第12話 良薬は口に苦し

あれから、僕とエフティアは明け方まで剣のやり取りを千回以上繰り返した。一回一回の動作に妥協をしてはならない――そういう気持ちで彼女と向き合った末――


「動けない」


――昨日とは違う意味で身動きが取れなかった。しかし、悔いはない。一つのことをやり切ることの方が、この程度の痛みを避けるよりもよほど大切だからだ。


「だいじょうぶ……痛い……?」


痛みの原因の半分が、心配そうに顔を覗き込んでくる。

もう半分は己の弱さ。


「痛いけど……大したことないよ。それよりも、この程度のことで君の意志が揺らぐことの方が心配かな……なんて」

「この程度のこと……? きみを心配することが……?」

「あっ……あ痛たたたぁ……!」


昨日よりも容赦なく頬をつままれ、身もだえすらできないまま痛みに喘いだ。


「もぅ……口は元気なんだ……アル君は」


エフティアがじとりと見下ろしてくる。

人が変わった――というよりは、以前までの彼女にもう一つ人格が備わったような、そんな感じがする。


「エフティアは……平気なのかい」

「えへへ……むしろ、すっきりした感じ!」

「はは……すごいや」

「そんなことない――」


エフティアが手を握る感触があった。


「――わたし、初めて自分の意志で強くなれたんだ……きみのおかげで。昨日、はっきりと分かったんだよ……?」


顔を覗き込んでくるエフティア。


限りなく近い。あと、匂いが……その……。

落ち着け、深呼吸するんだ。


「すぅー……はぁー……」

「だ、だいじょうぶ!? アル君!?」

「だめだ、かえってよくない」

「よくわからないけど、だいじょうぶそだね」


君が離れたら、多分もっと大丈夫になる。


「なんか、よくないこと……? 考えてる?」

「何も……?」

「……今日、わたしも休んじゃおっかな」

「それは駄目だ。自分の剣を磨く時間をおろそかにしてはいけない」

「んぅ……」

「それに君、昨日授業をサボっていただろう。知識はそのまま力になるんだ。大切にしないと――ああ、そうだ。君が良ければ授業の内容を教えるよ。先生ほど面白くは説明できないけれど」

「……」

「どうかな?」

「……はーい」


何だか不服そうだけど、エフティアは僕の手を放した。


「そうだ、エフティア。君は獣人ファウナのソーニャと話したことはあるかい? ほら、試合の合図をしてくれていた……はぐれ獣人カルアハの例にもれず自由人だけど、彼はいい人だと思う。僕は今まで友達はいなかったけれど、彼みたいな人ならいいかもしれないと思ったよ」

「……うん。でも、わたし――」

「どうかした?」

「――アル君がいれば、いいかな」


エフティアは最後に引っかかる言葉を残して、部屋を出て行った。彼女の言葉を、どう、受け止めればよいのだろうか。



こんなに静かなのは久しぶりな気がする。

エフティアも今は自主訓練の時間だろう。

僕はというと、二段ベッドの裏側を見上げることしかできない。


ただ時間が流れるのを待っていると、誰かが入口のドアをノックする音がした。


「アヴァル君ー! 私です。ベッシュです! 入ってもー!?」

「先生……? どうぞ……!」


何とか声を張り上げて応答すると、ご機嫌そうなベッシュ先生が手にコップを持って現れた。


「アヴァル君が休みなんて珍しいですね。初めてのことじゃないでしょうか? 昨日の教室からの脱走も、私の記憶では初めてのことでしたが」

「先生、根に持っていらっしゃいますか」


「いえ別に……ところで、君のためにお薬を持ってきましたよ!」

「薬、ですか」


「エフティア君いわく――『わたしのせいで身体が動かなくて……どうにか

なりませんか?』とのことでしたので、『どうにかします』とだけ返しておきました。ああ、ちょっとこちらの椅子をお借りしますね」

「はぁ……どうぞ」


エフティアがそんなことを言ったのか。

わたしのせいでという言い方が気になるけど、ベッシュ先生はどう受け取ったのだろうか。


聞く前に、コップを差し出される。


「はいどうぞ。どうにかする飲み薬です」

「いただきます」


何とか上体を起こし、コップを受け取る。

中には灰色の温かい液体が入っていた。

苦そう……だけど、せっかくいただいたのだから……。


「んぐ……」

「いい飲みっぷりですね、

「ぐぼぉッ!」

上昇せよアリーヤ。苦かったですかね」


吐いた液体が浮いている。いつ見ても魔法というのは便利なもので、僕が吐くことを見越して存在しているのかと思わされる。


「ほら、、飲みなさい。希少なものです」


抗議の気持ちを目で表現したつもりだったが、ベッシュ先生は意に介していなかった。


「そのというのをやめてください」

「そうですね」


浮いた液体をコップで慎重にすくい直し、余計なことを言われる前にぐっと飲み干す。極めて苦い。が、後味が悪くないのが救いだった。


「これ、何ですか」

「ドラゴンの臓物を煮詰めたものを希釈きしゃくしたものです」


「……」

「そんな目をするなら飲む前に聞きなさい」


「いえ、罪滅ぼしの気持ちがあったので」

「私の薬はあなたを罰する道具ではありませんよ。ささやかな仕返しの気持ちがなかったとは言いませんが」


「やっぱり」

「それに、この薬は本当に効くんですから」


先生の人差し指が天井を指した。


「どんな効用があるんですか」

「滋養と強壮、の増進ですね」


「……?」

「冗談です。まあ、滋養と強壮という言葉は大変ふところが深いので、効果も少なからずあるでしょう。良いものですからね」


「これ、値段はどれくらいなんですか」

「お待ちなさい、さすがに生徒にこんな形でたかるような真似はいたしませんよ」


「ですが――」

「それに、もう報酬はいただいているようなものです。生徒の元気な顔が見れた……それが一番の対価です」


「そういう問題ではないです」

「君がこんなにおしゃべりになったことについては、私としても大変喜ばしいことですが、これ以上食い下がらせる気はありませんよ。あ、そうそう薬と言えば――」


先生は言葉を続けないまま天井の隅を見上げる。


「薬と言えば、なんですか?」

「――良薬は口に苦しと言いますね」

「はぁ」

「では、そろそろお暇しましょうか」


先生が立ち上がろうとする。


「すみません、どうしてもお尋ねしたいことがあるんですけど、よろしいですか」

「……えぇ。どうぞ」

「なぜ、エフティアを放置していたんですか」


ベッシュ先生は、良い先生だ。

けれど、このことについては見過ごすことはできない。


「放置、ですか」


彼は目を瞑って黙り込むが、僕はかまわず続けた。


「彼女は天才です。確かに少々……いえ、かなり不器用なところはありますが、それを差し引いても……千年に一度の逸材だ――」

「千年に一度ですか……そうですね。あるいは、そうかもしれません」


「ここが剣使を育てることに重きを置くのであれば、彼女の存在を見過ごすなんてこと……あってはならないはずです」

「それについては一部、同意します。彼女の存在も私は……我々は見過ごすべきではありません」


「……先生はこうおっしゃりたいのですか。彼女を贔屓ひいきするわけにはいかないと。それなら、僕はいったい何なんです? なんていう肩書きがあるのは、人と人とを比較して、誰かを優遇しているからじゃないですか」

「そこを突かれると痛いですね。ですが、おおむねその通りです」


「……彼女は、本当の意味で剣使にふさわしい意志と素質を持っています」

「なるほど。とは、何ですか」


「強くなりたいという意志があります」

「やはり、アヴァル君は良き生徒ですね。本当の意味でそう思います。なぜなら、君はきちんと本音を隠しているのですから」


「本音、ですか」

「ええ、ほんの少し前の君ならもっと別なことを言っていましたよ。いいえ、言わなかったとしても、見え見えだったでしょう」


「何のことですか?」

――それこそが君にとっての全てであって、剣使にふさわしいだとか、そんな崇高なことはどうでもよかったはずです」

「そんなこと――」


――そうかもしれない。いや、そうだったはずだし、そうあるべきだ。なぜ、忘れていたのだろう。


「顔が暗いですよ。にばかり逃げないでください。私はあなたが本心を隠したことを、むしろ喜ばしく思っているんですよ」

「おっしゃっている意味が、よく分かりません」


「私も、そうですね……あなたの友人にならえば、人の心を解き明かしたかのようにお話するのはのですが、私の考えをお話しても?」

「お願いします」


「まず、この世界の真理についてお話ししましょう。復習もかねて――」


そんなに根本的な話なのか。

口をはさみたいのをぐっとこらえて、ベッシュ先生の講義を受けるのだった。

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