第37話 邪魔者

「うう……もう見ていられません」


 双方が潰しあう血みどろの白兵戦を目の当たりにして、弱々しくつぶやきながら、アルディナは俺の裾を引っ張った。

 これはゲームの世界であって本物ではない。

 だが恋愛ゲームもクリアできない女の子には、少しばかり刺激が強すぎたようだ。


「そなたは寝室に下がっているといい」


「ごめんなさいテンマさま。そうさせていただきます」


 大魔王がこの場を離れるわけにはいかない。生体反応で秘密通路の扉を開いて彼女に奥へいくよう促すと、俺は再び玉座に腰を下ろした


「恐れながら、陛下は淫魔に少し肩入れしすぎなのでは?」


 口うるさいアガレスが苦言を呈すと、すかさずジミマイが叱りつける。


「無礼であろう。人の身であるテンマさまには、安らぎも必要なのだ」


 険悪な雰囲気を感じてか、ハルファスとポンポンは素知らぬ顔をした。


「どちらの言うことももっともである。だが何事も適材適所。生きとし生けるものは、みな己の身の丈に合うものをやればよい」


「ハッ、とんだご無礼を」


「賢明にございます……」


 当の本人が大魔王にふさわしい器かどうかは、神のみぞ知る。


「王国軍もなかなかに奮戦しているようですな」


「キキッ、アンドラスガピンチダゾ!」


「勇者め、やりおるな。さて、次なる一手は──」


 とその時、寝室の方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。


「きゃあああああ!」


「何事だ?」


「アルディナ殿のようですぞ」


「お前たちはここで待っていろ! ジミマイ、指揮は任せた!」


「御意」


 いったい何が起きた。あそこにほかの者は立ち入りできないはず。

 一秒でも惜しい。俺は移動の魔神を召喚した。


「セーレ、余を寝室へ飛ばせ! 今すぐ!」


「はあい。きら☆」


 なぜヒロインのピンチという時に、イケメンのウインクを見なければならぬのか。

 一瞬にして、俺は部屋の中へと飛ばされる。

 そこには、ベッドの前でアルディナの手をつかむインキュバスの姿があった。


「へい、彼女。俺さまとカンビオンを作ろうぜ」


「やめて、離して! 何なんですか、それは!」


「淫魔は人間と接触しなければ子孫を作れない。だが、サキュバスとインキュバスのあいだに子供が産まれることがある。それがカンビオンだ」


「げえ、お前はテンマ! なぜここに!」


「解説してないで助けてくださいっ!」


 俺は魔剣を抜き放つと、一歩前に進んだ。


「どうやって抜け出した?」


「鍵番にモテる秘密を教えてやったのさ」


「ピットめ……余が直々に名を与えてやったというのに裏切ったか」


「キャラのモテ度を上げておかないからこうなるんだよ!」


 そんな隠しパラメータがあったとは。

 男にも贈り物ができるのはそういう理由だったのか!


「今はお前と関わっている状況ではない」


「そうさ、だからこの隙にイイコトしようと思って忍び込んだんだんだからな」


「いい度胸だ。覚悟はいいか」


「ハンッ、貴様の大切なものを奪ってやる! 喰らえ、《リトボリア》!」


 《リトボリア》──それは悪魔が用いる投石の呪文。至近距離から相手をうがち、体を蜂の巣にする恐ろしい魔法である。


 俺は思わず防御障壁をつむぐ。

 だが、衝撃は別のところに発生する。石は頭上をかすめ、窓ガラスを木っ端微塵こっぱみじんに吹き飛ばした。


「へへっ! 捕まえられるもんなら捕まえてみろ!」


「きゃあああ! テンマさまあああ!」


「しまった!」


 インキュバスはアルディナを抱えたまま、壊れた窓から飛び出ていった。

 ここで魔神を向かわせては男が廃る。飛ばしてもらってもそのまま落下するだけ。

 ならば──


「出でよヴァプラ!」


 指輪に応え、グリフォンの翼をもった獅子の悪魔が現れた。

 グリフォンは鷲獅子しゅうししと言うように翼は大鷲おおわしのものであるからして、それは大鷲の翼ではないのかというツッコミはこの際なしである。


「ガルル……。お呼びでしょうか、あるじさま」


「ヴァプラ、からくりの翼を俺に装着しろ!」


「エラー。正確なアイテムの名称を入力してください」


「だから言い方ァ! 急げ、《ダイダロス・ウィング》だ!」


「ただちに」


 ヴァプラは人間からかけ離れた見た目に反し、さまざまな技巧を司る魔神である。

 『デモニック・キャステラン』にはアーティファクトと呼ばれる不思議なアイテムが大量に実装されているが、それらは図鑑を埋めるためだけに存在するコレクションとしか思っていなかった。まさかこのような形で使うことになるとは。


 壁の凹みに潜り込むと、ガラスの割れた窓枠を破壊し、外へ半身を乗りだす。

 木製の骨組みと車輪、蝋で固めた鳥の羽から作られた仮初の翼は、背中でカタカタと稼働音を刻み始め、徐々に横へと広がっていく。


「飛べ!」


 叫びとともにダイダロス・ウィングは己の体を高々と持ち上げ、壊れた窓から勢いよく飛び出していった。

 これはコツがいる。すぐに使えるような代物ではない。だがそんなことを言ってる場合ではなかった。

 激しく左右に揺さぶられ尖塔せんとうにぶつかりそうになるも、なんとか体勢を整えて、先に逃げたインキュバスの姿を探す。


「助けて、テンマさま!」


「そこか! 待ってろアルディナ!」


「げっ、もう来やがった! くそっ、暴れるな!」


 インキュバスは酷いセリフを吐いておきながらコンプライアンスでも気にしているのか、意外とな場所には触れずに運んでいた。彼女の両手をつかみ、ぶら下げるようにヨタヨタと飛んでいる。

 あれなら上を狙えば早い。俺は近場の塔に降り立つと、魔剣を構えた。 


「ん、なんだこの気配は……? げえええ! あの構えはまさか!」


「きゃあああ、巻き添えはやめてくださいい!」


「大丈夫、ちゃんと上だけ狙う!」


 左手で剣の下を支え、切っ先をインキュバスへと向ける。

 己の周囲に雷光がバチバチとほとばしり始める。


はしれ! 《ディスチャージ・スラスト》!」


 インキュバスはすかさずアルディナの手を放し、上空へと逃げ延びた。

 雷撃は爆音とともに、ふたりの間を通り抜けていった。


「危ない、ちょっと下にずれたな」


「何してくれるんだ、あぶねーじゃねーか!」


「きゃあああ、落ちるううう!」


「アルディナ飛べ! その翼は飾りか!」


「──つばさ? ハッ! 私、サキュバスだから飛べたんでした」


 パタパタとその場で羽ばたき、慣れない動きですぐそばへと向かってくる。

 一方のインキュバスは腰を抜かしたのか、隣の尖塔へ崩れるように降りたった。

 俺は魔剣をさやに戻すと、今度は両手を構えて魔力を集め始める。

 先ほどは咄嗟とっさに大技が出たがさすがに連発はできない。いわゆるクールタイムってやつだ。


「ひいい! 命だけはお助けを!」


「駄目だ。人の女に手を出すとは、お前だけは絶対に許さん」


「法は、法はどうなっている! 今すぐ弁護士を呼べー!」


「ここでの法とは、すなわち余である。インキュバス、判決を言い渡す」


「あわわわ、た、助けてくれえ!」


「即刻処刑。焼き尽くせ、《デモニック・フレア》!」


「ぎゃあああああ!」


 解き放たれた劫火は夢魔のもとへと一直線に向かい、大爆発した。

 《リトボリア》はたまたま良い伝承を知っていたので名前を変えたが、デモニックなんちゃらばかりでは格好が悪い。魔法の名称もなるべく考えねば。

 真っ赤な炎が散っていくさまを見つめながら、腕にすがるアルディナはつぶやく。


「ああ、なんてことを……」


「可哀想だったか?」


「い、いいえ。それよりテンマさま、さっき『人の女』って」


「……うむ、そちは親の大切な娘であるからして、お父さんとお母さんを大切にな」


「何ですかそれは! いちおう親元からは離れてます!」


「くっ、耳に痛い……」


 大魔王に中の人などいない!

 下では兵士たちが命を懸けて必死に戦っているなか、俺たちはちょっぴりいい感じになった。

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