第24話 シチュー
「あたしらごはん買ってくるから、あんたたちは中で待ってなー」
「にゃんでおいらまで……」
レディナはソーニャの首根っこを掴んで、買い出しに出て行ってしまった。
僕とエフティアはと言うと、寮で留守番だった。
エフティアはさっきから手を放してくれない。二人の前で恥ずかしいのに、その手を振りほどくことができなかった。握力が強すぎる。
手を握って、ソファでただ黙って座るなんて……そういうことは夫婦がすることであって、学生がするべきことではないはずだ。
そう伝えても、エフティアは笑って「えへへ……そうなんだぁ」としか言ってくれない。
「なんで、こんなことをするのか教えてほしい」
「こうしないといけないから」
「どういうこと?」
「アル君、また何か見た?」
「何かって……何のこと? それにまたって?」
「なんでもなあい」
「なんだよ、それ――」
――隙をついて手を外そうとしたけれど、反射的に捉えられて、それでしまいだった。反応速度に磨きがかかっている。
「……二人が帰ってくるまでには放してほしいっ!」
「はーい」
◆
野菜、肉、魚、果物――色とりどり形とりどりな食べ物の山が歩いていた。正しくは、それらをソーニャが運んでいた。
「どんだけ買うんにゃぁ……重いにゃあ」
「
「うぅ……かつて
「あら、何千年前の話かしら。今ではみんな対等でしょ」
「これのどこが対等にゃ……」
ソーニャに対して、レディナは手ぶらだった。人差し指を頬に当て、次に買うものを考えている。
「こんにゃに買って一晩で食べ切れるのかにゃ……フテっちはいっぱい食べそうだけども」
「何言ってんの、買い置きよ。商人はいつの世も節制を強いてくるからね。買えるときに買っとくの」
「ふーん」
「あたし、あの子たちと一緒に暮らすし」
「へっ、にゃんで!?」
「あなたも一緒に住む? ベッドは余分にあるみたいだし」
「にゃあぁ」
「何よ」
「エッチにゃ」
「だからなんでそうなるのよ!」
……
「ただいまー。あら――」
「ただいにゃー、ふにゃぁッ!!」
レディナが特待生寮の部屋のドアを開けたとほぼ同時に、食材の山が音を立てて崩れ落ち――かけたが、レディナが用意していた大袋で受け止めた。
「こういう時のために、もう一人は手を空けておくわけね」
「最初からこうしてればよかったんにゃ――ってあれ?」
ようやく開けたソーニャの視界に映ったのは、ソファに座ったまま手を繋いで寝ているアヴァルとエフティアだった。
「エッチにゃ」
「こんなのエッチに入らないわよ。ほら、あんた料理手伝いなさい」
「おいらの自由どこ――」
「ここよ。食材を運ぶ自由、洗う自由、切る自由、煮込む自由、焼く自由――そうした自由の果てに、ようやくごはんを食べる自由が顔を出すわ。良かったね」
「――ごはんだけ食べる自由」
「ないよ、そんなもの」
台所で水洗いを始めるレディナとソーニャ。
ソーニャは探るようにして食材を洗っていた。
「にゃあ……」
「けっこう立派な台所だよね。普通寮にも欲しいよ」
「……おいら、野菜きらいにゃー」
「好き嫌いしないの」
レディナは淡々と慣れた手つきで泥を落とす。
「おいら、包丁使ったことない」
「そう。教えてあげるよ」
ソーニャは包丁を手渡されると、なぜかふやけた声を出した。
「にゃあぁ……」
レディナは特に意に介さず、ソーニャに寄り添う。
「左手は……そう、落ち着かせて……あはは、あんた最初から指先丸めて偉いじゃん。料理上手になるかもね」
「……そうにゃ?」
「うん。まあ、真っすぐ切れればいいからさ、最終的には手の形もあんたの自由さ」
……
ソーニャは肩を揺らしながらシチューを混ぜる。
ちょっと具を
手を止めてレディナに声をかける。
「にゃあ、さっきのヴァルっち、どう思う?」
さっきというのは、突然アヴァルの様子がおかしくなったことについてである。
「瞳が小刻みに揺れて、まるで何かを目で追っているみたいだったにゃ。手足も震えて、尋常じゃ無かったにゃ」
「そうだね……でも、エフティアは慣れているように見えたし――だったら、今はひとまずあの子に任せればいいんじゃない?」
「にゃあ、それもそうかにゃ……」
「……あんたさぁ、けっこう世話焼きでしょ」
「まさかにゃ。おさかな焼いたのだって初めてにゃのに」
「ふふ……そうね。でもあんた、焼くのも上手よ」
「そうにゃ?」
「うん」
……
「おーい起きるにゃ! おいらとディナっちがごはん作ったにゃー! おいしいにゃ! ぎにゃっ――」
「あー、これは――」
食事の支度をし終えた二人が目にしたのは、アヴァルに全身で絡みつくエフティアの姿だった。
「――えっちにゃ」
「――ちょっとえっちね」
どうするか考え中の二人の目の前で、先に目覚めたのはアヴァルだった。
「うん……うぅ。あつい……」
「にゅーん」
「……ソーニャ? ……なにその顔」
「ちょっとえっちなものを見た顔かしら」
「レディナさん……? なんか、体が重いんだけど……うっ――」
アヴァルは自分の耳に注がれる吐息に身震いし、ようやく自身の置かれた状況を理解した。
「待ってッ!! 違うッ!!」
「にゅーん」
「その顔やめてッ!!」
アヴァルがもがこうとすればするほど、泥沼に沈んでいくように身動きが取れなくなる。そのままソファからずり落ちそうになっていた。
「レディナさん、助けてッ!!」
「はいはい……あっ、これ無理だわ」
「首が……ッ!!」
◆
「えへへー、ごめんごめん……」
「にゃあ、フテっち……無自覚だとしたら相当やばいにゃ」
「意図的だとしても相当悪い女だけど……あんた、結構悪い女だもんね」
「やばくないし、わっ、悪くないもん!」
「どうかしら――見て、あんたのアル君、すねちゃってだんまりよ」
「すねたんじゃなくて……声を出すのが……辛いんです。でも……料理……おいしいです。ありがと……レディナさん、ソーニャ」
実際、ここまで気の利いた料理を食べるのは、久しぶりのことだった。父と母が生きていた頃は二人の料理を、亡くなってからはメイドの料理を口にしていた。
この料理は味付けこそ違えど、それらに勝るとも劣らないものだった。
「これで仕事ができる味だ。毎日食べたいくらい」
「そう? あたし、ここに住むから、別にいいよ」
「ごほッ!」
なんだと――
「ごふッ……げほ……」
「ヴァルっち、おいらよりお行儀悪いにゃ」
そう言いつつ、ソーニャは背中をさすってくれる。
「ディナもー!? やったぁ! ……あっ、でも――」
「な―んてね。うーそ……毎日料理なんてするもんですか」
――ですよね。
「寝泊りするだけよ、たまにね」
住むの!? それにたまにって何だ……。
「――ほんとぉ! でも、料理はおしえてほしいな……」
「はいはい」
待って、話が――
「――話が勝手に進んでるけど、そもそもここは僕が住んでいる寮なんだよ!?」
「でもこの子はいいの?」
「エフティアは、今は自分の部屋が壊れているからであって、一時的な滞在なんだ」
「ふーん、まあそういうことにしといてあげるけど――」
「いや、そういうことなんだって! ねえ、エフティア?」
「うん、そうだよ? あぁ……そうなんだった」
なぜかエフティア、落ち込んでる……。
「だけどさ、あたしもここで生活する権利があるんだよね」
「……なんですって」
「……ディナも部屋こわれちゃった?」
「ち・が・う。あたしも特待生だから、さ。先生にも話は通してるし」
衝撃の事実だったが、ゆっくりと驚く暇も与えず、レディナは僕に向き直った。
「それとも、エフティアと二人っきりの方がよかった? もしそうなら、あたしも遠慮するけど」
「えぇっ、あっ、えっ?」エフティアが挙動不審になる。
君が焦るのか、エフティア……。
おかげで冷静になれたけれど。
「レディナさん、二人きりの方がよいかという問いについてだけど……さらに同居者が増えたら僕の手には負えないと思って焦ったんだ。けれど、冷静に考えると男女二人きりという今の状態の方が不健全かもしれない。それに、他の特待生を押しのけて僕がこの寮を独占するのは筋が通らないと思う。だから、遠慮する必要はないよ」
レディナは腕を組んでしばらく目を瞑った後、口を開いた。
「真面目か」
「知らにゃいの? ヴァルっち真面目にゃ」
おかしい。なぜか僕が間違っているような雰囲気だ――
「あら、ソーニャ……さっきから静かだと思ってたけど、何回おかわりしてんのよ」
「もう全部食べたにゃ」
「えぇーっ! ひどいよぉ……!」
「隙を見せるのが悪いにゃ」
「あんた知ってる? ごはんを食べる自由の後は食器を洗う自由があるの」
「聞いてないにゃ……」
「ずるい! わたしも洗う!」
――けど、なんかいいな。
父さん、母さん。
声にはならない言葉が浮かんでくる。自分以外の誰かと誰か、触れ合う姿に、二人を想起したのだろうか。
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