第8話 寝室

 玉座の裏手は、寝室に至る通路へとつながっていた。

 作中、出入り口は柱で隠されていて、注意しなければ見逃してしまうように意図的に設計されている。とはいえ、これは誰でも気づく隠し要素だろう。

 子供のころ、小さな王国の王子となって大冒険をする作品が好きだった。ベッドの置かれた部屋から、秘密の場所へと行くことができるのだ。


 思い出に残るあの名作ゲームは、子供から楽しめる平和で温かみのある物語だが、『デモニック・キャステラン』は違う。大人向けとまでは言わないが、エログロ表現はそれなりに匂わせがある。

 その手のものが苦手な人はやらないほうがいいかもしれない。いまさら遅いか。


「こんなところに大魔王さまの寝室があったのですね」


「うむ」


「どれもこれも見たことのないほど立派な丁度品で、感動いたしました」


「うむ」


天蓋てんがいつきのベッドなんて、私もいちど使ってみたいです」


「うむ」


「……いかがなされましたか?」


 俺は黙ったまま、招くように人差し指をくいくいと動かした。


「はい?」


 アルディナは無警戒に近づいて来た。


 つんっ!


 ぷよんっ!


 スッパーーン!!


「いってぇぇぇ!」


「いきなり何するんですか!」


「なぜだ! 好感度の上限を突破して、貴重な指輪まで貢いだはずだろうが!」


「いったい何の話!」


「いや、だってそういうだろうが!」


「だ、だからって女の子にいきなり触れるなんて、犯罪者のすることです!」


 ひりひりする頬をさすりながら、相手の顔をじっと見つめる。


「さてはお前……」


「な、なんです。いくら大魔王だからって、して良いことと悪いことが……」

 彼女は半歩だけ後ずさった。


「サキュバスじゃないな?」


「どきっ!」

 胸元で手を組み、長い黒髪を揺らす。


「このゲームの住人でもないな?」


「ぎくっ!」


「どうもおかしいと思ってたんだ。その瞳、見覚えがある」


「ぎくぎくっ!」


「当ててみせよう、君の名前は……」


「ぎくぎくぎくぅ!」


 互いにゴクリとつばを飲みこんだ。


「三条かなえ」


「誰じゃそりゃあああ!」


 思いっきりどつかれた。


「今のはちょっとしたジョークだよ、ジョーク」


 そう言って俺は、影絵のウサギになるような、親指と人差し指で輪っかをつくる。それを彼女の目元に合わせるようにして、徐々に近づけていく。

 すると、どこかで見たことのある顔が見えてきた。


「やはりそうか。君はあのとき橋で会った子だな。初見はつみみやちゃん、だったか」


「ぐぅ……。いつから気づいていらしたんですか」


「わりと最初のほうかな。確認するために人を払った」


「ということは、さっき触ったのはわかっててやったと……? ほんと最低です!」


「君のせいでこうなったんだから、あのぐらい良いだろ。たかがじゃん!」


「うっ……」


「しまった、今のは言いすぎた。すまない」


「……返す言葉もありません」


 俺はベッドに腰かけると、隣をぽんぽんとたたいて、座るよう促した。

 彼女は急にしおらしくなり、おとなしく従った。


「しかし、『どきっ』だの『ぎくっ』だの、擬音を言葉に出すのは痛々しいぞ」


「仕方ないでしょ、漫画家志望なんだから! 普段から脳内でって、あ……」


「ほう、そんな夢があったのか」


「あなたには関係ないです」


「あるさ」


「どうしてです。助けようとしたからって、ぜんぶ話す気なんてありません」


「俺たちは似た者同士だ」


「またそう言って、どうせいやらしいことを考えてるんじゃないですか?」


 そう言って白い視線を向けてくる。俺は目を逸らすも、表情を変えずに答えた。


「いや……。俺も小説家志望だったからな。誰にも言ったことはないが」


「そうだったのですか。ごめんなさい、夢を潰しちゃって……」


「いいんだ。どうせ諦めてたから。それより、どうして君はあんなことを。言いたくはないだろうが、よかったら聞かせてほしい」


 俺はじっとアルディナ──ミヤの瞳を見つめる。

 今度は彼女のほうが目を逸らし、下を向いた。


「ずっと描き続けてきたけど、どうしても完成させることができなくて、自分の才能のなさが、とうとう嫌になっちゃったんです」


「なるほど」


「夜風に当たろうと外に出て、橋の上からぼんやり下を見ていたら、ふっと……」


「わかるよ。俺も考えたことはある。だから、危ない所は避けるようになった」


「あなたもそうなんですか」


「でもたぶん、君とは違うことがある」


「何です? 教えてください」


 透きとおった真摯な瞳に向き合いながら、心は遠くを想う。


「俺は昔、大切な人を亡くした。葬式から帰る途中、約束したんだ。絶対に小説家になって、いつか君のことを書いてみせるって」


「そっか、そんなことが……。約束は果たさないといけませんね」


「ああ」


「ほんとに、ごめんなさい」


「謝る必要はない。心が折れて、遊び呆けていたからな。それより──」


「はい?」


 女神との約束を話そうと思ったが、言えば絶対に拒絶するだろうと感じた。

 この子の性格なら、自分だけが助かるなんて聞けば、きっとまた一悶着が起きるに決まってる。出会って間もないが、人を見る目はある。決して悪い子ではない。


「いや、なんでもない。なんだか凄いことになっちゃったな」


「ほんとそうですね、わけがわかりません。ところで、これからいったいどうするのですか? 私、とくになにも聞かされずにここに放り込まれたのですが」


「そうだな。五時間も待つとなると──」


 そこで俺はハッとした。


「ああ……こんなことをしている場合ではないぞ。詰まってしまった以上、いったんこの物語は後回しにして、次へ行くぞ!」


「どういうことですか?」


「説明は後だ。おい、女神、聞いているか! 俺たちをいちどアンタの場所に戻してくれ!」

 天井に向かって叫ぶ。少なくともベッドの下にはいないだろうから。


 ふたりでじっと耳をそばだてた。



 シーン。



「女神さまとは私も会った人でしょうか。あのう、今のはちょっと失礼だったのではないですか?」


「……どうやらそうらしい。女神さま、先ほどのご無礼をお許しください! 俺たちふたりをあなたの場所に戻していただけませんか!」



 ポリッ、ポリッ。



「ポテチくってんじゃねえええ!」

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