第25話 『恋愛乙女紀行 ~私と彼のシークレット・ビーチ~』

 月明かりが射し込む薄暗い部屋。遠くからかすかに聞こえるさざ波の音。

 気づけば、俺はベッドの上でうつ伏せに腕を立てていた。

 目の前には、バスタオルを体に巻き付けただけの黒髪の女性が、胸元で手を組み、じっとこちらを見つめている。


「……えーと、これはいったい……」


 だらりと冷や汗が垂れる。


「はわわ……ど、どういうことでしょう……」


 顔を赤らめながら、ミヤは答えた。

 しらばっくれているが、どう考えても知っている顔である。

 とりあえずこのままではいけない。

 徐々に左の手足に体重を移し、体を傾けると、とうとう俺はベッドの横へと転がり落ちた。激しい音とともに、頭をしたたか打ち付ける。


「いってえ!」


「だ、だいじょうぶですか!」


「つう……なんなんだよこれは。説明してくれ」


「うぅ、すみません。これも勉強のためだったんです」


「いやいや、どう考えても18禁じゃないか!」


「長らく放置していたので忘れていました」


「あの女神のやつ、わざとやりやがったな!」


「ごめんなさい……」


 頭をさすりながら体を起こしてベッドを見やると、また白い素肌が見えて、慌てて顔を逸らす。


「とにかく、なにか着てくれ!」


「はい、今すぐ……」


 ベッドから降りて、いそいそと服をまとう音がする。

 肌寒さにあらためて自らの体を見やると、下にトランクスを穿いているだけ。

 きょろきょろと辺りを見まわし、とりあえず目についた毛布をひっつかんで頭からかぶった。


「あやうく犯罪者にされるとこだったぜ……」


「これでいいでしょうか」


 見やれば、ぶかぶかのYシャツを羽織っただけで、生足が丸見えの状態。

 なんだかかえって色っぽい。

 俺はかぶりを振ると、顔を背けてあぐらをかいた。


「さて、話を聞こうか」


「うぅ……」


「べつに責めてるわけじゃない。でも、事情を説明してほしい」


「はい……」


 横目でちらと覗き見ていると、彼女は正座をして話し始めた。


「このゲームは、昔からお世話になっている先輩の原画デビュー作なんです。とても応援していたので、私としても嬉しかったのですが、こういう作品とは知らなくて」


「なるほど」


「先輩は美大に行ったので、とても上手なんですよ」


「絵が新人なのに、なんであんなに高いんだ? プレミアでもついてるのか」


「せっかくなので限定版を買ったんです。余計な物がたくさん付いてきて、持ってるのは恥ずかしいけど捨てるわけにもいかず、押し入れに封印してあります」


「ふうん」


 目のやり場に困って部屋を見まわしていると、ふとテーブルに一冊の本が見えた。

 毛布をマントにして立ち上がり、取り上げてみる。


「なんだろうこれ……台本?」


「この作品のものみたいですね」


「……ああ、頭が悪くなりそうだ。とても声には出せない」


「すみません」


「君が謝る必要はない。それで、勉強にはなったのか?」


「えっ、それは、えーっと……はい」


「そう……」


 思えば、この手のゲームを遊んだことがなかった。

 真面目一辺倒の人間というわけでもないが、所持する勇気もない。


「待ってください! でも、最後まではやってません!」


「そりゃここに来るってことは、そうなんだろうけど」


「本当です。こんな展開になるなんて思ってなくて、思わず閉じちゃったんです!」


「わかったわかった、そうムキになるな」


「うぅ~」


 敵も味方も誰もいない、ただふたりだけの空間。

 これまでの試練は、戦いの終盤だけに慌ただしい展開が多かったから、休憩という意味ではよかったのかもしれない。


「じつは言うと、私、男の人の体を描くのが苦手なんです。だから他人の絵からしか学べなくて。先輩からいろいろ教わったのですが、真似にしかならず……」


「裸のデッサンとかしてるんじゃないのか?」


「それができたらこんなに苦労してません」


「ふうん。って、なに見てんだよ! いやらしい!」


「え~、隠してないでちょっと見せてくださいよ」


「やめて! えっち! 触らないで!」

 転がるようにベッドの上へと避難する。


 いたずら顔を浮かべていたミヤは、隣に座ると、急にため息をついた。


「どうしたらよかったんでしょうね?」


「さあ、百合ものでも描けば……」


「そんなの描けません!」


「じゃあ動物とか」


「動物?」


「猫の妖精とかさ、平和なやつでもいいんじゃないの?」


「そういう発想はありませんでした。あまりファンタジーは詳しくないので」


 俺は頭をひねった。こういうことならすぐに思い浮かぶ。


「そうだな。『狐物語』とかどうだ?」


「なんでしょう、それは」


「十二世紀のお話だよ。複数の人が書いていて、今でいうシェアード・ワールドってやつか。ちょうど日本の『鳥獣戯画』みたいなもんかな」


「そんなに古い作品なんですか」


「そりゃモンスターなんて、大昔の人が考えたものを、いまだに多くの人間があてにしてるわけだしな」


「言われてみればそうですね」


 ほかに話すものがあるわけでもない。少し得意になって、話を続けることにした。


「俺は前から思ってるんだ。昔の人だって、べつにみんながみんな空想を信じていたわけじゃないってね」


「どうしてですか?」


「祈ったところでなにか変わるわけでもないし、現実の生活があるからな。だいたい地動説だって地球球体説だって、大昔から唱えてる人間はいた」


「ふんふん」


「そして想像を膨らませる人間ほど、たいして信じてなんていなかったと思うんだ。面白くするために四苦八苦しなければならないんだから、信じていたら書けるわけがない。ファンタジーというのは、古代から続く想像のリレーなんじゃないかと」


 ミヤはおとなしく話を聞いている。

 忙しい生活を送っていた彼女は、題材探しに問題を抱えていたのだろう。


「俺が感銘を受けた言葉に、『作るとは、学んでそこに何かを付け足すこと』というものがある。これは詩学の世界で言う『換骨奪胎』という概念から来ているらしい」


「聞いたことはありますね。あまり良いイメージはないですけど……」


「字がおどろおどろしいし、パクリに思ってしまう人もいるからな。俺はこの言葉を信じ、ひたすらインプットを続けてきた。でもなかなか表現することができず、筆が止まっていたんだ。一方の君は、アウトプットばかり頑張っていた」


「そうなのかもしれません」


「俺たちは凸凹コンビだ。互いの弱点を埋め合うことができれば、なにかいい作品が作れるかもしれないな」


「そうですね!」


 ようやく彼女の表情が明るくなり、俺は満足げにうなずいた。


「それじゃ、この物語はここらで終わりにするか」


「あの、最後までは……」


「流れに任せてやることではない」


「私はその、総一郎さんとなら……」


 ドキンと胸が跳ね上がる。ここで下の名前を使うとは卑怯なり。

 というか心臓うごいてたんだな。気にしたら負けだ、こんなデタラメな世界。


「そういうのは、本当に好きな人と親密になってからするんだな」


 我ながら偉そうに腕を組む。

 俺が望むヒーローは、いつだってそうしてきた。

 労せずに棚からぼた餅なんて、主人公のやることではない。


「女神さま! 俺たちをそちらに戻してください!」


 天井に向かって叫ぶ。

 まあ、ちょっと勿体なかったかな。

 しゅんとするミヤの横顔を見ながら、まばゆい光に包まれた。

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