第43話 女神の慈悲
氷を操る北の魔王を打ち倒し、『デモニック・キャステラン』と謎の追加シナリオをすべてクリアした俺とミヤは、女神のもとへと戻ってきた。
アルフィンとアロキャメルスは一命を取りとめ、研究所に運ばれていった。
魔神たちはもとよりアバター。再び召喚し、壊れた城の修繕に従事させている。
ジミマイは精神が乗っ取られたと無実を主張し、ひざまずいて許しを請うた。
伝え聞いた限りでは、勇者と女魔術師は無事にどこかへと旅立ったようだ。
じつは最後に、重大なコンプライアンス違反があったとして、大魔王が監獄に収容されるというバッドエンドを迎えたのだが、ここでは省かせてもらうとしよう。
「お疲れじゃったな、ふたりとも」
「満足です、アマテラスさま。どうもありがとうございました」
「お疲れさまでした。もうくたくたです」
「うむ。わらわも骨が折れた」
女神はゆったりとした椅子に座り、ぐったりとしていた。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、次はどこに行けばいいですか?」
「残り二時間を切りましたね」
「それなんじゃが、ここらで終わりにしようかと思うてな」
「え? まさか打ち切りですか?」
「いんや、もうこれで
一瞬ぽかんとしてから、俺とミヤは喜び合った。
ハイタッチしようと手の平を上げると、彼女は俺の胸へと飛び込んできた。
「やった、やりましたね! テンマさん!」
「わっ、よせ」
「これで元に戻れるんです。本当に良かった、ほんとうに……」
こちらを巻き込んだことにずっと責任を感じていたのだろう。
尾張だの総一郎だのとブレていた名前は、テンマに落ち着いたようだ。
このまま抱き合っているのはまんざらでもないが、女神の御前である。俺は軽く背をたたいて、ようやくミヤを引き剥がした。
「えへへ、すみません。つい嬉しくて」
「ああ、ぜんぶ初見なのによくやったな」
「はい!」
満面の笑顔を見て、ふとこれで見納めなのだと思った。
「どうしたんですか? テンマさんは嬉しくないのですか?」
「いや、嬉しいよ。俺もちょっと疲れたみたいだ」
「戻ったらゆっくり休みましょう」
「ああ……。それではアマテラスさま」
俺はゆっくりと、無表情で傍観していた女神に向き直った。
「これで思い残すことはありません。どうかお約束の……」
「そうじゃな。そうするとしよう」
「いよいよなんですね!」
「ミヤ。よく試練を乗り越えた。おぬしを地上に戻そう」
「はい、ありがとうございます、アマテラスさま……」
そう言って深々とひざまずく。
「あれ。テンマさんは……?」
ぺたん座りをしながら、こちらの顔を見上げる。
俺は思わず目を逸らしてしまった。
「おぬしだけじゃ。わらわはテンマと、試練の報酬としてミヤを蘇らせる約束をしたのじゃ」
「そ、そんな! 私は、私の試練をしていたのではないのですか?」
「おぬしはテンマのものを手伝っていただけじゃ」
「受け入れられません! テンマさんは私のせいで死んだんです! 私だけ生き返るなんて、そんなこととてもできません!」
「約束は約束じゃ」
「いや! テンマさんが蘇れないなら私もここに残ります……!」
ミヤは俺の脚にすがりついてきた。腿に顔を埋めて、泣きじゃくる。
「なにか言ってよ、テンマさん……お願いだから……」
言葉を返すことができず、呆然とした。
こうなるのはわかりきっていた。自分も蘇らせてくれと厚かましく言い出すことができず、機会を失ったままここまできてしまったのだ。
「だそうだ。どうするのじゃ?」
「私の分でどうかテンマさんを……」
「すまぬが、そのような約束はしておらんからのう」
「そんなぁ、あんまりです……」
すると女神は、急に悪そうな笑みを浮かべた。
「そうだ、ふたりともわらわとここでオンラインゲームをすればいいのじゃ。仲間は多いほうがよいからな。チームアマテラス結成なのじゃ!」
「……スン。それもありですね」
「ダメだ!」
大声を上げると、ミヤの体が跳ね上がった。
「君には夢があるんだろう? 俺の分までそれを叶えてくれ」
「無理です。勝手に決めないでください」
「それが俺の願いなんだ!」
「いや、そんなのお断りです!」
「女神さま、ミヤを送り返して!」
「あなた勝手よ! 勝手すぎる!」
「アマテラスさま! 早く!」
「よかろう」
ミヤは涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡らした顔を向け、痛くない拳を振り上げる。
女神は輝かしい神力を解き放つ。
「いやあああああ!!」
俺の目の前で、彼女は絶叫したまま光の中へと消えていった。
静寂が支配する空間の中に荒ぶる己の吐息だけが聞こえる。しばらく呆然として、なにも言葉を発することができなかった。
赤黒い光に包まれた魔界からこの真っ白な女神の間にやってきて、ちかちかとしていた目がようやく灯りに馴染んできた。気づけば古めかしい調度品が一つひとつと、まるでロードを終えて画面に反映されるかのように現れてくる。
呼吸が落ち着くのと同時に、これでようやく自身が白──すなわち死を受け入れたのだろうと感じられた。
長らく興奮状態にあった精神がすっかり鎮まると、なぜだか急に笑いが込み上げてきて、目の前に座する女神に語りかけた。
「ところでアマテラスさま、ジミマイに乗り移っていたでしょう?」
「はて、なんのことやら」
「まったく、とぼけても無駄ですよ。ずいぶんノリノリだったじゃないですか」
「ふふん。それよりおぬしのほうこそ、わらわの愛しきアルフィンとアロキャメルスをパクりおって」
「オマージュというやつですよ。伝説がモチーフなので問題はないはずです」
「ふはは、言いよるわい」
「あははは……」
俺と女神は腹を抱えて笑い合った。
しばらくしてそれが収まると、相手は静かに切り出した。
「のう、おぬし。本当にあれでよかったのか?」
「……いいんです。ほかにやりようもなかったし」
「もし」
「なんですか?」
「わらわがオマケして──」
一瞬、蘇らせてくれるのかとつい期待した。
「追加の試練を与えるとしたら、どうする?」
「ええ、まだやるんですかっ!」
「そうじゃ。おぬしの本当の未練を」
「本当の未練……」
「うむ。あるんじゃろ、死んでも死にきれぬものが。わらわに話してみるがよい」
「どうせ間に合いっこないですよ……。あと一時間と三十分ぐらいじゃ」
「いったい何なのじゃ」
薄笑いを浮かべていた俺は、静かな問いかけに答えられず、うなだれた。
「言えんのか。すっぽんぽんになった男がのう……」
「はっ!」
「チンチラ大帝を倒して旅が始まり、もろちん大魔王へと登り詰めたというに……」
「はしたない! おやめなさい!」
「完璧主義者の完全体とは、完全裸だったわけじゃ……」
「上手いこと言ったつもりか!」
「所詮はゲームだけの男であったか……」
「言います、言いますって! だからあの事は忘れてください!」
これまで自分のことをすべて包み隠して生きてきた。
ネトゲでなにを聞かれても適当に誤魔化し、オープンな人間ではないからと言い訳をしていた。
これまででひとりだけ、俺が作家になりたいのだろうと言い当ててきたフレンドがいた。その人は自身の悩みを洗いざらいこちらにぶちまけて、日々の癒しとしていたようだった。
なんとなく、ほかのフレンドや現実の友達、家族や親戚も察していたのではないかと思う。それでも言うことができなかったし、聞かれることもなかった。
どうせ百年もすればみな死んでしまうのだから、あそこまで頑なにひた隠しにする必要はなかったのかもしれない。しかしそれこそが、己の気質なのであろう。
本来ならば、ひきこもりとは相反するであろうHSS型HSPだが、インターネットという内なる外にのめり込んでしまったとき、抑制が効かなくなる場合があるのではないかと思われる。
自ら外に出向かなければ得られないものがあると、学生時代で数少ない好きだった教科である文化人類学に教わった。そんなことは百も承知で、ネットの知識やネトゲでの遊びを完璧にしようと入り浸ってしまう。
それらが問題であると指摘する声は正常な人たちによってかき消されてしまうのをいいことに、素知らぬ顔で安楽椅子の異世界旅行を楽しんでいたのだ。
俺の旅は終わった。完璧にできないのが自分の人生だったと認めよう。
「ええ、そうです。俺は小説家になりたかった。未練たらたらですよ」
「ふふ、ようやく言うことができたか。長かったのう」
「残されたわずかな時間で、あなたはいったいどんな試練をしろと言うのです?」
「それは行ってからのお楽しみじゃ」
「怖いゲームじゃないといいんですがね。姉が遊んでくれなくなって詰んでしまったアレじゃなければ……」
「ひひひ」
「いや、マジで勘弁してくださいよ、絶対にそれだけは──」
視界が暗転する。
最後の試練が始まった。
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