝な表情を見せるが、陽子は構わず続ける。
「あの日。去年のクリスマスイブ。マンションを出たきり戻らなかったのには理由があるの。私はとある男に捕まり連れ去られた。その日から今日まで、ずっとそいつの元で監禁されている。一人じゃ逃げ出せない、助けがいるの」
「待って。陽子は俺にメッセージをくれた。その内容を見て、俺は陽子の気持ちが落ち着くまで様子をみようと決めたんだ。そのメッセージの内容を、一字一句
お互いの瞳が、揺るぎない炎を灯してぶつかり合う。
東伍は押し負けそうになる気持ちを必死に奮い立たせて、睨みつけた。
「……いいわ。よく聴いて。口に出すのは、一度だけよ」
“プロポーズしてくれてありがとう。だけどもう少しだけ時間をください。じっくり考えたいの。しばらく、会わない”
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